三木奎吾の住宅探訪記 2nd

北海道の住宅メディア人が住まいの過去・現在・未来を探索します。
(旧タイトル:性能とデザイン いい家大研究)

【絶滅危惧「都市のなごみ」の空気感】

2017年09月23日 07時19分27秒 | Weblog
やはり住宅のフィールドワークは刺激的です・・・。
きのうは新住協総会の一環である「住宅見学会」に参加していました。
ほぼ東京のツインシティともいえる横浜の住宅を見て歩いた次第。
「現代で街に住む」ということの現場実態を体感できました。
歴史的に見れば、都市はそもそも人間が「住みやすい」から創造した環境。
石器時代にもある特定の建築を中心にして「都市」が営まれたと、
イスラエルの歴史学者・ハラリさんも「サピエンス全史」に書いている。
「農」という生産スタイルに支配されたムラ社会から、
多様な生業での「都市居住」へ、現代社会にまで基本的にそう歩んできた。
そういう都市居住の先端的ありようは、社会学的にも建築的にも
もっとも興味深く人間を感じさせてくれるテーマ領域だと思う。
いくつかの取材ポイントがあって感じたことを書いてみたいのですが、
本日はそのプロローグとしての「街の点景」であります。

横浜という街はわたし自身も馴染みが深い街。
東京での学生生活の前半は、この街で暮らしていた。
東急東横線沿線のいくつかの街で生活していたこともあってか、
その空気の質感に、ある懐かしさを感じる部分がある。
都市ヨコハマの中心街は、戦災の影響もあってか、
計画都市としての街区構成があって、札幌にも似た合理主義的な都市。
一方でそれを離れた居住街区は、いかにもアジア的混沌の世界。
その両方の表情が見え、その陰影感が魅力としてカラダに馴染んでくる。
そんな気分で街をバスから見て、ふと視線が止まったのが写真の点景。
このお店はタバコ屋と同時に「もっきり屋」も併設している。
通りすがった金曜日の正午頃、すでにもっきり屋でグラスを傾けている。
一方でタバコ屋では、いかにも的に高齢女性が所在なげ。
建物としてはあきらかな木造で、屋根には瓦が載せられ、道に面して
可能な限りに開口が開けられて、耐震性は無視して(笑)開放的。
店舗全面にはアーケードを意識した屋根が差し掛けられ、
その屋根は錆びたトタン屋根で軽快そのもの。
しかしきちんと折り目正しく雨樋が装置されて、
道行く人に雨露をしのがせ、店内に誘導させる仕掛けが施されている。
さりげない自転車がいい(笑)。ネコでもいれば完璧。
このように建築的に構成されたアーケード空間は、
公的空間と店舗空間があいまいに共存している空間。
ちょうど川と海が入り混じるラグーンのような汽水領域のようでもある。
看板は地酒のメーカー各社が協賛して「浅見」さんに据え付けたらしい。
その金文字が微妙に剥落を見せていて、歳月を感じさせる。
こういう「歳月感」は、どうにも抗いがたい人間くささで迫ってくる(笑)。

かつて日本社会は都市住民を「長屋」という建築で受け止め、
そうしたかれらに、この写真のような句読点空間を装置させていた。
住居から勤め先への行き帰り、こうした空間は、
「都市生活」の重要な因子として存在してきたのだと思う。
こういう空気感の最後の体験者として、自分たちのような年代が
そういう年回りになって来たのかも知れないと、ふと気付かされていました。
コメント
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