先週福島に行く途中で二本松城に立ち寄りました。だいぶ散りつつありましたが、まだ花が残っていましたので、石垣を背景に、それなりにきれいな桜を楽しむことができました。
城内の池や小さな滝も穏やかな情景を見せてくれていました。
城といえば先月14日の夜に発生した熊本地震によって。熊本城は、石垣が崩れる、屋根瓦が落ちるなどの大きな被害を受けました。以前に見た堂々とした城の姿が復旧するのは、果たして何年先になるのか、予測がつかない状況のようです。
今から5年前の東日本大震災では、福島県白河市にある小峰城が被災しました。小峰城は、1868年(慶応4年)の戊辰戦争において薩摩藩や土佐藩からなる新政府軍によって落城・焼失し、平成に入ってから復元された城です。
その小峰城は昨年4月にようやく入場できるようになりましたが、今なお修復工事が行われています。このブログでも紹介させていただきました。
新聞報道(4月21日付読売新聞)は、白河市が熊本城の復旧に向けて、熊本市への協力を決定した旨伝えています。
ところで、熊本城は、1877年(明治10年)の西南戦争で、西郷隆盛率いる薩摩軍と政府軍との間で激しい戦いの舞台となりました。この西南戦争には、元会津藩士(家老)の佐川官兵衛が政府軍側の警視隊隊長として参戦し、戦死していることはあまり知られていないと思います。佐川官兵衛の戦死の碑は、南阿蘇村にあり、会津若松市にも顕彰碑があるようです。
今回の熊本地震で、はからずも福島と熊本のつながりを知ることとなりました。「がんばれ福島」はもちろんですが、熊本の方々にも「がんばれ熊本」と申し上げたいと思います。
城内の池や小さな滝も穏やかな情景を見せてくれていました。
城といえば先月14日の夜に発生した熊本地震によって。熊本城は、石垣が崩れる、屋根瓦が落ちるなどの大きな被害を受けました。以前に見た堂々とした城の姿が復旧するのは、果たして何年先になるのか、予測がつかない状況のようです。
今から5年前の東日本大震災では、福島県白河市にある小峰城が被災しました。小峰城は、1868年(慶応4年)の戊辰戦争において薩摩藩や土佐藩からなる新政府軍によって落城・焼失し、平成に入ってから復元された城です。
その小峰城は昨年4月にようやく入場できるようになりましたが、今なお修復工事が行われています。このブログでも紹介させていただきました。
新聞報道(4月21日付読売新聞)は、白河市が熊本城の復旧に向けて、熊本市への協力を決定した旨伝えています。
ところで、熊本城は、1877年(明治10年)の西南戦争で、西郷隆盛率いる薩摩軍と政府軍との間で激しい戦いの舞台となりました。この西南戦争には、元会津藩士(家老)の佐川官兵衛が政府軍側の警視隊隊長として参戦し、戦死していることはあまり知られていないと思います。佐川官兵衛の戦死の碑は、南阿蘇村にあり、会津若松市にも顕彰碑があるようです。
今回の熊本地震で、はからずも福島と熊本のつながりを知ることとなりました。「がんばれ福島」はもちろんですが、熊本の方々にも「がんばれ熊本」と申し上げたいと思います。
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