写真は釧路の春採湖畔に建つ釧路市博物館。
建築家・毛綱毅曠さんの設計になる公共建築です。
かれは若くして日本建築学会賞を受賞された建築家ですが、
惜しくも、若くして世を去っています。
はじめてReplanの取材で釧路を訪れたとき、ノーアポイントで
当時、お母さんがひとり暮らしをされていた実家の住宅「反住器」を
見に行き、一部写真も撮らせてもらったことがあります。
四角いガラスボックスの中に入れ子状に居住部分を仕舞い込んでいる建物。
その前衛的なフォルムは、建築への意志を明瞭に感じさせてくれるものでした。
そんな建築家の作品をなるべく数多く残すのが
地域公共団体としての役割だと考えていた市長さんが
できるかぎり「随意契約」で、公共建築を建築家・毛綱毅曠さんに依頼していました。
この釧路市博物館は、その代表的なもの。
ごらんのように建物全体がまるで、鶴が翼を広げたような外観。
立地も、申し分なく、ゆったりとした背景のなかにあります。
まだ、なまなましい近い時代でのことなので、
なかなか評価が定まりにくいだろうと思われるのですが、
現在でも、たしかに釧路は北海道の都市の中でも
ちょっと景観的には異色の存在になっていると思います。
かれが手がけたものは、釧路湿原展望台まで及んでいて、
折からの湿原観光などで訪れる全国からの来訪者に釧路をプレゼンテーションし続けている。
わたし自身も住宅を取材したりしたので、
インスピレーションの部分で、その特異性を肯定気味なのですが、
本当の評価は、地域のみなさんの釧路への思いや
全国から訪れるみなさんの街並みの印象への部分になっていくのだと思います。
経済的に苦況である釧路地域ですが
現状でも、なんとなく特色があって、ユニークな地域形成を感じる。
建築って、繰り返し感受され続けていくものなので、
こうした地域環境の中で育つこどもたちが
いったいどのように釧路という街を思い出すことになるのか、
定まってくる評価の部分って、そういうものでしょうね。
でも、毛綱毅曠さんの感覚世界は
一種宗教的でもあるような、独特なバイタリティを感じます。
それもなにか、地域的というか、土着的というか、
もっと言えば、縄文的とでも言えるような感受性世界のような気がします。
ちょっと興味深い実験を、地域としての釧路は選び取り、
いま、静かに評価を待っているというような思いがあります。
みなさん、いかが感じられるでしょうか?
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