中国迷爺爺の日記

中国好き独居老人の折々の思い

彼岸花

2006-09-24 00:17:56 | 身辺雑記
 マンジュシャゲ(曼殊沙華)とも言われている、誰でも知っている花。秋の彼岸の頃になると暦のように正確に咲き始める。子どもの頃には、毒があると聞いていたので、何となく気味が悪く触ろうとしなかった。そのせいか家庭を持つようになっても、野にある花でもこれだけは切って来て飾ることはしなかった。実際には毒があるのは球根で、それも処理すれば澱粉として食用にすることもでき、昔は救荒植物とされていたようだ。それに今ではリコリスと言う名で花屋にもさまざまな美しい色彩の園芸品種が売られている。



 いつの頃だったか「赤い花なら曼殊沙華、オランダ屋敷に雨が降る」で始まる歌謡曲があった。「濡れて泣いてるジャガタラおはる、未練な出船の、ああ鐘が鳴る らら鐘が鳴る」と続いたが、今でも歌えるのは我ながらおかしいことだと思っている。戦時中のことやら戦後間もないことやら定かではないが、もしかするともっと前のものかもしれない。とにかく幼い頃のことだったから「オランダ屋敷」も「ジャガタラおはる」ももちろん、歌詞全体の情景も理解できなかったし、まして愛唱歌でもなかったのに、なぜずっと覚えていたのか分からない。

 もう1つ、これは高校生の頃だったか、「彼岸花」と言うラジオドラマを聴いたことがあった。当時の私くらいの年頃の少年の隣家に、病気で引きこもっている少女がいて、時々寂しそうな声で「彼岸花」と言う歌を歌うのが聞こえてくる。少年はそれが鬱陶しくて家の中で罵ったりする。どういうきっかけだったか忘れたが、少年は少女と会って話をするようになる。ある日突然、少年は少女にひたむきな声で「好きよ」と言われて狼狽する。そんな短い話だった。ドラマは少年が成人した男性の声で「その後間もなく彼女は死にました。それから私は悔いの多い人生を送りました」というようなモノローグで終わったのだが、多感な年頃であったせいか、このドラマは印象的で、「彼岸花」を歌ったり「好きよ」と言った少女の声がいまだに耳に残っている。もう60年近くも昔のことだ。

 今年も近くの稲田の畦道に彼岸花が咲いた。花の色と刈り入れ間もない稲の色とのコントラストが美しく、秋だなあという思いを深くする。彼岸花の名所という群生地もあるそうだが、名もない稲田の畦に咲いている風情もいいものだ。