中国迷爺爺の日記

中国好き独居老人の折々の思い

ミャオ(苗)族-15-

2006-09-14 23:59:41 | 中国のこと
 ミャオ族の人口は約40万人で貴州省に最も多く(約50%)居住しているが、その他に雲南、湖北、湖南、広西、四川にも住んでいる。

 湖南省の西部を湘西(xiangxie)と言い、ここに湘西土家(Tujia)族苗族自治州がある。この自治州の貴州省との省界あたりにある鳳凰(Fenghuang)という明清時代の古い城市は、近年観光都市として整備され、内外の観光客が多く訪れている。

 この城市には沱江(Tuojiang)という川が流れ、両岸に古い家が並んで風情ある風景を作っている。
 


 沱江に面して建てられたこの建物は、長い柱で床が支えられた高床式のもので吊脚楼(diaojiaolou)と言い、このように水に面した所でも山の斜面でも至る所に見られる。山間部のミャオ族の住居はほとんどが吊脚楼である。斜面に家を建てようとすれば、どうしてもこのような構造になるだろう。山の斜面に建てられる家屋は、斜面の下側に面して吊脚があり後方は地面に接しているから、家屋の前面は2階建てで後方は平屋になっている。



 沱江のほとりで、1人のミャオ族の女性が小さな木製の織機を使って細い帯を織っていた。この女性は龍玉門さんと言い、前にインタネットでこの女性に関する記事を読んだことがあった。鳳凰を訪れたらぜひ会いたいと思っていたので、彼女の姿を見つけた時は嬉しくて、近寄って挨拶しいきさつを話すと、彼女も打ち解けて一緒に写真を撮らせてくれた。貰った名刺には「苗族花帯織芸」とあり、彼女は苗族の伝統工芸品の花帯というものを織っている。花帯はさまざまな伝統的なシンボルを織り込んだ美しいもので、民族衣装の紐や乳幼児を背負うためのものだそうだが、意中の男性の心を繋ぎ止めておく意味もあると聞いた。1本の花帯を織り上げるのには1週間ほどかかるそうだが、1本は40元(約560円)という安さだった。



龍さんが織った携帯電話のストラップ



鳳凰にはミャオ族が多く住んでいる。街には物売りの女性の姿もよく見られる。


1日の商売を終えて帰る婦人。


 この店は豚や鶏の燻製肉を売るミャオ族の店で、ガイドの馮彦と運転手の張さんは家に買って帰ると言って入った。「腊肉」は燻製肉を意味している。店の主人は40歳代だったが私に「日本人か」と尋ねたので、そうだと答えると急に両手を組んで顔の前で軽く上下させる拱手(伝統的な中国の礼)をした。その様子が何となくユーモラスだったので思わず笑ってしまった。



 この店は別の腊肉店。さまざまな燻製肉を売っているが、米国のコミック映画のバットマンのようなのは豚の顔の部分。グロテスクなようなユーモラスなようなものだが、どうやって食べるのか、刻んで野菜などと一緒に炒めたりするのではないか。





朝の鳳凰の街並み

普通話(putonghua)

2006-09-14 00:13:30 | 中国のこと
 最近の新聞に「中国、標準語4割話せず」という見出しの記事があった。中国の英字紙が伝えたものだそうで、方言が多様なうえに、地方の貧しい農村に教育が行き届いていない実態が背景にあると言う。
 
 中国の標準語は北京語の発音を基本とした公用語で普通話と言われ、これがいわゆる中国語だ。小中学校では「国語」として学ぶことが必須とされている。中国の人口は約13億だからその40%というと5億人以上になるから、かなりの数の中国人が共通語とも言うべき普通話が話せないと言うことは「経済発展への悪影響を懸念する声もある」のも当然だろう。

 中国には方言が非常に多い。有力な方言だけでも80はあると言う。山を一つ越せば言葉が違うと言われるくらいだから、有力ではない方言の数は膨大なものと思われる。異なる方言を話す者の間では、コミュニケーションはまず成り立たないだろう。

 私の中国語などは貧弱きわまるものだが、それでも地方に行くと習っている普通話とはどこか違っているなと思う言葉にたびたび出会う。そのたびに同行しているガイドや友人に「これはどういう言葉か」と聞くが、たいていは「○○の方言です」という答えが返ってくる。簡単な例では電話で「もしもし」と言うのは喂(wei)と言い、抑揚はいろいろだ。中にはwaiというのもあった。西安の李真たちと食事した時、終わって「喫飽了(chibaole)」(ごちそうさま)と言ったら、「その発音は陝西方言です」と言われた。「飽」の抑揚が違ったようだった。この程度なら別に会話するのに東京弁と大阪弁のアクセントの違いくらいで支障はなく私にも分かることだが、実際にはまったく中国語とは違うとしか思えないような言葉が多い。

 上海語と広東語は、これは方言ではなく中国語とは別の言葉だ。聞いてもそれこそチンプンカンプンだ。1つとして分かる単語はない。上海人は上海語が中国語だと言うと聞いたことがあるが、上海で育った友人達は中国話も上海語も自由に話す。中国語は小学校に入ってから学んだそうだ。友人の1人の施路敏は幼い頃は南京の祖父母の手で育てられたから南京方言も使える。その上日本語もうまく、いったいどんな頭の構造になっているのかと思うことがあるが、この程度のことは何でもないのかも知れない。

 少数民族の言語が中国語と違うのは当然だが、それでも老人を除くとたいていの者は中国語も話す。それでも就学前の幼児は家庭では普通は民族語を話しているので中国語は話せないようだ。新疆のウルムチのバザールでガイドの趙戈莉が幼い子に話しかけたが通じず「まだ話せませんね」と言った。中国語を習わなかったために民族語しか話せない大人、特に高齢者は、学校で中国語を習った子どもを通訳にして外部の者と話すことがあるそうだ。「三国志」の蜀漢の劉備は中国北方の現在の河北省の出身だが、現在の南京付近の呉の孫権とはどのようにして会話したのだろうか、通訳がいたのだろうかなどと考えたりする。

 言語一つ取ってみても、中国は広大だとつくづく思う。今後普通話の普及がどれくらい進むのか私のような者には見当がつかないが、おそらく道は険しいだろう。中国政府は9月第3週を普通話の推進習慣にしているそうだ。