①下山後、北斗市清水川交差点から306.2峰を同定する。後ろの高い山は696.3峰(二等三角点・河汲沢)。
函館近郊の古道の探査研究家である も~さんが、1週間ほど前から、北斗市文月開拓の奥にあった松前藩の鷹場だったという姉弟山(あねたかやま)の位置を探索していた。昨日、3回目でその辺りで最も高い306.2峰(四等三角点・小川上)まで登って来た。
その記録を参考に、足跡のある内にと、早速トレース泥棒をして来た。姉弟山のことが記載された説明板が設置されている文月開拓の小高神社は、子供の頃よく遊びに行ったYo君の家の前にあったことを思い出した。帰宅後、神奈川にいる彼に電話して聞いてみたら、とても懐かしがっていたが、姉弟山という山は初めて聞いたとのこと。神社は当時、樺太から引き上げてきて開拓した彼のお父さんたちが建てたが、建造に当たった宮大工は、当時同じクラスにいた向野のYaさんのお父さんだったとのこと。
その神社の先のカーブ地点に車を置いて、昨日のも~さんたちの足跡を辿った。文月川から尾根に取り付き、その尾根伝いに306.2峰まで登った。奥に連なる北西隣のs300ピークの方が高そうに見えたので、そちらへも登ってみた。そのコルから南隣のc290ピークへも登って、306.2峰へ戻った。
下山は、も~さんたちは248ポコ付近から八郎沼の方へ下っているが、すべて同じ所を歩くのも芸がないので、その手前から、登りのときに左手に気になったc280ピークへ登り、その南東尾根を下って文月川沿いの作業道跡へ出た。そのc280ピークへの登りの尾根で索道用のワイヤーロープの残骸を目にした。頂上には、索道の支柱と思われる木製の塔が残ってたのに驚いた。どこからどこまで繋がっていた索道かは不明だが、子供の頃、大野川に架かる鹿島橋のところまで、この方向の山を越えてくる索道(木材か鉱石を運搬)があったことを思い出した。これがそれだったのかもしれない?
下山後、この山が見えるところを探してあちこち走り回ったが、結局清水川の交差点付近からよく見えた。いずれにしても、306.2峰が姉弟山という確証はないが、この辺りの山だったには違いない。も~さんの今後の調査に期待したい・・・。
GPSトラックログ
②小高神社と道祖神
この神社は、子供の頃よく遊びに行ったYo君の家(今の文月開拓会館の場所)の前にあったことを思い出した。
③この説明板の最後に「この辺りは松前藩の鷹場だった姉弟山(あねたかやま)へ通ずる所で、
松前藩主も鷹狩りで良く通った道であった・・・」と記されている
④小高神社から姉弟山だろうと思われる方向を眺める(306.2峰は見えない)
左奥の高い山は696.3峰(点名・河汲沢)
⑤頂上手前のポコから頂上(中央)を望む
⑥306.2峰頂上・・・たくさんのテープが巻かれた棒杭が立ち、根元には四等三角点
⑦頂上の北西隣のピークから696.3峰(点名・河汲沢)を望む
⑧c270ポコからこの後登ったc280ピークを望む
⑨c270ポコとc280ピークとのコル付近で見つけた索道用ワイヤーロープ
⑩索道の支柱?・・・下でワイヤーロープを目にしてないと、いったい何だろうと思ってしまいそうな奇っ怪な形状だ。
子供の頃、大野川の鹿島橋のそばまでこの方向の山を越えてくる索道(木材か鉱石を運搬)があったことを思い出した。
これがその索道だったのかも?