1年ぶりに会津若松市を訪れました。義兄の一周忌でした。去年の春、義兄は満開の桜の下で旅立ったのです。
今年はあまりに暖かい陽気のため、若松の桜もGWに入る前にすでに咲き終わっていました。しかし、久しぶりに親戚が出会い思い出を語る中で、私たちが思い出を共有しながら生きていることを改めて感じていました。
この機会にこれまで見学したことがなかった「御薬園」に行ってみました。正門には、ソメイヨシノではありませんが一本の山桜が咲いていました。義兄はやはり桜に縁がある人なんですね。
この庭園は、会津松平藩の初代藩主保科正之が、それまでに建てられていた会津藩の別荘を再建し(1643年)、これを受けて、2代目藩主保科正経が薬草を栽培整備し(1670年)、さらに3代目藩主松平正容(まさかた)が朝鮮人参の栽培を民間に奨励した(1684年~1687年)ことから、御薬園と呼ばれるようになったのだそうです。(御薬園パンフレット)
正門をくぐって中に入ると、ズミの花です。ちょっとさきの薬用植物標本園には、藤の花が咲いていました。
庭園は池泉回遊式で、それほど広いものではありませんが、心字の池を中心に、由緒ある建物や松の木などが配置され、すばらしい風情を醸し出しています。
円い月のような、幹の曲がり具合はおもしろいですね。この円の中に入ったのを確認してもらえると幸せが訪れるかもしれません。もちろん私の勝手な解釈です(笑)
池は数百年にわたって、おそらく四季折々の姿を絶えず水面に映し出してきたことでしょう。
集まった人たちは、会津若松からそれぞれ自宅に帰っていきました。
磐越西線を郡山で乗り変え、新幹線で東京に戻ろうとしたところ、異なる日に、しかも別々に座席指定券を手配していたにもかかわらず、今回集まった親戚の一人となんと席が隣り合わせになったのです。GW前半とはいえ、さなかのことです。
本当に全くの偶然です。義兄の粋な計らいとでもいうべき出来事でした。不思議なことってあるものですね。おかげで話に花を咲かせながら、帰京することができました。
今年はあまりに暖かい陽気のため、若松の桜もGWに入る前にすでに咲き終わっていました。しかし、久しぶりに親戚が出会い思い出を語る中で、私たちが思い出を共有しながら生きていることを改めて感じていました。
この機会にこれまで見学したことがなかった「御薬園」に行ってみました。正門には、ソメイヨシノではありませんが一本の山桜が咲いていました。義兄はやはり桜に縁がある人なんですね。
この庭園は、会津松平藩の初代藩主保科正之が、それまでに建てられていた会津藩の別荘を再建し(1643年)、これを受けて、2代目藩主保科正経が薬草を栽培整備し(1670年)、さらに3代目藩主松平正容(まさかた)が朝鮮人参の栽培を民間に奨励した(1684年~1687年)ことから、御薬園と呼ばれるようになったのだそうです。(御薬園パンフレット)
正門をくぐって中に入ると、ズミの花です。ちょっとさきの薬用植物標本園には、藤の花が咲いていました。
庭園は池泉回遊式で、それほど広いものではありませんが、心字の池を中心に、由緒ある建物や松の木などが配置され、すばらしい風情を醸し出しています。
円い月のような、幹の曲がり具合はおもしろいですね。この円の中に入ったのを確認してもらえると幸せが訪れるかもしれません。もちろん私の勝手な解釈です(笑)
池は数百年にわたって、おそらく四季折々の姿を絶えず水面に映し出してきたことでしょう。
集まった人たちは、会津若松からそれぞれ自宅に帰っていきました。
磐越西線を郡山で乗り変え、新幹線で東京に戻ろうとしたところ、異なる日に、しかも別々に座席指定券を手配していたにもかかわらず、今回集まった親戚の一人となんと席が隣り合わせになったのです。GW前半とはいえ、さなかのことです。
本当に全くの偶然です。義兄の粋な計らいとでもいうべき出来事でした。不思議なことってあるものですね。おかげで話に花を咲かせながら、帰京することができました。
昨日、ヒマヒマノキさんが訪ねた御薬園、ゆっくり見る価値大ですね。西洋の薬草ハーブの勉強している最中ですが、日本の薬草にも目を向けたい。目からウロコです。