三木奎吾の住宅探訪記 2nd

北海道の住宅メディア人が住まいの過去・現在・未来を探索します。
(旧タイトル:性能とデザイン いい家大研究)

【地縁・血縁から「職縁・学縁」社会への移行】

2017年09月03日 08時38分44秒 | Weblog
きのうは、毎年はお盆時期に開催していた高校同期の同窓会。
ことしでなんと38回目という人生での重要な年中行事になっています。
わたしたち昭和中期生まれ、戦争後に生まれ生きてきた年代、
それも都市生活者にとっては、自分たちのアイデンティティというものが、
それまでの時代とは隔絶しているのだと思います。
戦前までの日本における人間のありようというのを考えてみると、
地縁というものが、非常に大きかったのだろうと思います。
それは農業や漁業といった生産手段と直結した人間集団が基本組織であって、
個人はそうした集団、いわゆる「ムラ社会」に従属して存在していた。
それに対していわゆる都市生活者というのは少数派だった。
その少数派の都市生活者も大部分は長屋という地域に組織されていた。
「大屋と言えば親も同然」というような人間を包む「まゆ」が存在していた。
個人というのは、そうした集団に従属していた存在だった。

それが戦争に負けることで、アメリカ的個人主義の価値感が
基本的な上位概念として社会に流入してきて、徐々に個人主義に置き換わっていった。
そういうなかでも、日本人は基本的にはムラ社会を希求していたのではないか。
多数派が都市生活者に変換するなかで、
「擬制的」ムラ社会として、教育の過程での出会いがひとつの重要な
人と人を結びつける役割を担いはじめているのではないか。
いまの現代ニッポンでは、ひとの絆の大きな部分が、
学縁というようなことに基盤を起き始めていると思うのです。
血縁の小型化、核家族化。地縁の希薄化の進展に対して、
こういう学縁が、ある役割を果たしてきている。
たぶん、旧社会に似たようなカタチを求めるとすれば、
「若衆宿」というような組織形態が、類縁的ではと思っています。
大胆に言えば、戦前までの社会が地縁・血縁を基盤とした社会であったのに対して
わたしたち年代が生きてきた社会は、職縁と学縁が基盤化した社会。
ちょうど、70年安保闘争などの年代だったこともあって
奇跡のように仲間意識が強くなっていた高校同期という側面もあるのですが、
こういった側面も大いにあるのではと思っています。

みんな60代も半ばを過ぎてきて、
それなりにセーブしては来ていますが、まだまだ体力もあり、
社会の中で、それなりに役割を果たしていけると確認し合った気がします。
コメント
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