三木奎吾の住宅探訪記 2nd

北海道の住宅メディア人が住まいの過去・現在・未来を探索します。
(旧タイトル:性能とデザイン いい家大研究)

奥州藤原氏、北海道厚真で「経塚」造営

2015年10月11日 06時27分00秒 | Weblog
3連休の初日。みなさんいかがお過ごしでしたでしょうか?
わたしは、沖縄にいる娘が友人の結婚式出席のために夕方に帰省。
本日は、その結婚式当日であります。
で、娘を空港まで迎えに行ったのですが、
同時に、千歳空港から25kmほど離れた「厚真町」にて、
最近、鑑定の結果が出て「常滑焼」と確定した出土陶器に関連した
考古学シンポジウムが開かれていた次第です。
娘を待つ間、わたしは、このシンポジウムを陶然と聞き入っておりました。

「遺跡が語るアイヌ文化の成立~11~14世紀の北海道と本州島」
と題されたシンポジウムであります。
この出土~鑑定にいたるプロセスは、歴史や考古学に興味のあるものにとって
まことにインパクトの巨大なものであります。
わたしのブログでも、このニュースが流れたときに
興奮とともに書きましたが、ついに北海道と奥州平泉政権との
直接的なつながりを示す物証が明らかになった、ということであって、
またその後の、鎌倉政権と北海道・厚真の交易関係の状況なども、
時間をかけることで、その姿の解明が進むものと思われるのです。
そういった状況についての報告が、いろいろな立場のみなさんから
開示されておりました。
どの報告も、これまでの常識を越える、この時代の実相に迫るもの。
写真の、平安末期の「威信材」である常滑焼陶器は、タイトル通り、
平泉政権が重視した仏教による鎮護国家思想にとって
政治的・宗教的にキモになる動機としての「経塚」であることは明白。
制作年代も1150年代と推定されるということで、
まさに奥州藤原氏が対北海道との交易拠点として
この厚真をネットワーク拠点としていたことが判明したのです。
経塚とは、この平安末期に仏教概念としての「末法思想」への文化的対応。
仏教思想がきちんと人々に伝わっていく時代が終わって
いわゆる「末法」、世も末という状況がやってくる、
そのときにまともな思想を伝える仏法が、人々から失せていく。
そうした世が56億7,000万年続いた後、
世が救われるのですが、そのときに正しい仏法を伝えるために
いわばタイムカプセルとして、後世に残すモノであったわけです。
こういった施設は、たとえば藤原道長も造営したりしている。
この時代を揺り動かした政治動機でもあったのですね。
そういった施設がこの北海道厚真にも造営されていたことが明らかになった。
考古学的な物証を起点にして、北海道の地域の歴史・アイヌ文化と
日本の歴史とがシンクロを始めると目されるのです。



きのうの発表だけでも町長さんのあいさつも含めて
7つの発表がありました。
で、本日も発表があった後、本格的な討論、シンポジウムが行われます。
わたしが著作を読み続けている旭川市博物館の瀬川拓郎さんも
コメンテーターとして発表される予定であります。
いろいろな発表を踏まえて、どんなコメントを聞くことができるか、
そういえば、弘前大学の斉藤利男先生も参加されているようで、
奥州藤原氏と、この時代の北海道側の交流、交易というものが、
どこまで肉薄した内容で語られるのか、
まことに興味津々といったところなのであります。
まぁ、一般のみなさんにとっては「なんじゃそれ」というところでしょうが(笑)
日本史が、一部、書き換えられていく可能性も高いのです。
北海道も、ついにこの時代から日本歴史のプレーヤー地域として
関与が確定していくのではないか、しっかりと聞いておきたいと思います。
ふ~~~む。
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金運霊験あらたか・金蛇水神社に祈願参詣

2015年10月10日 06時06分18秒 | Weblog


きのうは福島県白河での講演の帰り道。
札幌ー仙台飛行機往復で、さらにレンタカーで白河往復でしたが
飛行機の時間まで、数カ所を行脚しておりました。で、
宮城県岩沼の金運霊験あらたかと評判のパワースポットとしてつとに高名で
以前から尊崇申し上げていた金蛇水神社参詣であります。
由緒書きによると、天皇の佩刀制作を仰せつかった鍛冶職人が
天下に名水を求めて行脚した先に、この地に巡り来て
宮城平野に豊かな水を湧出させていたこの地の湧き水で
刀を打ち始めた。
ところが、湧き水がうれしいカエルたちの鳴き声が騒がしく、
刀匠の心が乱され続けた。
そこで刀匠は、ヘビの像をつくってやったところ、
カエルたちの鳴き声はピタッと止んだのだという。
で、無事に天皇の佩刀を制作することが出来たのだという。
まぁ、食物連鎖の天敵として、道理のあるお話しであります。
それと水はヘビや龍というのが神体として崇められるのが一般的。
以下、宮司さんのHPでのあいさつ文より。

金蛇水神社は金蛇沢と称される深い谷が仙台平野に流れ出す、
その谷の出口に鎮座しており、典型的な水神信仰の霊場です。
巳のお姿をご神体としていることから、古来、商売繁昌・金運円満や
厄除開運・病気平癒、さらには海上安全・大漁満足などの願いを
かなえてくださる神様として広く信仰を集めております。

ということで、まことに結構な神さま。ということなので、
ふだんのお賽銭とは大違いで、格段に奮発させていただきました(笑)。
どうもわたしのような人がたいへん多いそうで、
神頼みに訪れる方が絶えないのだそうであります。
しかし、参拝してふと前を見たら、
正面に一番上の写真のような飾り付けがありました。
鍛冶職人さんという縁起から、金物が据えられているのですが、
その真ん中に「金」という文字が造作されている。
なんともはや、羞恥もなにもなく、そのものずばりであります。
ものすごい。
わかりやすく、親しみを感じさせていただいた次第であります。
もう笑うしかない、でも、ありがたや。





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福島白河での講演、無事終了

2015年10月09日 05時43分09秒 | Weblog


超巨大台風による被害の知らせが札幌のひとから
ときどき入ってくる中、前日仙台に入ってひと安心していましたが、
しかし朝から仙台を出て、福島県白河までのクルマでの移動でも
道中、結構なハンドルの取られよう。
本州から相当に距離は離れているはずなのに
風はなかなかな暴風が時折吹いておりました。
で、講演会の開始は14時過ぎからなので、
やや早めに着きそうだったので
白河を通り過ぎて、那須高原まで立ち寄って
周辺を散歩したりしておりました。

で、講演は無事に任務を完了させることが出来ました。
今回は約90分のオーダーで、テーマも大きめの設定をいただいたので、
用意してきたスライドの枚数は、180枚超になってしまった。
段落分けも6つになっていました。
工務店の今後の経営のために参考になる情報、
ということなので、ついつい盛りだくさんに。
で、そういう超巨大データ量を、時間内に
まとめきらなければならない(汗)。
まぁどうしても、いろいろな調査データファイルが入ってくるのですが、
それだけではリアリティが不足するし、
聞いていても整理整頓が大変になってくる。
わたしもセミナーなどを聞く機会もあると、その辺が一番難しいと。
で、やはりテーマに合わせた「実例」の迫力が効果的。
きのうも、随所に実例写真を叩き込んでいくのですが、
こういう段になると、みなさんの目の輝きがぐっと増してくる。
とくにきのうの場合は、古代の住宅の写真と温熱的解説や
先日このブログでも紹介した
都市ビル再生利活用のデザイン手法・ミニマリズムの事例の箇所など
まぁあんまり見たことがないような写真実例が
印象につよく訴えるのだと言うことを再確認させられました。
しかしまぁ、なんといっても180枚のデータを90分で消化なので、
1枚あたり30秒と言うことになる。
1段落分・30枚分については、相当の駆け足にならざるを得なかった。
やっぱり「なんとかなる」という目分量までは立てられるけれど、
実際の聴衆のみなさんの反応のツボに実際に触れてくると
そこら辺のお話しに力がこもってこざるを得ない。
まぁ汗だくになりながら、適度に時間配置を微調整しながら、
それでもなんとか、時間内にピッタリと終了させることが出来ました。
興味を集中して聞いていただいたみなさんに感謝であります。
主催の東北電力さんの趣旨にお応えできたかどうかですが、
さっそくFacebookの友だち申請も数人から寄せられましたので(笑)
まぁ、手応えはあったように思います。
ふ~やれやれ。

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世界規模の人の流動性と日本住宅マーケット

2015年10月08日 05時33分37秒 | Weblog
さて本日は、福島県白河で講演であります。
「超」大型に大成長した台風の影響を避けるべく、昨日のうちに
東北に移動しました。
しかしきのうも来客対応に、東北移動後も面接などがあって、
ひとつの会合にはついに参加できず。

ここんところ、いろいろな調べ物をしたり、
情報の豊かな方とお話ししたりして、
今後の住宅マーケットの推移、先行きを見通していきたいと
いろいろに考えを巡らせております。
きのうはある企業の方が、札幌に支店を開設したということで
あいさつに見えられていました。
お話ししていると、なんと動機は札幌のホテル確保の危機的状況。
これまで4000~5000円も見ておけば良かった予算が、
土日にかかったりすると、なんと1泊で25,000円
というようなケースも出ているのだとか。
これは明らかに中国やアジアからの「流入」の多さを物語っている。
札幌の場合、こうした状況がほぼ恒常化しつつある。
で、やむなく、これまで出張対応で済ませてきたのを
「支店開設」と、スタッフの賃貸住宅借り上げになったということ。
たぶん、多くの企業でいま、こうした対応が進んでいることが、
容易に推測できますね。
いまのこういうアジアからの流入による日本社会の「現在人口」って、
どの程度のモノで、数量的にはどれくらいであるのか、
いまのところ、そういう指標データは出てきていないけれど、
実感的には、東京の繁華街や札幌の状況を見ていると
街中で日本語とアジア各国言語の割合は、大きく変化している。
こういう状況は、一過性的なのかどうか。
観光から始まって、やはり社会定着という意欲が高まることは自然。
現に、当社にすら韓国の方が就職を希望されてきた。
一方で、国レベルのデータ指標では「日本人」の人口割合は
これは明瞭に下がっていくことはあきらか。
しかし、いまのドイツやヨーロッパの状況を見ていると、
人口問題は、国レベルだけでは考えられなくなる方向に
世界は大きく変化を見せてきているのではないか。



ひるがえって、住宅のマーケット状況は、
この先、大変悲観的なデータが山のように出てきている。
確かに「日本人」だけのマーケット構造、これまでの常識ではそうなる。
しかし、移民政策がどうなっていくかは不明だけれど、
日本得意の「なし崩し的変化の受容」という方向にいま、この社会は
大きく変化してきているのではないか。
少なくとも、いまの経済規模を支えるに足る人口1億3,000万程度は
維持されていく方向に、日本社会は向かうのは明らかではないか。
相対的にインフラ整備、生活文化程度も高い社会の魅力は
世界の人にとって、強い魅力になっていくのではないか。
ドイツの「難民」流入意欲の高まりのようなものが
アジアに於いて、日本をターゲットにして押し寄せてくる可能性も
相当程度、実現性が高いものとして考えられるのでは。
そうなるとすると、日本住宅へのニーズはどんな変容を見せていくのか、
想像力を相当働かせていく必要があると、思っています。


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札幌の建築家たち探訪

2015年10月07日 05時10分46秒 | Weblog


きのうは全道の工務店グループ・アース21の例会。
で、今回は会員企業による住宅見学ではなく、設計事務所の建築を
見たいと言うことで、わたしどものアテンドで4件の住宅・建築巡り。
札幌市内だと、道路の混雑状況もあり、そんなに見学先は
詰め込めないのが普通なのですが、
きのうは特異日的な道路のスムーズさで、順調に予定を消化いたしました。
そうはいっても、あちこちに移動するとたいへん時間がかかってしまうので、
おおむね札幌の西側地域で移動しておりました。
全道から来られるみなさんには、その自然環境自体も新鮮だったようで
「札幌って、こんなに緑豊かなところだったんだ」という声しきり。
札幌にいるわたしからすると「なにそれ」なんですが、
地方から札幌に来ても、だいたいが札幌中心部、それもススキノに近い
歓楽街や中心街での行動が多く、そういった街並みと、
とくに緑の豊かな札幌西部地区とは相当の違いを感じられるようなのです。
「え、こっちの方がふつうの札幌の街並みなんですけど」というところ。



そうなんですね。
札幌の住宅は、まだまだ豊かな自然環境が生きている。
そういうことなので、建築家住宅ではそういう良さを
上手にエッジを立てて見せ場にしている事例がたいへん多い。
本州以南では、住宅と自然周辺環境とのハーモニーという要素が
欠けていると感じる事例が多い。
たぶん、それはやはり「地の利」のあるなしに大いに関わっているのでしょう。
しかし、そういう地の利がある場所では、たくさん作って行くうちに、
そういう制作鍛錬が行き届くようになって来て
自然条件の発掘、取り込みに繊細になっていくものかも知れません。
逆に「どうせダメだから」と、デザイン制作手法自体から
そういう条件に依存しない方法を本州地域では開発していって、
ますます、自然環境とは無縁な社会的条件だけに特化した
そんな家づくりに向かっているのかも知れません。
ともあれ、札幌の設計者・建築家の住宅では、
そのような周辺環境への繊細な感受性を感じることが多い。
ごく自然に窓の額縁に切り取られた外部が、そこそこ絵になる。
その美を創作起点にして、住宅デザインがかたちづけられていく。
積雪寒冷という地域の条件が、そのような「外部環境」への
気付きというものを磨いているのではないか、
他の地域での家づくりが、いちばん忘れている
「その土地、その場所に住むよろこび」というものが、
たいへん自然なかたちで満たされているように思うのです。

現代で「花鳥風月」的な暮らし方をしたかったら、
北海道で暮らすのが、日本人のジャパンドリームなのではないか、
そんなふうにまで、思い至る地元愛を感じておりました。
まぁ、思い込みすぎなんでしょうね(笑)。





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講演データ作成、一段落

2015年10月06日 06時18分47秒 | Weblog


さて、土日月と3日間集中して作業してきた結果、
ようやく、この秋の講演での骨格内容が固まって参りました。
やはりときどき、こういう内容総点検の機会があるというのはいいこと。
今回は、先日取り組んだ、工務店の経営セミナーの内容を
整理統合して、少しでも今後の方向性が見えるように企画してみた次第。
そんなことで、国交省などの国の資料から
あれこれと格闘させられておりました。
まぁそれこそ、中央省庁というのは一番のシンクタンクであるわけで、
蓋然性の高い調査資料やら、予測資料などが蓄積研究されてきている。
そういった資料作成に近づいた経験もありますので
おおむねその調査方向性には、同意できると思っています。

なんですが、そうはいっても、
現実の市場にすべて当てはまっていくかどうかはいつも不確定。
大体の方向性は間違いが無いけれど、
現実はいつも、あれこんなことが忘れられていた、みたいな
ことが積み重なって、思わぬ事態に進行していく。
大きな国の方針はわきまえながらも、
住宅建築の実際は、結局主体性を持った工務店や設計事務所が
いや、ユーザーがどんなことに価値を見出していくのか
そのことに一番、関心が向かうべきだと思います。



ともあれ、今回の講演データ作成を通じて
また少し、テーマ領域が明瞭になって来た部分もあって、
社会の解析と同時に、現実感覚をつねに磨いていくことも
営々と積み重ねていきたいなと思う次第であります。
きのうは、夜になって坊主が一時帰省。
にぎやかになっておりますが、本日からは工務店の全道組織、
アース21の札幌例会にあたっています。
きょうはわたしどもがアテンドした住宅4件の見学先訪問もあります。
札幌の建築家のみなさんに協力していただいて
みなさん業務繁忙の最中、総勢42名での大挙見学であります。
さらにあしたは、わが社スタッフによる工務店WEB活用研修も予定。
わたしは、その直後に講演の地・白河に移動予定。
まぁいろいろと多忙な時期になりますが、
なんとか、がんばって乗り切っていきたいと思います。
ではでは。





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近頃ミヤコに流行るもの・・・

2015年10月05日 05時47分53秒 | Weblog
さて、今週木曜日の講演に向けて
土日は完全に執筆サンデーしておりました。が、まだ終わらない(泣)。
まぁ、しょがない。
週の半ばまで、時間をやりくりしながら、仕上げます。
ということなので、ブログの方は息抜きさせてください(笑)。
本日テーマは、ごく軽めのモノとさせていただきます。

東京には、年に数回、5-6回くらいのペースで
出掛けるのが、習慣化しています。
行くたびに思うのが、本当に東京ではよく歩くということ。
日本人の中で、いま一番健康的に運動しているのは東京生活者だと。
わたしのような地方居住者だと、どんなに近いところ、
たとえばコンビニに行くにも、ついクルマで出掛けてしまう。
わたしの自宅から一番近いコンビニは、約300mほどなのですが、
ここまで家から歩いたという記憶は、
坊主が小さい頃に、「はじめてのお使い」に行かせて心配のあまり
あとをそっと追跡して以来(笑)。なので、たぶん16-7年前。
大人の「はじめての徒歩買い物」みたいな状況になるかも。
それくらいクルマ社会なのですね。
それに対して、東京はとにかく歩くライフスタイルが鉄板。
そういえば、相撲で地方別の関取を調べたら、ある時期から
東京が一番多くなったと言われていたと記憶しています。
東京は、公共交通機関がメチャクチャ発達しているので、
どこにいっても、地下鉄を初めなにかの交通機関に乗ることが出来る。
乗ってしまえば、最短距離で移動するナビは
スマホなどで情報入手できるので、ほぼ考えなくても移動できる。
ということで、徒歩で動き始めるのに、まことに制約を感じない。
で、たぶん、交通機関のなかとか、
その乗り換えとか、目的地までの移動など、
徒歩の占める割合は相当に高いと想定できます。
先日の丸1日の東京都内での移動でも、
ついついオーバーワーク気味に行動してしまう。
日頃の運動不足を痛感させられますね。
重たい荷物を面倒だからと持ち運ぶのも疲労が倍加するのかも。

まぁそんなことで、帰ってくると疲れがハンパない。
のですが、今回気がついたのが写真のような通路での「仕切り」。
交通機関の改札までのエスカレーター周辺にこういう仕切がありました。
こっちはたまに来るので、そういう変化に敏感なのかも知れませんが、
かなり頻繁に地下鉄などで見掛けました。
エスカレーターからの乗降時に、人間が交差するので危険があり、
それを回避させる工夫なのでしょう。
おノボリさんよろしく、しばし感心させられておりました。
こういう集団的人間工学的な進化というのも、
日本社会、東京ではいちばん最先端で変化していくものですね。
見ていて、また通行してみて、まことに合理的。
たまの訪問で、気付いた次第ですが、
たぶん、なに言ってんの、そんなのだいぶ前からあるよ、
という声が聞こえてくるかも知れません。
当方、田舎者ですので、その分、悪しからずよろしく(笑)。




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経済成長と家電のジャパンドリーム

2015年10月04日 08時09分55秒 | Weblog


わたしなど、戦後高度成長期をリアルタイムで経験した人間は、
家電製品というと、くらしを圧倒的に便利にしてくれて、
その導入の先に、夢のように「豊かな社会」があると、
まるで「3丁目の夕日」のように、
目を輝かせながら目の前のことに立ち向かっていた世代・時代。
まずは、照明が各室に行き渡っていき、
その後、力道山のプロレスとともにテレビがやってきた。
そして栃錦・若乃花の全盛から大鵬の時代の相撲、
長嶋・王の巨人全盛のプロ野球と、
圧倒的な「娯楽」の王者が、ひとびとの「時間」を支配していった。
そして、ほぼ同時期に冷蔵庫がやってきて、
食の世界を支配して、買い物の時間感覚を変えて、
それまで、毎日少量ずつの買い物行動が大きく変化して
集に1~2度の集中購入に変わって、肉屋、魚屋、青果店など
町場の専門店から、スーパーマーケットに消費行動が変化した。

きっとこうした時代は、ビジネスの面では
まことにやりやすい時代だったに違いないと思う。
大都市周辺の土地の値段は、旺盛な企業による設備投資と
ふるさとを離れた農家の次男、三男が職場へのアクセス可能な土地に
「戸建て住宅」を求める旺盛な需要に支えられて、
土地は、買えば必ず値上がりする時代が、しばらくは続いていた。
この時代の借金によって、その数十倍の資産を形成したひとが
日本の富裕層であろうことは、間違いがない。
こうした時代が去って久しいけれど、
日本はなんとか、このあとの「調整局面」をソフトランディングしてきた。
ちょうど、中国がいま、こうした「無限成長」、
がんばれば這い上がれた時代から、がんばっても難しい時代に差し掛かる。



今週は、多忙な週になりそうで、
火曜水曜は、業界団体の会合で案内人役をやって、
その間にも、来客の予定があり、
その水曜日には仙台に移動して、面接をかたづけた後、
福島県白河で講演会を木曜日に行うという予定。
で、月から水曜には坊主が用事があって短期帰省し、
土曜日には娘が沖縄から、帰省してくる。
その週末には、面白そうな考古学の発表会が、道央の厚真である。
っていうような目の回るようなてんこ盛り状態であります。
まずは、講演の準備作業を、長時間、目をショボショボさせながら、
各種資料と格闘しながら行っております。
この家電関係のデータは、家庭エネルギーの発表部分のもの。
さて、きょうが山場で、もう1~2日、がんばりたいと思います。






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卒業以来の國學院・博物館見学

2015年10月03日 06時43分35秒 | Weblog


きのうは東京恵比寿から数分の山種美術館での
絵画鑑賞の記事を書きましたが、
スマホの「乗換案内」を確認して乗ったバスの行き先が
「日赤医療センター前行き」になっていました。
なつかしい名前でして、わたしの東京での大学の母校・國學院に近い。
あんまり強い思い入れはないと思っていたのですが、
しかしこうやって近くまで来てみると、感慨もある。
その上、山種美術館では周辺の案内として「國學院大學博物館」という
案内映像も流していた。・・・初耳であります。
なにそれ、という興味も湧いてきて、絵画鑑賞後、
数分、案内表示に沿って歩いていたら、國學院の大学キャンパスに。
守衛さんとおぼしき方に尋ねたら、なんと親切に「博物館」までいっしょに
案内をしていただいてしまいました。
40年ぶりに歩いてみたキャンパスは、まったく建物が一新されている。
ちょうど、昼食時でもあったので、なつかしさもあって、
学生食堂に立ち寄ってみた。
最近の学生さんは、朝食抜きというひとも多いそうで、
大学としては、そういった学生の健康管理支援のために、
学生食堂のメニューと時間を強化して対応している。
朝食メニューもあって、これはすばらしいなと感心しました。
頼んでみたのは、「カキフライ定食」だったのですが、
これが、副食として3品の小丼も添えられていて、
カキフライも5つという栄養も満点のメニュー。
それで値段が500円というから、大学側の努力はすごいですね。
フライは揚げたてで、しっかりした食感が楽しめる。
明るい硝子越しに学生さんたちの様子が見られて、まことにほほえましい。

・・・あ、すっかり食い物の話題になってしまった(笑)。
違うのです。本筋は、國學院の名物先生だった樋口清之先生のこと。
わたしは法学部だったので、文学部の先生の授業は、年に1~2度
学部交流のような選択授業で受けていた記憶があります。
「梅干しと日本刀」というベストセラーになった著作が、まことに興味深く、
先生の授業には、心底感銘を受け続けていた。
博物館というのは、先生の事跡を基礎に大学としてひとつの施設にまとめた
ということなのだそうであります。
いま、國學院には文学部の中に「考古学科」があるそうですが、
それも樋口先生の業績が発展していった結果、開設されたということ。
そういうことなので、わたしの学生当時には存在しなかった。
先生の学問は、文化人類学とも歴史学とも考古学ともいえる領域で、
わたし自身の人格形成、興味分野の探索過程で、
この樋口先生の謦咳に触れたという経験が、かなり大きかったんだと、
そんな古い記憶が鮮明に甦ってきた次第です。
当時は、そんなことはまったく考えていなかったのですが、
若い頃に刷り込まれた興味のありかというのは、
かなり決定的な要素なのだ、勉強はやれるときにやっておくべきだと、
そんなことに思い至っておりました。
・・・ま、いまさら遅いけど(笑)。
折から、そんなことを家族LINEに書き込んだら、
いま、東京の大学で学んでいる坊主とやり取り(笑)・・・。
いっとき学生時代のあれこれが想起されて、楽しい時間を過ごせました。




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秋、琳派を見る

2015年10月02日 06時23分40秒 | Weblog


わたし、大の俵屋宗達ファンであります。
戦国末期から江戸初期にかけての京都の街に醸成した
時代の空気感がたっぷりとテンコ盛りになった「琳派」の初期。
刀剣という、この時代にもっとも金を稼げるものづくりの
家元のような家に生まれた本阿弥光悦が創始した文化伝統。
その初期大スターとして、俵屋宗達は世に出てくる。
室町の時代を始めた足利の家からして、
3代の義満の金閣や、8代義政の銀閣など、
たぶん、この琳派の雰囲気を醸成する傾向を持っていたのだと思う。
そして信長の生き方、死に方、秀吉の出現など、
煮えたぎったような時代のるつぼ感が、ハンパない。
そして光悦と宗達が、花開かせたこの琳派の美意識が、
直接の師弟関係などはないのに、遙かな後、約100年後に
京都の商家の放蕩息子・尾形光琳によって、はるかに私淑され、
宗達の「風神雷神図屏風」を、克明に模写するという芸術事態を生んだ。
琳派という名称が、この尾形光琳から創始されるというのも面白い。
また、その光琳からさらに100年後、今度は酒井抱一が、
ふたたび、この宗達と光琳の「風神雷神図屏風」を模写する。
こうした劇的な推移にも、なにか、日本人を興奮させるものがある。

そんなわたしですので、
きのう、東京恵比寿の近くの山種美術館で展覧会を見学して来ました。
わたしの東京での母校・國學院にも近い。
この山種美術館というのは、証券会社を創設された方が
コレクションされていた日本画をベースにしてはじめられた美術館だそうです。
この場所でスタートしたのは、2009年というように紹介されていますから
わたしの大学時代、まったく記憶がないのも道理であります。
落ち着いた高級住宅街、それも恵比寿の駅からは
バスに乗るという楽しい道中も経験できる位置にある。
展覧会は、まことに素晴らしいものでした。
琳派という日本の文化伝統の中でも、きわめて今日的な流れが、
非常に明瞭に楽しくアセンブルされておりました。
こういう文化にくるまれることが、非常に豊穣な気分をもたらせてくれる。
また、近代現代の作家たちの展示箇所で、
すっかり魅了された作品にも出会うことができました。



この作品、山口蓬春さんという方の作品で、
「新宮殿杉戸楓4分の1下絵」と題されておりました。
いまの皇居を飾る装飾画のひとつの下絵ということのようでありますが、
どうも人気が高いようで、帰りにミュージアムショップを見ていたら
クリアファイルになっていて、購入しました。この写真は
そのクリアファイルを写真撮影したものです。
そういうことなので、構図は絵画とは違いがあります。
やはり絵というのは、実物が持つ空気感とともに感受するものですね。
ただ単に写真的にピンナップしたとしても、
まったくその美を受け取ることはできないものだと痛感します。
全部の展示を見終わった後、もう一回この絵の前に来て
しばしの間、この絵だけを見つめ続けるようないっときを楽しめました。
琳派の風神雷神図屏風以来のキッチュな造形感のようなものと
色彩への日本的な感受性のようなものの両方が
渾然一体となって、作品と向き合う中で感受できると思いました。
書かれていた解説ではこの山口蓬春さんは北海道で生まれた方だそうで、
10歳で東京に移転された方のようです。
そしてこの作品は、74歳で描かれた作品だと言うこと。
「大好き」とはじめて出会う、というのはまことにうれしいことですね。


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