新住協の仲間で、若手の設計者である豊田善幸さん。
福島県いわき市で設計活動に携わっています。
ひょうひょうとした雰囲気のある方で、さわやかに人生を楽しみながら
いいもの、美しいものへの感受性の部分では、なかなかに硬派な部分も持っている。
東日本大震災勃発時には、
福島第1原発にももっとも近い知人のひとりで、心配しておりました。
事実一時期は、奥さんとふたりで会津地方に避難もされていたのですが、
その後、すぐに放射線量が低レベルで推移しているいわきに戻って
旺盛な「復興」活動をされています。
被災地域らしく、設計のリクエストも多く抱え込んでいて、
たいへん多忙な毎日を過ごされています。
で、そんななかで、いわき市の小名浜のすぐ近くの漁業地域である、
「中之作」地域の歴史的建造物群が、軒並み取り壊されていく流れに抗して
踏みとどまって、よいものを存続させていこうと活動しています。
「東北の住まい再生第3号」では、この「中之作プロジェクト」について、
寄稿的な紙面記事でも紹介いたしました。
ただ、わたし自身はいわきを訪れる機会はなかったのです。
今回、「地域安全学会」の発表会があったので、機会を見つけて
豊田さんのこの動きも取材させていただいた次第です。
いわき市太平洋側沿岸部の被災状況などを案内させて貰った後、
2件の歴史的建造物を案内していただきました。
この中之作地区には、古くからの網元や造り酒屋さんなど、
地域の景観を形成してきたような重厚な建築がありました。
そしてそれらの多くは、古くはなっていたけれど、
しかし地震や津波の被害はきわめて軽微で済んでいたということでした。
ところが、地域全体に対する「復興支援」として、
古い建物の「解体費用」の公的支援が一円的に実施されました。
それも期日を区切っての「申込み受付」という形になっていたので、
「そういうチャンスがあるのなら・・・」という心理が働いて、
存続させることで地域景観が守られていくような、多くの建築が取り壊されていった。
今回の「地域安全学会」でも鈴木浩福島大学名誉教授が指摘されていましたが、
もともと過疎が進行していた問題を放置し、日本の近代社会がうち捨ててきた地域が
今回の地震と津波に襲われた。
そこから「復興する」というのは、
どのように復興するのか、その思想はどのように構築すべきなのか、が
民族的な大問題として、本来論議されるべきなのに
そこがすっぽりと抜け落ちながら、事態が進行してしまっている現実がある。
そういう現実が、この中之作地域でも進行してしまっていた。
この活動を進めながら、このなかでも建築歴史的にも意義の高い建物を
ついに自らの自宅兼用事務所として買い取って、
修復作業に取り組み始めている建築があるのです。
この模様については、氏のブログページでも紹介し続けています。
中之作プロジェクト
写真は、「清航館」と名付けられたこの建物の2階のハレの間の
床の間・違い棚の様子であります。
なんと、床柱や棚の小口に「螺鈿細工」が散りばめられている(!)。
螺鈿細工は中尊寺金色堂で施されているのが著名ですが、
このいわきには奥州藤原氏の姫君がこの地の海道平氏有力者に嫁入りし、
その経緯を伝えるような、中世臨池式庭園が残されている「白水阿弥陀堂」があり、
そういった文化的素性もなにか感じられるようなたたずまいであります。
このような、生活文化としても継承されてきた東北太平洋側沿岸部の文化的遺産が
いま、考える時間もなく取り壊され、
うち捨てられようとしているのが現実の進行でもあるわけなのです。
さて、わたしたちは、
どのようにこうした事態に対して行くべきなのか。
先述した鈴木浩福島大学名誉教授の指摘から、
どのような「文化復興」をしていくべきなのか、
もっと骨のある復興論議が盛り上がっていくべきではないのでしょうか?
そんな思いを強く持った取材でした。