城郭の壁って、白い壁としか印象を持たないものですが、
その作りようが会津城内に展示されていまして、コンクリートのない時代に
鉄砲への防御性能をどう高めるべきか、の工夫というか、努力の跡がわかりました。
この城壁、維新戦争時には、新政府軍の大砲の砲弾を無数に浴びて
穴だらけにされたのだそうです。
そのうえで、勝者の新政府軍はこの城を棄却したのですね。
しかし、地域の人たちの城への愛着が
こうした復元工事となり、今日に城郭は遺されているわけ。
こんにちであれば、一般的な住宅であれば、石膏ボードを張って
そのうえからクロスを貼るなり、珪藻土などを塗るなりして仕上げます。
非常に簡便に出来るわけですが、
そういう便利なもののない時代、ひたすら人力で手仕事を架けていきます。
この写真のように、竹で格子状に柱間に下地を作ります。
それをワラ縄でしっかり固定させる。
竹小舞下地というのだそうです。
それに対して、土を何回も何回も塗っていく、という作業。
最終仕上げの漆喰塗りまで、
なんと、この会津城では復元時、十数回の左官作業を繰り返したのだそうです。
全体では1年半、工期がかかったとか。
逆に言うと、こんにちではこういう作業が簡略化されて
左官仕事が減っていき、手仕事の良さの部分が失われていっているのですね。
まぁ、今日の工法の結果、壁の中にグラスウールが充填されて
断熱されていくわけですが、こういう伝統的な工法を生かしながら
現代の断熱工法を行っている事例などもあります。
今日の壁の作られようとはあまりにも違いがある、
まさに手間を掛けた、人間の手業の残る、作られようですね。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます