三木奎吾の住宅探訪記 2nd

北海道の住宅メディア人が住まいの過去・現在・未来を探索します。
(旧タイトル:性能とデザイン いい家大研究)

築地塀

2008年09月20日 08時32分50秒 | Weblog



写真は東京芝増上寺の築地塀です。
築地塀って、上等の建築区画を一般世間から画する装置。
古代の東北地方の城柵では、権力の象徴として
整然とした直線の築地塀が結界として使用されていました。
というようなものですが、
さすがは増上寺、徳川氏が江戸に入城して結局、菩提寺の地位を獲得したことで、
大繁栄することになって、権力を誇る築地塀にも格式が表れている。

築地塀(ついじべい)とは泥土をつき固めて作った塀。単に「築地」(ついじ)ともいう。石垣の基礎に柱を立てて貫を通した骨組みを木枠で挟み、そこに練り土を入れて棒でつき固める「版築」という方法で作られる物が多い。塀の上には簡便な小屋組を設け、瓦や板などで葺いたものが多く見られる。古くより貴族の邸宅や寺院、官舎などに見られ、現在でも御所や寺院などで見られる。(Wikkipediaより)

という一般的な工法ではないように、この築地塀は感じられます。
なにより、平版のような石が土の中にサンドイッチされている。
っていうか、見た目では平版を積み重ねたように感じる。
その石も、やはり立派そうな石なので、
やっぱり、その富や繁栄ぶりを表現する意匠性にこだわったものでしょう。
そうした建築工法で作られているので、
高い耐久性を誇っているものと思います。
頂部には小屋も架けられていて、雨による劣化に対しても防御されている。
戦争での被害はなかったのか、わかりませんが、
作られようをみていると、相当の長期間使用に耐えられそうな作りです。
デザイン的に見ると、
礎石のゆがみが、そのまま表現されていて、アクセントになっていて
まぁ、飽きることがない印象ですね。
また、微妙な苔むした色合いも楽しくて、変化にも富んでいると思います。

英語圏では、家の中の壁も、このような区画用の塀も
WALLという同一言語が当てられるそうですが、
そう考えると、日本では木造で建てられる建築の方は壁、というようではなく、
むしろ、西洋的な意味合いのWALLというのは、
このような塀を意味することの方が大きいのではないかと感じますね。
このあたり、日本的ということのなにごとかが
表現されているようにも思います。


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和風住宅の「こだわり」

2008年09月19日 06時42分36秒 | Weblog



写真は先日見学した増毛町の本間家住宅から。
ケータイの写真なので、すいません、ややピンぼけ。
明治以降、たいへんな豪商として富を築いた家なので、
当時としては、粋を凝らしたような住宅を造り上げていたのですね。
でも、その住宅技術の向かう先はひたすら和風のディテール。
せっかく、豪華な資金を考えている施主さんなのですから、
「家をあたたかくする」ということにもう少し目を向けてもいいのではないかと
思うのですが、けっしてそうはならない。
やはり、当時本州から出稼ぎで来ていただろう大工棟梁個人のできることには限度があるし、
そういう研究をする技術伝統が、和風住宅にはない。
やはりひたすら「花鳥風月を愛でる」というような興味にしか向かわないのですね。
当時としてはやはり無理からぬところでしょうか。
窓にガラスを入れたりしていますが、
そのほか、住宅建築としては温熱的な工夫は特段見られない。
やはり家人は寒さに耐えられず、後工事でストーブのための穴を開けたりしている。
まぁ、当然でしょうね。
で、写真では見えにくいのですが、
こだわりは、ひたすら和風住宅のディテールに集約されていきます。
写真は貴賓室の床の間に並んでいる押し入れ下部の様子。
横にされた仕上げ木材を、彫り込んでウェーブ状に仕上げているのです。
どういうデザイン的な意味合いが込められているのか、
いまとなっては、証言もないわけですが、
こういう仕上げに至るまでの手間を考えると、
相当なこだわりぶりだと推察することができます。
ウェーブ状にして、そのうえ、磨き込んでもいるのですね。
なので、確かに一種面白い効果は出していると思われますが、
どうも、豪華さの実感という意味では伝わってはこない。

この部屋では、東南アジア原産という銘木が床柱に使われたりもしています。
また、壁も漆喰に墨を混入させる仕上げもされていました。
ただし、たぶんその後の改装工事に際して
漆喰の職人技術がなかったのか、一部の壁には土塗り仕上げが施されていました。
まぁ、北海道では漆喰の壁はメンテナンスが難しい。
南東側には暑寒別岳が眺望でき、北西側には日本海が望まれる
眺望はなんとも豪快で、絶景が堪能できます。
しかし、それは半年のことだっただろうと思います。
まぁ、冬場には日本海が荒れて貴賓が訪れることもなかったのだと思われます。

和風木造で、数寄屋風の建築というのは、
なかなか、北海道ではそのままでは存続がきびしいなぁというのが実感。
しかし、日本文化は基本的に中央に対して同化するという動機が強い文化。
どんなに気候風土が違っても、
「こんなところでも、結構な住宅があるんですね」
というようなことに高い価値観を持ち続けてきたのだと思います。
そういう意味では、北海道で断熱気密の技術が進んで、
あたたかい家、ということを追求しはじめたというのは
日本文化的に、きわめて稀有な事態なのではないかとも思われます。
で、そういう寒冷地住宅技術文化とでもいえるものが、
文化の中心地に対して「違う住宅文化」として存続し続けていけるのかどうか、
あるいは日本文化の中心地に逆に影響力を持っていくことができるものかどうか、
ある意味では、歴史的に珍しいことが
いま、進行しているのかも知れないと思うこの頃です。



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へぎそば乾麺

2008年09月18日 06時08分24秒 | Weblog



しばらく切らしていた新潟十日町のへぎそば、
久しぶりに注文いたしまして、きのう送られてきました。
布海苔をつなぎに使った、おいしい乾麺です。
本誌の主要なカメラマンさんから以前に一度いただいてから、
すっかり病みつきになり、やっぱり日本一うまい乾麺ではないかと思っています。

新潟って、どうしてそばがこんなに有名になったのか、
ちょっとおかしいなぁと思っていたのですが、
布海苔入りのへぎそばっていうのは、比較的にあたらしいものだそうですね。
伝統的にコメが採れにくい痩せた地味の地域の主要作物がそばだったのですから、
信州とか、山形県とかが有名なのはわかるのですが、
コメの生産でもっとも有名な新潟県がそばでも有名になったというのは、
やっぱりつなぎに海草を使って独特の風合いをもたらせたのが大きいのでしょう。
食感や、のどごしのさわやかさは、格別だと思います。
この段ボールに20袋入っていて、6000円(送料別)。
家族の一回の食事で1袋使い切るので、
一食300円の主食費になります。
まぁ、価格的には乾麺としては高いと思いますね。

でもまぁ、こうして送られてきたのを見ると、
食欲が盛り上がってきて、うれしくなる、っていうのも得難い感覚。
たまにちょっとした、こだわりをしてみるのも楽しい。
食後には、友人から送ってもらったナシ・・・って、
そうですね、こっちも触れなければならなかったのです。
千葉県産のナシなんですが、
いわく、
幸水・豊水・香(かおり)・新高とありますが、二十世紀と長十朗をかけたこれら関東の梨の中、私は二十世紀部分の多い、みずみずしい、舌触りの良い、酸味のある豊水が一番好きです!
というヤツを頂戴いたしまして、食べさせてもらってます。
これがなんとも豊かなみずみずしさを味わえる一品。
「食育」関係の仕事をしている友人なので、
やっぱりおいしいものはよくわかっているようです。

ということで、まだまだ暑い日もあるのですが、
味覚の秋にふさわしい話題ということで(笑)・・・、ではでは。


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津軽の古地図

2008年09月17日 06時03分15秒 | Weblog



写真は十三湊の歴史資料館で見た江戸の頃の古地図。
十三湊というのは、隣接する汽水湖・十三湖を介して内陸の津軽地方の
玄関口を成していることを表現しているようです。
岩木川がそういう水運に使われていただろうことは明らかですね。
なので、きのう触れたような五所川原の街の産業が古代から
発展する素地があった。
五所川原で生産された須恵器土器が、十三湊を介して
広く北方世界に、っていうか、北海道地域に
輸出されていった、というワケなんですね。
北海道生まれのわたしなんかにしてみると、
こういう考古的年代から、人文的歴史ともつながってくる具体的な
証のような状況が明らかになってくるのは、ワクワクする世界。
北海道の歴史は、明治以前は文字を持たない人々の世界なので、
具体的なイメージを把握することができない。
シャクシャインの反乱から、蠣崎(松前)氏の支配というような時代まで、
なかなか、具体的な事実関係が見えてこないのですね。
郷土にそういう「よすが」がないというのはちょっと寂しいものなんです。
でもその分、想像力を働かせるしかないので、楽しみもあるとは言えますが・・・。
そんななか、やはり一番近い地域から、
交流の痕跡が見えてくると言うのが単純にうれしい。

可能な限りに須恵器土器を満載した船で岩木川を下っていって、
十三湖にたどりつき、十三湊に出て、そこで荷物を海上輸送用の船に積み替える。
そこから津軽海峡を越えて、歴史年代的には「檫文文化人」の世界に運び込まれる。
この間で、どのような交流があり、
どのような交易実態が展開したのか、興味が深くなってきます。
9世紀から10世紀の時代と言うこと。
ちょうど日本の時代区分で言えば、平安時代になりますね。
もちろん、この時代、津軽地域には日本の国家制度は及んでいないとされる。
しかし、農耕文化が行われていないとは言えない。
コメ生産が定常的に営まれていたのかも不明。
しかし、弥生時代のコメ生産活動の遺跡などは津軽地方で発見される。
日本の国家拡張活動は、ようするにコメ生産システムの拡大をあらわしているとも言えるので、
律令国家体制で、その体制の中に組み入れられていないと言うことは、
コメ生産はあったとしても、ごく限定的なものだったのでしょう。
そういう状況のなかでの経済交易は、
どのようなものであったのか、
わざわざ、交易品としての須恵器土器生産工房を作るということは
かなり目的的な行為ということが出来ます。
その交易実態をもっと知りたくなります。

きっと、失われている北海道の地域の記憶、というような思いが
こんなことに興味を掻き立てられている一番の動機なのでしょうね。
きわめて限定地域的な興味で、多くの地域のみなさんには申し訳ありません。
でもやっぱり、まだまだ、こういうテーマ、止められません(笑)。



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五所川原・立ねぷた

2008年09月16日 06時07分11秒 | Weblog



五所川原の街を歩いていたら、発見した大きな建物。
予備知識もなく、建築探訪のつもりで入ってみたら、
これが、五所川原名物・立ちねぷたの展示館になっておりました。
立ちねぷたは高さが20mもあり、
合計3騎あるのだそうですが、それをしまっておく場所って
確かに大変だろうと思われますね。
そんなことで、公共事業として、市の施設なのか、
こういう大きな建築を作っていると言うことだそうです。
津軽北部地方って、今回の訪問でいろいろ興味も湧いて調べたのですが、
考古年代では遮光土偶で知られる亀岡遺跡での土偶生産。
それから時代を下ると、五所川原地域で対北海道との交易の主要産品となった
「須恵器」の生産。そして、このような巨大ねぷたの製造と、
なにか、ものづくりの伝統のようなものが感じられてなりません。

須恵器について、Wikkipediaを見ると、
9世紀末から10世紀にかけて操業した五所川原窯で、津軽平野にある。当時日本の支配領域の外か外縁にあった五所川原窯からは、地元の津軽半島だけでなく、北海道まで製品が送り出された。
という記述が見られます。
須恵器はヤマト朝廷権力の独占的な陶器生産技術なので、
それがこの時代の五所川原に存在したのはどういう経緯なのか、
十三湊にあった福島城との関連を考えると、
整合性がありそうな気がするのだけれど、王朝側の正史には、
福島城が古代城柵として築かれたという記述は見られないということ。
むしろ、北海道に本拠を持つ「擦文文化人」~アイヌ以前の北海道人~の
城柵づくりではないのか、という指摘が成されているようです。
ちょうどこの時期というのは、直線距離にして200kmくらいの
胆沢城地方で、安倍氏が大きな勢力を築いていた時期とも重なります。
飛躍して考えれば、胆沢城地域の有力者となった安倍氏勢力が、
胆沢城の職工を五所川原に連れて行って、
須恵器の工房を作らせて、北方勢力に対しての主要交易品として生産した。
それが、大量の鷹の羽とか、海獣の皮革、などといった蝦夷地交易になって
安倍氏の富強を支えたのではないか?
いやむしろ、安倍氏というのは「擦文文化人」との関連性が高い氏族だったのではないか?
というような疑問、仮説が頭のなかを駆けめぐってくる次第なのです(笑)。

ということなのですが、
確かに、五所川原の立ちねぷたの様相を見ていると、
あまり純日本的文化のにおいは感じられない部分がある。
より、土着的で、縄文的な感覚が感じられる、
と、考えるのはわたしだけでしょうか?




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かまぼこ探し・増毛散歩

2008年09月15日 08時33分29秒 | Weblog



すごくいい天気が続いているので、
日頃のストレス解消ということで、日本海岸を北上して増毛まで
遠出してきました。
とくに目的はなく、カミさんとぶらり旅です。
まぁ、目的といえば前日も食べたおいしいかまぼこを探すことくらい(笑)。
どうも「かまぼこ」揚げたてっていうのにハマった感じでしょうか(笑)。
うまいんですよね、これが。
寿司とか、新鮮な魚ももちろんいいけれど、
下魚をミンチにして、練り製品にして揚げて食する、かまぼこって、
産地偽装だとか、ブランド崇拝とかもともとなさそうで、
味は、まずはずれがなくおいしい。
値段も、だいたいが安いと相場がきまっている。
おととい、小樽の「かま栄」さんで買ってきて食べたヤツは、
大ぶりの揚げたてで、6枚購入して、千円しない。
カミさんとすぐに車内で小腹を満足させたあと、
帰ってからの夕食でも立派に一品になっている。
っていうことで、食品不安時代のささやかな清涼感とでもいえそうな食べもの。
もともと、魚の練り製品であって、魚のうまみをブレンドで引き出す
というコンセプトなので、ウソ偽りは逆にない食品だと思うのです。

そんなことだったので、札幌からは130kmくらい離れている
日本海側のほうでのおいしい店を探そうか、くらいのリフレッシュ目的。
ただし、街を歩いているとつい、旧家とかに目が行ってしまいます。
増毛というと、旧本間家というのが重要文化財指定を受けた建築。
見てきたのですが、どうも重要文化財としては保存方法が?
という疑問もいくつか、ありました。・・・けれど、
案内していただいた方たちはたいへん熱心に説明していただけました。
最後まで、いろいろな質問に丁寧に答えていただき、
本当にたのしく見学することができました。ありがとうございます。
って本当にすいません、質問ばっかりしまくって・・・(笑)。

で、写真は持っていかなかったので、
ケータイ写真、ピンぼけなのでした・・・(涙)。
そんななかで、唯一まともに写っていたのが
この古色蒼然とした増毛駅前旅館の建物。
ニシン漁などでにぎわった時代を感じさせる建物ですが、
なんとも、こういう建築がタイムスリップして残ったまんまなんですね。
もちろん、営業はとうの昔に終わっているのだそうです。
築70~80年は感じさせるものですから、
木造3階建ての必要構造は達成されていないだろうことは明白。
本来であれば、取り壊されるべきなのでしょうが、
このように残ってくれているというのも、素晴らしいと言えるかも知れません。

さて、かまぼこの方は、おあつらえ向きに揚げたてスナック風の小さい小屋があって、
なかなか繁盛していたので、2人でパクついてみました。
しかし、聞いてみると地元ではなくどっかの出店なんだとか。
ということで、もうひとあし伸ばして留萌の地元商店街のなかの
小さな店舗、鈴木商店さんで詰め合わせ1500円相当を購入して帰ってきました。
よせばいいのに、夕日の絶景で知られる岩尾別でポチャンと夕日見物温泉入浴までしたので、
すっかり遅くなってしまった。
また坊主と、いっしょに食べようと考えたのですが、
帰り着いたのは夜8時すぎ。
なので、あえなくかまぼこは夫婦ふたりの、空腹のつなぎとして
全部収まってしまいました・・・。
ごめんな、坊主。という申し訳ない次第でした。



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浜離宮

2008年09月14日 07時18分15秒 | Weblog



浜離宮って、面白い作られかたをしている大名庭園です。
なぜか、江戸初期に各地の大名たちが贅を尽くした庭園造営を行っています。
そういう設計者には小堀遠州という造園家が名を残しています。
この浜離宮は、やや江戸中期に属する時期なので、
かれでないようですね。
しかし、その構想は雄大というか、すごいものです。
たぶん、海を埋め立てたか、一部を築地した土地に
池地を造成して、そこに海水を導入させて、その水量をコントロールして
結構を尽くした庭園として造り上げている。
こういう「海浜庭園」というか、海の上にあらたな造園を行うという
奇想を思いつき、実際に実現してしまう土木技術というのがあったのですね。
戦国期から江戸初期にかけての時代は、
こういう稀有壮大な土木技術が大きく盛り上がっていた時代。
きっと、安土城から始まる築城技術の土木部分が
独自に進化発展していったものだろうと思います。
城を造る技術という技術発展の動機が大きくなって
それに対応して、どんな場所にでも築城できまっせ、ということだったのでしょう。
戦争がいちばんの技術発展の契機になるということですね。
歴史の新しい段階での、飛行機や原爆の開発など
実例には事欠きません。

見立て上、海に浮かんだような休憩施設(写真真ん中の木造建築)からは
海上を渡ってくる海風(?)が心地よく肌を冷やしていってくれる。
新政府の江戸接収後は、皇室の庭園となり、
国賓の接待などに使われた様子が絵に描かれていました。
明治天皇が海外賓客をもてなしている様子。
冷房のない時代、こうした体感を求めて、ここまでの土木技術を動員した
という事実に、富の蓄積を見るのか、民衆からの搾取を見るのかは
考え方次第だとは思います。

現代では、浜離宮の代表的な景観スポットの後背に
ごらんのような高層ビル群が林立しています。
どちらもその時代の建築土木技術を動員したものですが、
このあいだに400年くらいの時間経過があります。
なんとも東京らしい景観だと思えてならないのですが、どう感じられるでしょう?


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都心の大寺院・芝増上寺

2008年09月13日 07時12分48秒 | Weblog



東京では芝・増上寺にほど近いホテルに投宿。
やはり朝の散歩は、広大な寺域を誇っているこちらに足を向けました。
ちょうど本殿にあたる「大殿」は修復工事中で、ネットがかかっておりました。
工事にあたっているのは、清水建設。
こういう国宝級の建築では、やはりこういうゼネコンが受注するケースが多い。
過去に見に行った大崎八幡宮とか、奥州市の立石寺など
大寺院の修復作業などでは、そういう面での技術要素が大きいのでしょうか?
ふしぎと清水建設の受注例にでくわしますね。
確か、京都の東本願寺もそうだったような記憶があります。

っていうような増上寺ですが、
門も、さすが都内中心地でもあり、鉄筋コンクリート製。
度重なる火災などで、まぁ、やむをえない構造選択なのでしょうが、
建築としてみると、やや寂しいものがある。
大殿内部が開いていたので、少し見学していましたが、
天井から降りる照明なども現代的なもので、まさに大型宗教施設、という印象。
そんなことで、ほかの寺域を歩いてみたら、
なんともめんこい地蔵さんがたくさん、風クルマを回している光景に目がとまりました。

千躰子育て地蔵尊
子育て安産に霊験あらたかとされる西向観音にちなみ、子供の無事成長、健康を願い昭和50年より順次奉安されております。毎年4月に大祭、7月には盆踊り大会が開催されます。

っていうような一隅でして、
なかなか壮観であります。
顔立ちはみんな子どものかわいらしさをたたえており、
それぞれに愛嬌があって、思わずほほえんできてしまいます。
みると、それぞれ花立てに○○家というネーミングが入っていましたので、
どれほどの布施料なのか、知るすべはありませんが、
こどもの健やかな成長を願っての親心が成せる技なのでしょうね。
大伽藍との調和・対比はなかなかにみごとなバランスを取っていまして、
長く残ってきた宗教施設というのは侮れない部分があると認識させられます。

多くが鉄筋コンクリート製なのですが、
一部、鐘突堂などは木造がわずかに残っておりました。
しかし、大殿正面を望むと、右手には東京タワーがそびえていて、
キッチュな都市の景観が展開もしてくれています。
この東京タワーも歴史的役割を終えて、
「史跡」として残っていこうか、というような諸行無常の現代。
歴史が複層的に交差しているふしぎ空間といえそうですね。



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優美な円窓

2008年09月12日 06時31分00秒 | Weblog


写真は五所川原で取材した住宅の内部のようす。
和風住宅の内部なのですが、玄関から主屋側がやや段差を持っており、
手すりのある5段ほどの階段を上ると、
長く広い廊下がつながっており、その手前左手にこの円窓がしつらえられている。

円窓って、まずは外部側に建具をこしらえる。
そこに障子を嵌め込み、明かり取りの用途を果たすように仕掛ける。
雨のことを考えれば、雨戸もその外側に造作しなければならない。
そうした保守管理のしやすさも考慮した設計が求められる。
で、塗り壁造作の竹木舞といわれる工程で、
円窓の大きさ、デザインに合わせて下地の作り方を工夫する。
この窓では、竹の組み上げにもデザイン的なポイントが感じられる。
細めの竹を2本組み合わせで使って、
繊細な感じを出しながら、強度的にも持つように考えられている。
その上で、塗り壁工事が左官屋さんの手で仕上げられていく。
まずは円窓の形状に十分に注意を払いながら、
エッジ部分の仕上げには、相当に丹念な手仕事が要求される。
きっと、職人さんの技量が決定的に試されるような仕事なんでしょうね。
鑑定団ではありませんが、「いい仕事していますね」(笑)、という部分。
一方で、障子の側にも桟の仕上げで実に優美なデザインが施されています。
一見すると、不規則性のデザインで、
竹木舞との陰影が生み出す軽やかさは、なんともいえない雰囲気が感じられる。
こういう円窓が、緑の中間色の壁の色合いの中に浮かんでいます。
壁も塗り壁なので、陰影感にまろやかさがあって、
竹や障子の桟の線の造形感との対比が、実に豊かさを感じさせてくれる。

こういうプロセスを想像してみると、
建築職人さんたちの集団的造形作業による「作品」という世界になります。
「和」の世界とか、よく言うけれど、
このように考えると、本当に言葉そのまま、
というような気がしてきますね。
ただ、壁下部が塗り壁ではなく、板壁になっているのがどうも解せない。
用を考えてこのようにしたものかどうか、不明。
でもイマイチ、不釣り合いな印象を持ってしまいます。
古い建築なので、何回かの改装を経験してきて、
本来のかたちからずれてきた結果なのかも知れません。
みごとで繊細な感覚の円窓とはやや似合っていないとは言えると思います。
あるいは、円窓の構造に関わっての必要部分なのでしょうか。

しかし、そういう点はあっても、
こういう雰囲気のある佇まいを演出する、円窓の素晴らしさは決して損なわれていない。
玄関からの導線のなかの最大の結界ポイントとして
こういう仕掛けを考えて活かしてきた日本の建築手法。
やっぱりすごいですね。
しばらく、この雰囲気の中に包まれていたいものだと、思った次第です。
また、こういうの、若い年代のみなさんはどう思われるものかなぁ、
ということも、頭をよぎりますね。どうなのかなぁ?



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パソコントラブル

2008年09月11日 06時22分13秒 | Weblog



先週は五所川原と盛岡2箇所で連続で講演をしていました。
わたしは講演では必ずPowerpointのデータを作成して見せながら、
お話しを進めていきます。
与えられた住宅についてのテーマで、最新の写真などで構成した資料を作成するのです。
だいたい、講演の1~2週間前には作成作業にかかり、
前日までにはデータの構成をまとめておくことにしています。

で、先週は五所川原の講演が終わって、
その後、少々時間があったので、ホテルにチェックインして、
なにげにパソコンを起動させると、
これが起動しない・・・、っておい・・・。
翌々日には盛岡での講演があるので、若干のデータ修正も必要だし、
第一、データのバックアップもとっていないんです!
ちょっと焦って、なんども再起動をかけたりさせたのですが、
起動途中で停まってしまう。
思い出してみると、パソコン(わたしはMacBookPro)とプロジェクターを
つないだときに、プロジェクターの調子が悪くて
色味調整にずいぶん時間をかけたあげく、結局、機種を交換していた。
そういうことがあったので、プロジェクター側の設定変更やら再起動やらの
いろいろな「調整作業」が、こっちに影響を与えたのか?
まぁ、原因を考えるのはその程度しか思いつかないけれど、
とにかくも、起動してくれないことにはどうしようもない(汗)。

五所川原では、Macのレスキューについて相談できるところがない。
札幌のいつものNCRさんに連絡を取ったら、
いろいろと相談には乗ってくれることにはなったが、
緊急の打開策は思い浮かんでこない。時間をください、ということで、
こちらも食事の約束があったので、パソコンの電源を強制的に落として、
その場を離れることにいたしました。
場合によっては、翌日、仙台に行ってMacのショップに行かなければならないかも知れない。
っていうようなことですが、
まぁ、食事の機会はいろいろ情報交換に有意義に過ごしておりました。
とはいえ、データのことを考えると、お酒も酔いがさっぱり回ってこない。
食事途中にも、NCRさんからレスキュー手段の連絡が入ったりして
時間が遅くなっても、ケータイ番号を教えてくれて
なんとかレスキューを手伝ってくれるというありがたい申し出。
やっぱりこういうとき、うれしいものです。

で、食事が終わって10時くらいにホテルに戻り、
さっそく修復作業にかかりました。
おそるおそる起動させてみると、やや時間はゆっくりながら、
今度はなんと、一発で起動してくれるではありませんか!
どうも、OSの側で起動のシステムを探していて、それが発見できないという状態だったのです。
それが適度のパソコンの冷却時間を経て、
なんとか、システムを探し当ててくれたのですね。
心配していたシステムのクラッシュ状態はなかった。
起動してすぐにUSBメモリーに作成したデータを即、移動収録。
ひと安心してから、システムの設定状況のチェック。
そうすると、なぜか、起動システムの設定がはずれていることに気付きました・・・。
写真のような設定項目の場所で、書き換わっていたのですね。
なぜこんなことが起こるのか、
まぁ、やはりプロジェクターと交信状態で、プロジェクターの設定変更を行っていたのが、
こちらのハードウェアに干渉したものと推測されます。
このあたりになってくると、素人には理解不能な領域。

っていうようなトラブルに遭遇いたしまして、
一時は、たいへんな強行軍も覚悟した次第ですが、なんとか免れた次第。
とくに出張先でこういうトラブルって、まったくお手上げですよね。
バックアップは外付けHDを接続して自動で行っているのですが、
それはあくまで社内での環境。
出張中にこういうトラブルって、まぁ、参りますね。
どうすることも、Can not状態に追い込まれてしまいますね。
いずれにせよ、忘れた頃に必ずパソコントラブルはやってきますね(笑)。
くれぐれも、データのバックアップ、必要です。



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北海道・東北の住宅雑誌[Replan(リプラン)]|家づくり・住まいの相談・会社選び

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