三木奎吾の住宅探訪記 2nd

北海道の住宅メディア人が住まいの過去・現在・未来を探索します。
(旧タイトル:性能とデザイン いい家大研究)

茶室

2009年07月03日 07時18分30秒 | Weblog



写真は仙台の青葉城近くの緑地に建てられている茶室。
伊達家の由緒があるような建築なのだろうと思います。
日本全国を歩くことが多いのですが、
まぁ、おしなべて本州以南地域では
こういう地域を代表するような茶室建築が遺されている。
たぶん、高級接待場所として
権力者周辺の交際の場所として活用されてきたのだろうと思います。
千利休ばかりでなく、
茶の世界は時の権力者を虜にして
その庇護を得て、その世界観を世に普及させてきた。

茶って、そのそもそもはアジア世界からの輸入。
宗教的な体験を補強するような
というか、宗教概念と一体となった体験をさせることで、
ひとびとの心の中に味わいとともに文化性を注入してきたものでしょう。
そういった背景の中で、
大航海時代の陶器の世界交流みたいなことが相まって
日本独特な「茶道」というような世界が成立したと思います。
一方で、利休さん他、
建築的な美的世界への感受性を発揮する作家たち、
小堀遠州みたいなひとが
一種の建築家として、多くの仕事を後世に残している。
このあたり、歴史的には江戸初期の大名庭園造成ブームというものも
こういう世界の成立に大きくあずかっていたと思われる。

表現行為である以上、
世界観の表現が追求され、
「わびさび」というような世界観を語ったのでしょうね。
芸術性と建築表現が、渾然となった世界だったのでしょう。
戦国期からの武士階級の死生観ともあいまって
こういった精神性が美的感受性とからみあって
この写真のように、独特な茶室表現が全国に広がってきた。
そういう背景の中にあるのでしょうが、
茶室というと、そういった精神性を重視するので
定められた作法通りに作っていくと、
たとえば北海道では、耐えられないほどに寒々しい空間になってしまう。
文化をありがたがるのはいいけれど、
ひたすらに文化のために、堪え忍ぶような空間性になってしまう。
簡素な世界観を語り合うのはいいけれど、
凍え死ぬような場所ではなかなか難しい(笑)。
茶室の世界で、北海道や東北の風土にふさわしい建築デザインについて
論議があったということは聞いたことがない。
どうなんでしょうか。
なんとか半年だけ使える施設として考えよ、
というように考えるべきなんでしょうか。
・・・っていうようなことをいつも考えています。




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