三木奎吾の住宅探訪記 2nd

北海道の住宅メディア人が住まいの過去・現在・未来を探索します。
(旧タイトル:性能とデザイン いい家大研究)

江戸期の大名ガーデニング

2006年09月07日 05時50分12秒 | Weblog

先日、会津に行って参りました。
以前から東北のなかで会津だけなかなか行けなかったので、気になっておりました。
会津は要衝の地であり、本来であれば、「福島」県ではなく
「会津県」で良かった文化伝統にも満ちた地域。
維新戦争の結果、政治的にもっとも損な役回りを、
それこそ、「会津っぽ」らしく引き受けた誇らしく悲劇的な歴史を持っています。
当時の政治情勢の中で、権謀術策うずまいていた京都政界で
政治家としてはあまりにも稚拙で純粋すぎた当主をいだいていたのでしょう。
ただし、わたしたちの維新史のなかで、会津が果たした役割という意味は
決して小さくはないと思います。
筋を訴え、天下の軍を引き受けても節義を重んじて殉じた
その姿勢が、日本近代に一本の筋を通したと考えるのです。
いわば政治的にはまったく敗北したけれど、
精神文化としては、ひとつの典型を啓示したといえるでしょうね。
かくいうわたしも、そういう部分に惹かれるものがあって
どうしても一度、会津の地に触れてみたい思いがあった次第。
ということで、とりあえず駆け足で歩いてみました。

写真は会津松平氏の作庭による「御薬園」。
江戸期初期、大名たちによる庭造りがブームを迎え、
兼六園などが著名ですが、各地にいろいろな庭園が造作されました。
そういう時期に広く活躍していたのが小堀遠州というひと。
「遠州流」という体系化された作庭術の開祖とされた人物。
ま、いってみれば広い意味では、特殊な建築家ともいえますね。
この庭は、小堀遠州さんの死後、その流れをくむ目黒浄定というひとの作とされます。
このように、造られた庭に対しての近代的自我としての作者名が遺されている、
そのこと自体、たいへん建築的であると思います。
写真は、「この位置から見る眺めがいちばん」とされた位置からの眺望。
どうもこういうの、決めつけられるのは好きではないですが・・・。

一見での訪問者ですので、まずはオーソドックスに従って。
こういう山水を、素になる地形を生かしながら作っていくのですね。
そのなかで当然ですが、茶室・茶亭が重要な点景。
ロケーション造園としては、たいへんわかりやすいと思います。
確かにいろいろな絵画的要素が寄り集まって
オーケストラのような景観を形作っていますね。美麗なガーデニングです。
建築の方では、会津はかなりの寒冷地ですが、まずそういう配慮は
皆目見あたりません。
むしろ、文化先進地の京都などの建築スタイル文化を「そのまま」
それぞれの地域で「も」、存在させることが
日本の封建地域権力者の権威誇示の伝統的基本スタイルだったのかも知れません。

まぁしかし、この庭の工費を考えてみましたが、
すごいものですよね。
そうは生産力が大きくない時代に、こういうものに文化的浪費を
楽しんでいたのですね。すげーなぁ、と。
ということで、会津探訪、またときどき触れたいと思います。
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