三木奎吾の住宅探訪記 2nd

北海道の住宅メディア人が住まいの過去・現在・未来を探索します。
(旧タイトル:性能とデザイン いい家大研究)

学童保育

2008年03月31日 06時18分12秒 | こちら発行人です

わが家は夫婦とも仕事をしています。
そういうように決めて生きてきましたので、必然的に
こどもの養育については保育所に預かってもらってきました。
ご存知のように保育園は法律的には
「保育に欠ける」児童への「福祉」として行われています。
その点、幼稚園は「児童教育」の一環であり、全然別物なんですね。
一方は文部科学省の管轄であり、もう一方は厚生労働省の管轄という違いがある。
福祉という以上、国の政策としては色々な制約があり、
小学校に入学すると、基本的にはその対象から外れる。
しかし、一方で先進国はどこでもそうだと思うのですが、
労働力の不足から女性の社会参加が必然の流れ。
女性も一生涯を貫くような仕事を持つのが当然の流れになってきている。
そのときに、こどもの養育についていつまでも
「保育に欠ける」という認識で対処しようというのは社会的におかしい。
こどもの世界では、昔とは違って、ガキ大将によって統括されていた
「遊びを中心としたこども社会」というものが、ほぼ社会的になくなっている。
したがって、下校後のこどもたちがお互いに「育ち合う」ような環境がない。
各地域には「児童会館」という「場所」はあるけれど、
あれは「こどもを管理している」というだけの存在。
教育でもなければ、人格涵養のための存在でもありえない。
実際にわが家でも、小学校1年生の一時期、行かせたりはしたのですが、
ちょっと絶望的な環境だったのです。

そんな思いを同じくする保育園時代の親たちで
その地域に立派な児童会館が存在する地域で、学童保育を立ち上げました。
ウチの坊主は地域も違ったのですが、そこの立ち上げのために
遠距離ながら通わせていました。
まぁ、遠いので土曜日や夏冬の休みのときなどが中心でしたけれど。
初めて取り組むというのは、社会的にも摩擦があり、
資金的にも行き詰まったりもします。また、ひとがすることなので
やはり行き違いとか、考えの相違なども表面化します。
事業を始める、というのとまったく同等の苦労がともなうものです。
そういういろいろ万感の思いを注いでみんなでやってきた
学童保育だったのですが、きのう、めでたくわが子を含めた
第1期生4人が「卒所」式を迎えることができました。
はじめるとき、「10人以上」という要件が求められ、
人集めに苦労したことがついこの間のことなのですが、
いまでは、50人を超えるような大人数にふくれあがり、
逆に母体になったと言える保育園からも憧憬されるような存在になってくれました。
そんな現状を反映して、きのうの式は立派なホテル並みの会場での盛大なもの。
しかも、創設時からの指導員のひとりが沖縄出身ということもあって
みんなで取り組んでいる「エイサー」で名高くなっていて、
そのエイサーでにぎやかに卒所を祝う楽しいものになりました。
こうした環境の中で、わが子ものびのびとした空気を満喫していたようです。
まぁ、ちょっと満喫しすぎな面はあるようですが(笑)・・・。
ちょっぴり寂しくて、でもはじけるように楽しくて、
こどもたちの笑い声・笑顔が底抜けにうれしかった一日でした。
これからも、次のこどもたちが主役になって
明るい学童保育を続けて欲しいと思います。長い間、ありがとうございました。
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