三木奎吾の住宅探訪記 2nd

北海道の住宅メディア人が住まいの過去・現在・未来を探索します。
(旧タイトル:性能とデザイン いい家大研究)

【ニッポン衛生史、秋田城「水洗トイレ」事始め】

2018年12月11日 06時41分44秒 | Weblog


秋田の西方設計・西方里見さんから情報があった。
かねてから興味を持っていた「秋田城」〜江戸期に佐竹氏が築城した
現在の秋田城ではなく、奈良・平安期に作られ、
主に対外公館的な意味合いの強かった秋田城の方ですが、
こちらの写真が氏の投稿でWEBに公開されていました。
たいへん強い興味を持っているので、今度実地に見に行きたいのですが、
西方さんから了解もあったので写真を使わせていただきます。

写真の通り、この秋田城には「水洗トイレ」が作られていたのです。
秋田城の創建は730年頃とされているので、
いまから1300年前にすでにこういう衛生思想が日本にはあったことになる。
西方さんから送られてきた写真では、外観から
内部のトイレの様子、便器としての受けの陶器の様子、
さらには水で流されたあとのため池的なものまでが収められている。
トイレには巨大な水甕もあるので、排泄後水で流す意図も明瞭に伝わってくる。
この秋田城には創建当時から、いまのアジア北東部に成立した「渤海国」
からの外交使節が何度も来日したという記録が残されている。
この渤海からの外交使節を接遇することが秋田城の主要目的ともいわれ、
このトイレはそういう外交目的の装置ともいわれる。
「おお、この国には見たこともないトイレがある。文化国だ!」と。
数十年前から司馬遼太郎さんの記述でこうした古施設の存在を知り
知的興奮を掻き立てられていたのですが、
どうやら秋田城復元工事が進捗して、復元されているようです。
現地秋田には、そういう復元が可能なほどに情報が残っていたのでしょうか?
場所の特定が可能になった根拠とか、知りたいことは山ほどあるけれど、
そのあたりの探訪は現地で楽しみにしていたいと思っています。

そういった興味とは別に、
現代に繋がる「衛生思想」の発展史と考えてこの水洗トイレは面白い。
古来トイレは穴を掘って用便して植物の葉で処理し、その後は土を被覆したか、
水辺では「水に流す」というのが人類一般だったのだろうと思います。
そういった習慣性からそれが建築に機能として反映していった。
ニッポンでは中国に成立した古代国家を模倣して奈良に平城京という
本格的な「都市」が形成されたけれど、慢性的な衛生問題に悩まされて
疫病の発生が頻発したとされます。
都市・奈良のそうした限界から、より「水利」に恵まれた平安京が造営された。
人類発展の過程で、この衛生問題の解決は都市集住を可能にして
大規模な権力機構の発展からさらに「情報文化」の醸成をも促したと思われる。
たとえ対外公館機能建築遺構ではあっても、
こういう思想と建築技術がニッポンという社会には根付いて存在していたことを
この施設は明瞭に示してくれています。
都市と疫病との相関関係は中世ヨーロッパでもあった大問題。
ペストなどの大流行は人類の危機でもあったけれど、
同時代のニッポン江戸社会では水利も大発展し、
エコロジカルな排便・貯蔵・肥料への再利用という循環社会が成立していた。
多雨で水利に恵まれているという列島環境の中で、
こういう「衛生」の発展史という側面で、まさにこの秋田の水洗トイレは
大変貴重な遺構だと思います。すごい。
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