お彼岸に夫の実家のお墓参りに行きました。実家は伊那谷の北部、辰野町にあります。我が家よりずっと暖かく、もう白梅の花が咲いていました!
これは「キンセンカ」でしょうか?陽だまりに明るい花を咲かせていました。これは「フユシラズ」と教えていただきました。
花続きで…春の花畑のようなちらし寿司!炒り卵と菜の花が春らしくて素敵な一皿はお昼に義姉が作ってくれました。その他にたくさんのてんぷら(もちろん天ぷら饅頭も!)それに煮豚のプレートやサラダ、煮豆や各種お漬物などたくさんいただきました。何時も義姉のお料理は美味しいです。
昼食後、畑で「ナズナ」や「蕗の薹」を摘み、漬物のおすそ分けをいただくのに「味噌蔵」へ…実家には保存食用の「味噌蔵」があって名前の通り、自家製の味噌や醤油、各種漬物を保存していました。今でも漬物用に使っていて、温度管理が上手にできる空間です。今は外装を新しくしましたが、以前は土壁でした…
中の梁には「明治42年」の印がありました。1909年のことですから、今から113年前に作られたのでしょう。夫の曽祖父の名前も記されていました。
以前使われていた道具類が残っていました。これは醤油を作った時の桶です。夫が子供の頃は醤油も手作りしていたようです。
これは大きな漬物桶…大きな桶2つに一杯野沢菜漬けを作ったと義姉から聞きました。
広蓋やお銚子、お酒や醤油を入れたであろう徳利もありました。お銚子など食器類は蔵にとっても沢山ありましたが(昔は自宅で冠婚葬祭をしたのでその時用)、ほとんど処分してしまいました。
これは「イモ洗い棒」…2本の棒の上部をもって動かすと水に入れた泥付きの芋(ジャガイモや里芋など)がきれいになるそうです。
これは何でしょうか…義姉も夫も?でした。義兄には聞きそびれてしまいました…
竹ひごで作った鳥かごもありました。
背負かごや大きな竹かごや桶もありました。
味噌作りの時に豆をすりつぶす電動すり機が残されていました。味噌作りは私が結婚した後も行われていて、毎年手伝いをして味噌を作ったものです。
お墓参りに行った時に、実家の山の様子も見てきました。今年の冬は寒くて雪もあったので、まだ作業はしていません。これから山の手入れをする予定です。山の赤松林です。
この付近からは南東方面に南アルプスの「仙丈ケ岳」が眺められます。北東方面には「蓼科山」も見えます。
こちらでも地元のお宮の「御柱祭」を行うようで、御柱が準備されていました。
この地区の天神様を祀ったお社が老朽化したため、義兄と親戚の方と2人で作り替えたという「鞍掛天満宮」に立ち寄りました。お社は細かい部分も丁寧に作られていて素晴らしい出来上がりでした。これは地元の子供たちのお祭りに間に合わせて完成し、地元紙にも載りました。
いくつもの石碑がこの周囲にありましたが、安政3年(江戸時代1857年)の表記のものもありました。
味噌蔵の中で古い道具に出会ったり、この天神様を訪れたりして、古に思いを馳せたお彼岸でした…
花の咲く時期の違いを楽しみながら
「味噌蔵」に興味津々
「明治42年」の印、
「以前使われていた道具類」
・・・歴史を感じながら
「これは何でしょうか…義姉も夫も?でした」
私には脚立に見えますが、お三人さまが「?」なら きっと違うのでしょうね。
気になります。
私の実家でも醤油や味噌を作っていましたので大きな樽や大きな味噌釜専用のかまどが外にしつらえてあったのを思い出しながら拝見しました。
実家の祖父はどんどん処分する人、嫁である母は捨てない性格、民具などにはかなりの「想い」が残っていました(私も)
夫の実家は「何も捨てない」家でしたので あれもこれも残っていましたのに・・いつかは処分される運命にあったのでしょう。
そうそう
「キンセンカ」
私には「フユシラズ」に見えます。
と 書こうとして
いやいや「キンセンカ フユシラズ 違い」で検索してからと・・
おかげさまで 違いがわかりました。
結果 今の季節でしたら「キンセンカ」の園芸種 「フユシラズ」かな?
※帰宅が遅い娘も嫁ぎ 義母が逝ってしまった今、こんなに遅くまで起きていなくてもいいのですが
長年身についた「分割睡眠」のままでいます(一度、午後9時ごろに眠り 11時半ごろ目覚めて義母が1時半ごろトイレに行くのを見守ってから就寝)
義母は2月に98歳と11カ月・・頑張り抜いて生きてきた生涯を閉じました。
お彼岸にご実家へお墓参りに行かれたのですね。
わたしはここ数年、両実家のお墓参りにも行かず、
すっかり不義理をしちゃってます・・・反省(笑)
梅の花が可愛いです♪
花が咲き始めたばかりの様子を見ると、
信州にも春が来たんだなぁ…と、嬉しくなります。
「春の花畑のようなちらし寿司」とは、素敵な表現ですねぇ〜
春を感じさせてくれる、お義姉さんのおもてなしも嬉しいですね♪
辰野のお彼岸も、やっぱり天ぷら饅頭〜(笑)
実家と言ったら「漬物のおすそ分け」ですよね。
わたしもそうでした・・・
そして「味噌蔵」へ! これも同じです。
でも、こんなに立派な味噌蔵ではなかったですよ〜
実家のは、狭くて暗くて寒い味噌蔵でした・・・
113年前とは随分歴史のある味噌蔵ですもの、立派なはずです。
広いから、色んなものが置かれているのですね。
どれもこれも懐かしいものばかりですが、
味噌作りの時に豆をすりつぶす電動すり機・・・
ご実家は、なかなかハイカラさんだったのですね。
わたしの子供の頃実家では、手動でハンドルを回して豆をすりつぶしました。
辰野の味噌玉は丸ですか? それとも四角?
富士見は、豆が潰れてニョロニョロ出てきたものを丸めて、
トントンしながら大きな四角に整えて、
真ん中に左右から指を入れて貫通させ、空気穴を作り、
四角い味噌玉を藁で縛って天井にぶら下げて、乾燥させてました。
超懐かしいです〜(笑)
takeさんのお義母さんのこと、
わたしもコメントを頂戴して初めて知りました。
takeさんのご苦労も、あれこれ想像はしていたのですが、
それ以上だったんだなぁ…と、今こちらへのコメで・・・
なんだかわたしたちも寂しいですねぇ〜
古くからの味噌蔵が保存されているのですか?
113年前に作られた土蔵・凄いですネ。
未だ、漬物蔵として機能して居るのですか??
時代劇に出て来そうな徳利や漬物樽ですネ。
鳥籠だけは以前、カナリアを飼って居ましたから見覚えがありますヨ。
他の生活必需品は良く判りませんが、当時は最先端のアイディア物品(?)だったのでしょうネ!
この地区の天神様を祀ったお社を義兄と親戚の方と2人で作り替えられたのですか??
凄い! 宮大工さんと言う事でしょうか?
石碑との新旧の格差がハッキリですネ。
歴史を経て周囲と溶け込めば
御義兄様と御親戚の方の手腕も言い伝えられていく事でしょうネ。
御柱が予定通り執り行われるのですか?
暗いニュースの中、明るい光明がさす様ですネ。
しばらくPCから離れていて、お返事遅くなってしまい申し訳ありません…
お義母様のこと、ご冥福をお祈りするばかりです。
そしてお悔やみ申し上げます。
コメントいただいてびっくり致しました。
このところお義母様はいかがお過ごしかしらと、
ここしばらくブログにも登場されないので気になっていました。
そしてこのお知らせ…母のことと共にまだまだと思っていたので、
私も何だかとっても淋しくてなりません…
立派なお歳、充分にこのお歳を生きてこられてお見事ですが、
ご家族にしたら本当にお淋しいことと思います。
お義母様も長い人生、お疲れさまでした。
ご長男のお嫁さんのtakeさんも本当に良くされていて…
本当にお疲れさまでしたと言いたいです。
お義母様のご冥福をお祈りするとともに、
takeさんもお疲れなきようにと祈ります。
味噌蔵や古き道具類は懐かしいものですね。
ご実家でもお義母様の家でもたくさん残されていたことでしょう…
夫の実家でもだいぶ処分したようですが、
味噌蔵にまだ残っているものがあって興味津々でした。
もうほとんど使っていないものばかりでいずれ処分されるのでしょうが…
この味噌蔵の温度管理は漬物や味噌の保存に最適!
我が家にもほしいものですが、場所がありません…
この黄色の花…私もちょっと?でGoogleレンズで見たのですが、
「フユシラズ」だったのですね。
「キンセンカ」にはちょっと早いかしらとも思ったので納得です。
教えていただいてありがとうございました。
分散睡眠の習慣はお義母様のためでもあったのですね。
本当に良くなさっていて、お疲れが今になって出るのではと心配です。
どうかお寂しい心を抱えてでしょうが、ゆっくり体を休めて下さい。
夫の実家は隣町、40分ほどの距離なので良く出かけます。
盆暮れ彼岸、両親の命日をはじめ、ちょくちょく足を運んでいます。
私の実家はもうなく、兄弟もいませんし、ここが唯一の実家ですので…
ちょうど梅の花が咲いて、春が始まった感じでした。
このちらし寿司も春の花畑の雰囲気…
義姉はお料理上手で私は教わるばかりです。
天ぷら饅頭は信州では欠かせないものですよね。
どこのスーパーにも時期になると当然のように並びますもの、
ついつい買ってきてしまいます…
実家でお裾分けは「漬物」…これはみさとさんも一緒なのですね。
私も結婚当初は小さな桶に我が家用に漬けてもらっていただいていました。
それにその頃は味噌やお米や野菜も…
もちろん手伝いには行きましたが、ありがたかったものです。
今でも自分で作らない物は感謝していただいています。
味噌は毎年春先に実家で作っていました。
この機械で大豆をつぶして、それをみんなで丸めて四角にして、
広いざるに並べて味噌蔵の棚において置いて、
時期が来たら臼でつぶして樽に詰るといった手順だった気がします。
吊るすことはなかったですが、いずれにしても懐かしいですね。
今は手作りといっても機械化が進んで味噌玉を作ることがありません…
takeさんのお義母様のこと、お聞きして本当に淋しいですね。
blogを通していろいろ教えていただきましたし、
何だか身近な方のような気もしていましたので…
take さんも良くやられていて、お疲れが出ませんようにと祈るばかりです。
実家は辰野の南寄りの場所…
隣町ですが、こちらよりだいぶ暖かです。
このお彼岸の時ももう白梅が咲いていて暖かさを感じました。
この味噌蔵はずっと使われていたようです。
家の北側にあって、味噌や漬物などには最適の温度管理ができる場所です。
今の時代になっても漬物などはここに保管されています。
半分は物置になっていますが…
もうこの漬物樽も徳利も使われていないものですので、
いずれ処分されるものかと思います。
時代劇に出てきそうなものですよね。
味噌蔵の他に普通の蔵もあって、そちらは二階建てで、
食器類からいろいろなものが保管されていましたが、
もうだいぶ処分されました…
この天神様のお社を作った義兄も親戚の方も素人です。
元々木工が得意の義兄…色々調べて手作りしたようです。
その昔、子供たちに木のおもちゃの車や積み木を作ってくれたこともあります。
なかなか上手に出来たと新聞記事にもなって満足の様でした。
御柱の山出しは人の手でなく車での牽引になりましたが、
各地の神社では人の手で運ばれるのでしょうか…
いずれにしても無事お祭りができるといいですね。