蓴菜沼園地に建てられた「イザベラバードの歩いた道記念碑」(中央)、右は「明治天皇蓴菜沼小休所」の碑
昨日の新聞に 「イザベラ・バードが歩いた道」の記念碑が、大沼国定公園内の蓴菜沼園地に建てられたことが報じられていた。そのうちに見に行こうと思っていた。しかし、たまたま、今日の午後から函館文学館で「イザベラバードが見た函館」という講演会があるとの情報をいただいたので、その前に出掛けてカメラに収めてきた。
設置者は「イザベラ・バードの道を辿る会」(事務局は日高管内平取町)で、その目的は、1878年(明治11年)に北海道を初めて女性一人で旅した英国人旅行家イザベラ・バードの歩いた道をフットパスとして紹介するためのようである。
イザベラ・バードは、北海道南部の太平洋沿岸(函館~室蘭~平取町)を旅して、旅行記「日本奥地紀行」(1885年)によってまだほとんど知られていなかった北海道と東北地方を世界に紹介した。1878年(明治11年)8月17日に函館を出発した彼女は、この地蓴菜沼に夕方に到着。当時、開拓史高官がよく利用した「宮崎旅館」(現存しない)に宿泊したと考えられる。
以下、読めるように、3つに分割して撮影してきた。
イザベラバードの旅装と当時の札幌本道~蓴菜沼~森方面へと歩いた道
彼女の著書の中の蓴菜沼の様子を綴った文章の紹介
イザベラ・バードの紹介
○講演会「イザベラ・バードの見た函館」(函館文学館)
この講演会は、桜井健治氏(日本近代文学会会員)が講師の函館文学館連続講座「函館・文学の散歩道」第3回目の講座であった。知り合いの館長に電話したら、「今回は人気があって定員の50名はとっくに超えていますが、申し込みを受け付けています」とのことだった。
90名ほどの参加者だった。3回の講座の中で、今回が最高人数だったとのこと。文学というよりは、イザベラ・バードの名前に惹かれた歴史好きが多かったようだ。この講座を教えていただいたharpbabaさんご夫妻、箱館歴史散歩の会主催の中尾さん、古道研究家でイザベラバードの歩いた東北・北海道の道すべてを自転車で踏破しているも~さんなどの顔もあった。
当時の外国人の行動は通常開港された5都市から40km以上外へは出歩けなかったが、イザベラ・バードは、イギリスの公使が外務省に働きかけて、フリーパスポートを持参していたので、どこでも歩けた。旅行家としての高い評価を受けていたことが分かる。
「日本奥地紀行」は、妹に当てた手紙形式の通信記録とのこと。函館には、1887(明治11)年8/10~15と平取から戻った9/12~13に滞在。38報には、短い期間にもかかわらず、エゾに関する基本認識を覚え書きという形で書かれていることが凄い。その中に、函館の人口や地理的条件、風の強いこと、町の様子、生活のしやすさ、清潔さ、学校の数の多さ、特に昼働く丁稚たちの夜間学校があったこと、4つの教会があってそれぞれ伝導所があったことなどなど、先進的な都市であったことことが驚異的な印象で記されているとのこと。39報には、函館の病院設備や施術のすばらしさや1日の患者が160人もいたこと。懲役所の待遇の寛大さなどが述べられているとのこと。
これを機会に、「日本奥地紀行」をぜひ読んでみようと思った。旅の記録と言うよりは、よく調べていて、日本文化論としても一級の紀行文であるとのこと。