最近、メディアでよくとりあげられる「ブータン」。ちょっとしたブームかも。
実は私もハマッています。話題の本「ブータン これでいいのだ」も読みたい!
東北大震災と原発問題以降、「何が幸福なのか」という価値観が問われていて、そこへやってきた「世界で一番幸福な国」なのですから、まさに日本人の心情にドンピシャリ★共鳴するところがあるのでしょう。
そうこうしていたら、朝日新聞夕刊にブータンの貧困問題が連日掲載され、なんか考えてしまいました。
最も印象的な記事は、第一回目の、ブータン辺境で暮らす29歳の女性とその子供達。
女性には小学生の女の子が二人、そしてまだ赤ん坊の子供がいます。
小学生の女の子は、朝・昼は学校で給食が出ます。
貧しくて家で食べてこない子供が多いので、無償で支給されるそう。この援助は外国かららしい。
授業料は無料だけど、雑費やブータンの制服(有名になった“キラ”と“ゴ)を買うお金は、借金せねばなりません。
29歳のまだ若いお母さんは、3人の子供を抱えているから余り働けない。
ダンナは仕事をせず家に帰って来ず、たま~に帰ってきたら、なけなしのお金を持っていってしまう。
そんなヒドイ旦那なのに、お母さんはわずかなトウモロコシ畑を耕して、なんとか生きていく。
食事は一日一食がやっと。
でも子供達には、字の読めない自分のようになって欲しくないので、しっかり教育を与えている、そんな感じでした。
ブータンはどういうシステムになってるのか解りませんが、「国から与えらえた土地」が200アールあるそうで、これは自分の土地を持たない農民に一律に与えられるのでしょうか。
とにかく、どんなに条件が悪い土地でも土地は土地。
そこになんとか家を建てたら、そしてわずかでも耕す畑があれば、あとは近所の人の助けなど借りて、人は生きていける、ということでしょうか。
お約束の質問「あなたは幸福ですか?」を女性に投げかけてみたら、
「はい。幸福です。楽しいことは何もない。でも、一日一食でも、住むところがあるし助けてくれる人はいるし、子供を育てることが出来るから」
ということでした。
この赤ん坊なんか、ミルクある(出る)のかな?と心配になってきますが、一応着るものは着てやせ細ってもいない。医療は無料らしいので、定期健診もあるのでしょう。
子供達は学校を卒業したら給食は出ない。ならば働きに出るか結婚するか。どうなるんだろう。
不安も感じますが、この若いお母さんの「幸福です」は紛れもない本意のようなので、つくづくと「幸せってなんだ」と思ってしまいます。
日本ならこんな状況だと「どうしたら幸せになれるのだろう」と不幸度100%になってしまいますが、「楽しいことは何もないけれど幸せ」って、要するに「幸せを感じる感覚の違い」かな、と思ってしまう。
関西ローカルの「ちちんぷいぷい」でも、西アナウンサーがブータンを訪れて、若い新婚夫婦に「これから先の夢や希望はありますか?」と聞く場面がありました。
日本なら、「いつかマイホームを!」とか「子供をいっぱい作って幸福に暮らしたい」とか言うところですが、ブータン若夫婦は「夢とか希望はない。なぜなら“今”で満足してるから」と答えるのです。
「夢や希望が無い」なんて言うと、「えー!なんて悲しい」と嘆くのが日本の価値観。
いや個々の人はさまざまな価値観があるでしょうが、とりあえず「夢を持って向上しましょう」が、日本では「良し」とされる。
でも、ブータンでは必ずしも「今よりも良い暮らしを」と、皆が望んでいるわけではないようです。
だったら、いつも「前へ前へ」の日本人特有の「努力こそ美徳」精神は、そこまで突き詰めなくてもいいのだろうか。。。
「今持っているものに幸せを感じる」精神は、一昔前にブームになった宇野千代さんの「幸福を知る才能」に酷似しています。
ということは、日本人でも「ブータン的幸福」を充分やれるってことですか。
「感じ方の問題」ということか。
でも。
津波で家が流されて家族も亡くなって、原発事故で放射能に生活を脅かされて、それでも「幸福です」はアリなのだろうか。
ブータン国王に聞いてみたい…と思う私でした★
実は私もハマッています。話題の本「ブータン これでいいのだ」も読みたい!
東北大震災と原発問題以降、「何が幸福なのか」という価値観が問われていて、そこへやってきた「世界で一番幸福な国」なのですから、まさに日本人の心情にドンピシャリ★共鳴するところがあるのでしょう。
そうこうしていたら、朝日新聞夕刊にブータンの貧困問題が連日掲載され、なんか考えてしまいました。
最も印象的な記事は、第一回目の、ブータン辺境で暮らす29歳の女性とその子供達。
女性には小学生の女の子が二人、そしてまだ赤ん坊の子供がいます。
小学生の女の子は、朝・昼は学校で給食が出ます。
貧しくて家で食べてこない子供が多いので、無償で支給されるそう。この援助は外国かららしい。
授業料は無料だけど、雑費やブータンの制服(有名になった“キラ”と“ゴ)を買うお金は、借金せねばなりません。
29歳のまだ若いお母さんは、3人の子供を抱えているから余り働けない。
ダンナは仕事をせず家に帰って来ず、たま~に帰ってきたら、なけなしのお金を持っていってしまう。
そんなヒドイ旦那なのに、お母さんはわずかなトウモロコシ畑を耕して、なんとか生きていく。
食事は一日一食がやっと。
でも子供達には、字の読めない自分のようになって欲しくないので、しっかり教育を与えている、そんな感じでした。
ブータンはどういうシステムになってるのか解りませんが、「国から与えらえた土地」が200アールあるそうで、これは自分の土地を持たない農民に一律に与えられるのでしょうか。
とにかく、どんなに条件が悪い土地でも土地は土地。
そこになんとか家を建てたら、そしてわずかでも耕す畑があれば、あとは近所の人の助けなど借りて、人は生きていける、ということでしょうか。
お約束の質問「あなたは幸福ですか?」を女性に投げかけてみたら、
「はい。幸福です。楽しいことは何もない。でも、一日一食でも、住むところがあるし助けてくれる人はいるし、子供を育てることが出来るから」
ということでした。
この赤ん坊なんか、ミルクある(出る)のかな?と心配になってきますが、一応着るものは着てやせ細ってもいない。医療は無料らしいので、定期健診もあるのでしょう。
子供達は学校を卒業したら給食は出ない。ならば働きに出るか結婚するか。どうなるんだろう。
不安も感じますが、この若いお母さんの「幸福です」は紛れもない本意のようなので、つくづくと「幸せってなんだ」と思ってしまいます。
日本ならこんな状況だと「どうしたら幸せになれるのだろう」と不幸度100%になってしまいますが、「楽しいことは何もないけれど幸せ」って、要するに「幸せを感じる感覚の違い」かな、と思ってしまう。
関西ローカルの「ちちんぷいぷい」でも、西アナウンサーがブータンを訪れて、若い新婚夫婦に「これから先の夢や希望はありますか?」と聞く場面がありました。
日本なら、「いつかマイホームを!」とか「子供をいっぱい作って幸福に暮らしたい」とか言うところですが、ブータン若夫婦は「夢とか希望はない。なぜなら“今”で満足してるから」と答えるのです。
「夢や希望が無い」なんて言うと、「えー!なんて悲しい」と嘆くのが日本の価値観。
いや個々の人はさまざまな価値観があるでしょうが、とりあえず「夢を持って向上しましょう」が、日本では「良し」とされる。
でも、ブータンでは必ずしも「今よりも良い暮らしを」と、皆が望んでいるわけではないようです。
だったら、いつも「前へ前へ」の日本人特有の「努力こそ美徳」精神は、そこまで突き詰めなくてもいいのだろうか。。。
「今持っているものに幸せを感じる」精神は、一昔前にブームになった宇野千代さんの「幸福を知る才能」に酷似しています。
ということは、日本人でも「ブータン的幸福」を充分やれるってことですか。
「感じ方の問題」ということか。
でも。
津波で家が流されて家族も亡くなって、原発事故で放射能に生活を脅かされて、それでも「幸福です」はアリなのだろうか。
ブータン国王に聞いてみたい…と思う私でした★