フィギュアスケートのグランプリシリーズ第3戦、中国杯。上海で行われた男子フリーの6分間練習中に中国の閻涵と羽生が激突した。
その様は、プロ野球で外野の選手同士がボールを追いかけて激突するのにまさに似た感じ。その激しさもスピード感も全く同じような感じに思えた。ただ、スケート選手はプロ野球選手ほど頑丈にはとても見えない。反動で羽生が激しく打ち付けたのは氷。プロ野球の外野の芝生とはえらいちがいだ。
そして、この男、やはり只者ではなかった。
幾分芝居がかって見えてしまうほど彼の様子から身体へのダメージは多大なものに思えた。だが、冷静に6分間練習にも手当のあと復帰し、咳をしながら、ふらつきながら、転びながら、それでも氷の上で滑り続けた。頭に大きなテープを巻き、顎にはパックりわれた傷をバンソウコウを貼り(キスアンドクライで自らむしり取ったのだ)襟には血がにじんでいた。
それはまるで頭に包帯を巻いた写真で有名な「ミラボー橋」の詩人アポリネールみたいだった。
誰もが「本当に滑るのか?」と危ぶむ中、やっぱり羽生は出てきた。誰もが実はそう信じていた通り。何度も転倒したけど演技に完璧に集中していた。こういうピンチの時の彼は信じられないレベルの力を発揮する。昔からそうだった。東日本大震災とそれにまつわる様々な出来事が影響しているのかもしれない。何かが、あるいはいくつもの力が彼を演技そのものへとかきたてる。
そしてまた、このプログラムへの強い思い。オリンピックチャンピオンとしての誇りと責任感。
ここで滑ったことを手放しでほめたたえるつもりはわたしにはないけれど(ここで無理をしたために今後彼はとんでもない負担を背負いこむ可能性だってあるのだ。本当にそうならないように心から祈る)、はっきり言えることは、これは誰にでもできることではないということだ。彼は間違いなくスケートの演技1つ1つに命をかけている。
包帯を巻いたアポリネールみたいに羽生はここで滑ったことで、いいとか悪いとかではなく、自分が思うと思わざるとにかかわらず、伝説の1ページとなった。おそらく。
多くの人がTVでこの試合を見つめてたと思うし。今後もニュースや特番など何度も繰り返し語られるだろうからこれ以上の詳細は措くとしよう。
TV中継を見ながら思ったことをあと2つ書いておきたい。
この話をTVの中で語られていたような単なる英雄談にするのは少し違う気がする。松岡氏は、真央ちゃんはじめフィギュアのトップ選手に取材し現場の戦いをまじかで見続けてきたのに、今さら「フィギュアは美しいだけではなくて、ものすごい戦いなんだと思いました」というようなことを言う。そんなことはありえない。もし、今回初めてそう思ったと言うなら、フィギュアスケートをアスレチックな意味では他のスポーツより下に見ていたということになりかねない。ものすごく感動したということなんだろうし悪気はないんだろうけど。
ひょっとしたら多くの英雄がそのようにしてつくられると知っている確信犯なのかもしれない
もう一つ。この事故が明確なルールの下でどちらかが一方的に悪いということにならないなら、あくまで二人の選手の不注意によって起きたことであり、そのことによってこの最終グループの他の選手たちは大変な迷惑を被っている。大会の運営・進行上も。テレビで観ている限り二人とも自分の練習に集中するあまり周りが見えていなかったように感じた。
だから、もしそうなら、この二人は他の選手や大会関係者に謝る立場にある。羽生は間違いなくそうする(あるいはすでにそうしている)と思うけど。
繰り返しになるが、羽生選手の怪我が本当に大したことがなくてできる限り短期間で万全の体調に戻し元気に復帰してくれることを願ってやまない。わたしも彼の演技を見るのが大好きだから。
※アポリネールの公式HP(Biographieにその写真がある)は
こちら。