中国迷爺爺の日記

中国好き独居老人の折々の思い

美女打ち見れば・・・ 

2006-09-18 00:07:46 | 身辺雑記
 ある大学の40代の教授が、電車内で女子高校生の体に触って痴漢容疑で逮捕されたという新聞記事を読んだ。スポーツ新聞などを見るとその行為がかなり詳細に描写されていたが、よくもまあと言う感想だ。この男、同じような行為をした前歴があって、2年前には手鏡で女子高校生のスカートの下から覗き見たという破廉恥なことをして捕まっている。その時も無罪潔白を主張し、今度も否定していると言う。不惑の年代で社会的地位も高い者がどうして重ねてこのような行為に走るのか、懲りないと言うか病気と言うか理解できない。

 この男に限らず、近頃はこのような痴漢行為やセクシャルハラスメントに関する記事をよく目にするようになった。それも大学教員、教師、警察官などが少なくないようだ。痴漢は何かしらみみっちくて薄汚くて病的な印象を受けるが、セクシャルハラスメントは多くは地位を利用していて不愉快極まりない。最も怒りを覚えるのは、小中高校の教師の教え子などに対する性的暴力だ。新聞などでは「みだらな行為」などとぼかしてはいるが、破廉恥極まりない非道なことだと思う。

 何も聖人君子面をして言っているのではない。この私も年は取ったが男の端くれとして、女性に興味関心が無いなどとは言わない。12世紀に後白河法皇によって編まれた今様歌謡集の「梁塵秘抄」には、次のような歌謡がある。

  美女(びんでう)打ち見れば、一本葛(ひともとかづら)ともなりならやばとぞ思ふ、本より末まで縒(よ)らればや、斬るとも刻むとも、離れ難きはわが宿世(すくせ)。

 ここまでの執念は無くても、美女ならずとも魅力的な女性に心惹かれるのは、男としむしろ正常なことだろう。しかし、それと破廉恥な犯罪行為に及ぶこととはまったく次元の違う話だ。心の中ではいくら想像を逞しくしても犯罪にはならない。ふと気がついて苦笑して済むことだ。

 どうも近頃は実際の年齢よりも精神年齢のほうが若くなっているせいか、高齢者でも欲望に負けた行為に走る者がいるようだ。そんな記事を読むと「いい年をしたジジイが」と舌打ちする思いになる。正直なところ、私は最近になって中国の古代の皇帝や王などの権力者が老境になると、と言っても今の高齢化社会の老人に比べるとずっと若いのだろうが、不老不死の薬を求めたと言う心境が何となく分かるような気がしてきている。特に彼らは己の精力の衰えを感じ、美女を侍らす快楽が続かなくなることを恐れ、焦ったのではないかと思う。それに比べると権力を持たない庶民など気楽なものだ。老境に入ればまた、それまでに無かった楽しみもある。その中でゆったりと生きていけばいい。若い魅力的な美女(びんでう)を打ち見て心惹かれるのもいい。何事にも無理せず素直に行動するのはいいが、しかし己の心中のけだものは自由にさせてはならない。