中国迷爺爺の日記

中国好き独居老人の折々の思い

屯堡文化

2006-09-27 23:01:07 | 中国のこと
 貴州省の省都貴陽(Guiyang)の西方約80キロにある安順(Anshun)市に属する平壩(Bingba)県に、天龍鎮(Tianlongzhen)と言う町がある。このあたりにはこの天龍鎮の他にも屯堡と呼ばれる集落が幹線道路に沿って多数散在している。

 明の初代皇帝の朱元璋は西の方雲南にあって中央政権に対抗していた元梁王を討伐するため、30万の軍隊を派遣して討伐、平定した。その後も地域の安定を図るために、雲貴(雲南と貴州)高原に引き続き駐屯させ、その後は軍人の家族や内地の住民もこの地に移住して来た。軍隊と家族が駐屯した所を「屯(tun)」と言い、それを中心にして周囲に「堡(bao)」と呼ばれる商人や一般人が居住した所があって、「屯堡」と総称されるようになったと言う。それ以来600年の歳月が過ぎたが、この明帝国の子孫達は当時の文化、伝統を強固に保持して「屯堡文化」を形成し、「屯堡人」と呼ばれている。

天龍屯堡の石造りの門。


 門を入ると石畳の街路があり、セメントや石造りの家が両側に並ぶ。家々の壁には竹を編んだ盆のようなものが掛けてあり、それには色とりどりの文様や図形が描かれている。


この鎮の家の多くは明清時代のもので、石の板を積み上げて造った「石板住宅」が多い。
 

天龍屯堡で最も古い明代の路地「九道坎(jiudaokan)」。


 天龍屯堡の人口は約5千人、1千世帯ほどでほとんどが陳、張、沈、鄭、毛姓であると言う。住民は周囲に多いミャオ族やプイ族とは異なり漢族であるが、自らを「老漢族」と称していると言う(老は、「古い」、「歴史が長い」の意味)。ウルムチの趙戈莉が送ってくれた「民間文化旅游雑誌」(2001年№6)に「明朝遺民 屯堡人」という記事があり、この記事の筆者が貴陽の街頭で何人かの変わった服装の中年婦人達がいたので好奇心を起こして「あなた方はどういう民族ですか」と尋ねたら「私達は漢族ですよ。はい、本当の漢族(真正的漢族)なのです」と答えたとある。「老漢族」と言い、「本当の漢族(真正的漢族)」と言い、屯堡人の自負心、誇りが感じられる。

 彼らの話す言葉は「屯堡方言」と言われる明代の標準語を遺しているものだそうである。後で私が鎮の寺院にいた老婦人に話しかけたが通じず、下手だからだろうと思ったが、この町のガイドの娘さんに、年をとった人には普通話(標準語)は通じませんよと言われた。

 お茶を接待してくれた婦人。これも昔からの風習らしい。刺繍をした袖の広い右襟の長袍(zhangpao)を着て、腰には長い巻きエプロンを着けている。これが老漢族の女性の服装である。


 屯堡文化の1つに「地戯(dexi)」がある。さまざまな仮面を着け、戦いの衣装を着て、頭には長い雉の尾羽を挿し、ピンクの三角形の旗を数本背負った役者達が刀や槍で撃ち合う。舞台に上らずに地上で演技するので地戯と言うらしい。中国でも評判になった高倉健主演の中国映画「単騎千里を走る」の舞台は雲南省麗江だが、この貴州の地戯の場面があった。




 見物する男の子達。いかにも腕白小僧と言う風体で、役者が時々武器を落としたりすると踊りの輪の中に入って拾おうとし、蹴飛ばされるようにして追い払われるのがおかしかった。


鎮の中心にある三教寺。仏教、道教、儒教の像が祭ってある寺院。老婦人達が堂守をしていた。