中国迷爺爺の日記

中国好き独居老人の折々の思い

黄桂稠酒(huangguichoujiu)

2006-09-21 00:08:59 | 中国のこと
 私はアルコールに弱い。嫌いではないがすぐに酔いが来る。日本酒、ワイン、ウイスキー、ブランデーなんでも口に含んだ時にはおいしいと思うが、後が続かない。せいぜいビールなら時間をかけてコップ一杯くらい飲めるだけだ。父は酒をよく嗜んだが、きれいな飲み方で酔いつぶれたのを見たことがなかった。妻も息子達もアルコール類は好きだった。だから私は父とも妻とも息子達とも呑む楽しみを持ったことがない。これは寂しいことだと思っている。

 そんな私がうまいなと思って心を惹かれたのは、西安の李真の家で食事をした時に出された酒だった。かすかに良い香りがして薄いものだったので初めは気がつかなかったが、しばらくすると体が温まってきたので酒だと知った。その時はそれで終わったが、どういう酒だろうかという興味は残った。その後、豆腐乾のところで紹介した趙珩(Zhao Heng)の「中国美味漫筆」(青土社)を読んでいると「西安の稠酒と泡mo(moは食+莫)」という一文があった。その中の一節。

  黄桂稠酒も西安の特産で、その起源は太古までさかのぼることができ、殷周代に神を祭り、祖先を祭った醴(れい)は稠酒にほかならない。『詩経』「周頌」の「豊年」で(中略)と詠じられている醴は稠酒である。これで酒を作り甘酒を作り、これを祖先にすすめ献じる。 

 西安の黄桂稠酒は桂花をも材料としており、米酒の清醇[混りけのないさっぱりした味わい]のほかに、淡い桂花の香りもある。(中略)本物の上等の稠酒は淡い牛乳のようで、やや黄色っぽい乳白色をしている。 

 この一文を読んで、私が李真の家で勧められたのはこの酒だと気づいた。あの時に感じた香りは桂花(金木犀)のものだったのだ。その後西安を訪れた時に李真に話すと、李真の両親から稠酒を1本贈られた。  



 唐代の詩人杜甫がやはり詩人の李白を詩の中で「李白斗酒詩百篇」と詠じたことは有名だが、この稠酒のラベルにはこれに関して、この詩の中で杜甫が言っている酒は正に当時の黄桂稠酒だったと書いてある。稠酒のアルコールは2~3度だから、李白が玄宗皇帝に呼び出された時にぐでんぐでんに酔って長安の酒家に眠っていたのは、確かに斗酒を呑んだためであったのだろう。

 西安はよく知られているように、唐など古代中国の王朝の都だった長安以来の古都だ。黄桂稠酒はそのような古都にふさわしく、長い歳月を経てきた由緒ある名酒だと思う。「中国美味礼賛」(青土社)の中で洪燭(Hongzhu)という詩人、随筆家は「西安の稠酒」と言う1文の最後を次のように結んでいる。

 現代人が唐代に帰ることを夢みるのが困難でなければ、少なくとも二つの道がある。
 一つは門を閉じて唐詩を読むこと、もう一つは汽車の切符を買って西安に行くことである。ただし、西安に行ったら必ず稠酒を飲まなければいけない。稠酒は西安の特産であり、さらに歴史の古い庶民の伝統的な飲みものである。