中国迷爺爺の日記

中国好き独居老人の折々の思い

曲がったキュウリ

2006-09-09 00:10:36 | 身辺雑記
 この写真のキュウリ、ひところ話題になった「ツチノコ」のような形をしているが、近くの100均ショップの店先に置いてあった。地元の農家が出荷できなかったものかもしれない。このような形の悪いものはスーパーなどではまずお目にかからない。



 先日何人かの卒業生達と食事をした時に、主婦である1人が最近は昔よくあった形の悪い大きなトマトなどは店で見なくなったと言ったことから、野菜の形が話題になった。卒業生の中に生鮮野菜をコンビニエンスストアやレストランに納入する商売をしている者がいて、そういう形の悪いものは納入できないと言う。キュウリだったら長さや太さなど実に細かい規格が要求されて、大量に納入する場合などは大変なのだそうだ。コンビニなどでは調理品の食材にするのだからどうせ刻むのだろう、形などどうでもいいじゃないかと言うと、刻むのはすべて機械だから規格に合わないと機械にかからず、だめなのだそうだ。それはそれで納得はしたが、スーパーやデパートでもきちんと形が揃っているものばかりで、家庭では機械を使うわけではないのだから形はどうでもいいと言うと、いや、今は消費者がそういうものでないと買わない。消費者の意識の問題だと言う。

 果たして消費者が要求するようになったから小売業者がそれを必要とし、農家が作るようになったのだろうか。私は少し疑問に思う。世の中がだんだん豊かに贅沢になるにつれ、実質よりも見かけを重視する傾向が強くなっていくと、売り手は形の整っていないものは「不良品」のようにみなして除外し、見てくれの良いものばかりを上等品のように思わせて売るようになり、作る方にも要求していったのではないか。そんなことを繰り返しているうちに形の良いキュウリに慣らされてしまった消費者は、キュウリはそういうものでなくてはならないと思ってしまったのだとは考えられないか。

 そのために結局は作り手である農家が苦労するようになったのではないか。いったいあのようにきちんと規格に合ったキュウリはどうやって作るのだろう。紙筒の中で生長させると聞いたことがあるがそんな手間がかかることを実際にしているのだろうか。トマトでも同じだ。品種改良の結果なのかとも考えたが、そこまでほとんどが同一規格になるように改良できるものなのか専門外の私には分からない。同じ規格のものを選別しまとめるのだろうが、規格外のものはどうなるのか。いずれにしてもコストは高くなるだろうと思う。

 昔の八百屋の店先に並べられていたキュウリはツチノコ形まではいかなくても曲がっているのはごく普通だったし、トマトなどもでこぼこして形は不揃いだった。そのようなキュウリやトマトが、今のように工場で作ったのかと思わせるような同じ規格の形のいいものよりもまずかったことはあるまい。むしろ昔のキュウリやトマトの方がおいしかったと言う人もかなりいる。もっともそのような人は高年者が多いのは仕方がないことだろう。今の若い主婦の多くは、そのような不細工な形のキュウリやトマトなど見ることは少ないのだろうから。

 野菜の話をしてくれた卒業生は競馬が好きで、馬のことをとてもよく知っている。彼の話では、毎年生まれる馬の数は非常に多いけれども、その中で競走馬として見込みがあるとして育てられるのはごく僅かなのだそうだ。規格から外れた馬はほとんどが馬肉となる運命をたどるらしい。華やかな競馬という娯楽の裏で食肉にしかされなかった馬が何やら哀れに思えてくる。キュウリもツチノコのような形をしていればもちろんのこと、そこまでいかなくても不良品として廃棄されてしまうものはかなり多いのではないか。もったいない話だ。

 100均ショップのツチノコキュウリを買って食べてみようと思ったが、翌日にはもう売れてしまっていた。あれでも買う人がいたことに何となくほっとしたような思いがした