
好天で多くの登山者で賑わっていた
朝から予報通り、スカッ晴れの天気になった。当初は初滑りに行こうと思っていたが、ここ3日ほど雪が降っていないこと、昨日の高温で雪が解けたのでガリガリ斜面になっているであろうと思って止めた。しかし、天気がもったいないので、家からスタートして空身で函館山を目指した。
いつもは下りに利用する七曲がりコースから頂上経由で旧登山道を下る予定だった。家を出て、まずは住吉漁港を目指した。それは、海抜0メートルからの純登山をしようと思ったからだ。七曲がりコースを登って、千畳敷コースを歩いていくと、も~さんが、顔なじみのライフスポーツの女性メンバー二人と一緒にやってくるのと出会う。彼らは「焼き場の裏から入江山へ登ってきた」と言う。
そんなルートは知らなかった。彼は、昔の地図をもとに要塞前の函館山の古い道を調査しているので、何かの道だったのだろう。まだ歩いたことのないルートなので、頂上への予定を変更して、入江山から彼らの足跡を辿ってそのコースを下ることにした。入江山までの間に20名ほどの登山者と出会った。
入江山からの笹藪で覆われた北西尾根がそのルートだった。上の方は特に道の痕跡のない笹藪の尾根だった。下っていくと尾根を巻くような旧道の痕跡に出会うが、上の方には続いていなかった。それを辿って右へ進むと谷地形に出て、そのまま下っていくと火葬場の裏に出た。帰宅して地形図を見たら、その谷の中をつつじ山駐車場までの古い道が点線で記載されていた。
帰宅後、電話で聞いたら、「以前、地図に載っている火葬場の裏からの谷の中の道の痕跡を辿ったときに、途中からこの尾根に向かって古い道の痕跡があったので、それを確かめたくて登ってきた。しかし、尾根のところで終わっていたので、そのまま藪尾根を登ってきた」とのことだった。納得!
火葬場の裏側へ出るのは、あまり気持ちの良いものではないが、思わぬ形で、函館山の南側から北側への一番長いコースを縦走した形になった。あとは火葬場からの車道を通り、ドック前へ抜け、途中、市役所の食堂に寄って、安い昼食を食べて帰宅した。
自宅発8:35~9:55住吉漁港~10:25七曲がりコース登山口~11:00千畳敷~11:35入江山~12:00火葬場~12:20どつく前電停~12:55市役所食堂13:30~14:30自宅着 所要時間(昼食時間を除く)5時間20分、歩数計31.000歩。

住吉漁港から立待岬と七曲がりコースの付いている急斜面を眺める

ふるる函館の裏の道路から眺める市街地

地蔵山展望台から眼下の鞍掛山と海を挟んで汐首岬を眺める

地蔵山展望台の上のカシワ林のなかの道


も~さんご一行 も~さんとのツーショット

入江山から函館湾越しに駒ヶ岳~横津連峰を望む。右の手前のピークは観音山。

入江山から足跡を辿って北西尾根を下る。

火葬場下の墓地で目にした「天下の号外屋翁の墓」と説明板
説明板には次のように書かれている。
「信濃助治は、明治27年(1894)年6月、衣類・コート・帽子・足袋のはてまで赤ずくめで来函した。同年11月、日清戦争の頃、彼は北海新聞の号外を函館市民にまいて”天下の号外屋”と称して売り出し、「赤服」と呼ばれていた。「赤心」(いつわりの無い心)は日本武道の精髄を表すとして、すべて赤色を用いたとのことである。日清戦争終結後は、戦勝記念に名将軍を全国に訪ねて書を頼むなど、奇行の多い人だったので、当時の地元の新聞にも奇人として紹介されている。」

数日前の強風で上の方が曲がったクリスマスファンタジーのツリーの修理作業が終了していた

市役所の食堂での昼食~フライドチキンカレー定食(うれしい510円)。ご飯は半分残した。

今日歩いた函館山部分のルート