諏訪湖周辺のミュージアムが連携して開催していた「諏訪湖まちじゅう芸術祭」…一か所目は「岡谷美術考古館」を訪れました。二か所目は「根津八紘美術館」に行ってみました。この美術館は「諏訪大社 下社 秋宮」のすぐ近くにあります。とっても小さな美術館で一階はカフェ、二階が美術館になっています。
「根津八紘」先生は産婦人科医…下諏訪町内でクリニックを開かれ、産科領域で先駆的な仕事をされています。その合間に書画をたしなまれていてその作品がここで展示されています。
先生は専門分野の著書と共に画集も出されていて、それらも展示されていました。
美術館の脇に「歴史のこみち」があって、少し歩いてみました。この下諏訪町の「諏訪大社 下社 秋宮」周辺は古墳などの遺跡もあり、江戸時代には「中山道」と「甲州街道」の交わる宿場町として賑わったところです。今でもその面影が残っている場所があります。
この門をくぐると日本庭園と蔵、そして落ち着いた佇まいの古民家があります。昔使われたであろう竈なども残されていました。
近くには趣ある路地もあります。小沢昭一さんがラジオ番組「小沢昭一の小沢昭一的こころ」でも取り上げられていた路地には句碑「夕顔やろじそれぞれの物がたり」も立っています。
最後に路地で出会った花たちです。「ミズヒキ」と「ヤブラン」、それに白とピンクの「シュウメイギク」…秋の風情の花たちでした。
地元で開催された芸術祭ですが、期間中にはなかなか多くを巡ることはできませんでした。それでも他に訪れた場所がありますので、次に続きます…
諏訪マタクリニックの先生ですよね?
はい、有名で先駆者的先生。
そして・・・
くちこは、現役時代、一旦はこの病院に言って合宿のような講義、実践を学ばせて貰うべく病院から派遣されるメンバーだったんです。
ただ、くちこ母が危篤となり断念した経緯があるのですよ。
でも、同僚達から学んだことは教えて貰ったのでした。
懐かしい・・・
余談ですが、
参加をキャンセルする時に、当時のくちこが勤務していた病院の医師(雇用主)ね、
くちこの日頃の行いが悪いから、なかなか親が死なないのだと、キャンセルにたいして腹が立ったらしく言ってきました。
自分は、行いが良いから親がさっさと死んだのだ、とも。
なんとも異様なモノサシで生きている医師だったことを思い出しました・・・
母の病院から、もう時間の問題と電話があり、勤務中早退させて貰うために報告に行ったら、許可は出たけれど、一言・・・
「まだ年休だよね」が送り出す言葉でした。
それね、
未だ生きているから忌引きにはならないよって意味だったんです。
そしてね、
これらの言葉、悪気じゃ無いんです。
そう言う感覚の医師、なんです。
請われて婦長をしていましたが、とうとう我慢できずに退職したんですよ。
遠い昔の話をここでつらつら・・・すみません!
こちらもこのお話を聞いてビックリです!
根津先生は「諏訪マタニティクリニック」をやっておられ、
このクリニックは地元では「諏訪マタ」って呼ばれています。
私も何度かお祝いやらお見舞いやらで訪れましたが、
病院はそれほど大きくないのにされていることは大きい!
それに食事はとっても良いようです…
くちこさんがこちらまで来られる予定だったのですか、
研修の方も受け入れているのですね。
有名人がお忍びで先生の腕を頼ってこられるとか
とにかく有名な先生でメディアにも取り上げられたりすることもありますが、
お忙しい中で書をたしなみ絵を描かれ…
そのうえ広く世の中に目を向けられている先生かと思います。
地元の子供に関する活動にも力を貸してくださっていますし…
医師も様々…
くちこさんのお話の中には本当にビックリするような医師の話が出てきますね。
この医師も本当に異様な物差しで生きている感じですね。
人の死をしかも親の死をどう受け止めているのか、
私もこういう感覚の医師が上司はやっていけそうにありません。
くちこさんが退職されたのも頷けます…
それにしてもくちこさん、本当に様々な経験を積まれていますね。
きっとたくさんの経験が今のくちこさんを作られているのでしょう。
すごいなって思います。