癌春(がんばる)日記 by 花sakag

2008年と2011年の2回の大腸癌手術
   ・・・克服の先に広がる新たな春を生きがいに・・・

中辺路3日目・湯ノ峰温泉~楊枝~熊野速玉大社〈歩き22km〉

2014年05月21日 | 登山・旅行
《今日の目的地・熊野三山のひとつ新宮市の熊野速玉大社》

熊野参詣で本宮から新宮の熊野速玉大社へ参る手段は、舟で熊野川を下ったことは知られている。今でも地図に熊野川(熊野参詣道)と書かれ、「川の古道」と呼ばれている。しかし、庶民の多くは舟賃の要らない陸路を選んだようだ。川沿いのその頃の道は熊野川を挟んだ国道や県道に埋もれてしまい、いわゆる古道は残っていない。

計画では、前半は国道を歩き、後半の日足からちょっとリッチに川下りの予定だった。しかし、夜通し雷を伴って降り続いた強い雨で増水して、川下りができない可能性が強い。

そこで、持参した本を参考にして、前半の見所のない国道部分をバスで移動し、昔の道の面影を残しているという川丈(川端)街道と呼ばれた県道小沼紀宝線を歩くことにした。楊枝から新宮までの約22kmである。

幸い、夜通し降り続いた強い雨は朝には上がったが、湯ノ峰温泉から6:55発のバスに乗りるときにはまた降りだした。楊枝口で下車。三和大橋を渡って左岸の県道へ。弱い雨の中を傘だけで歩いたが、まもなく止んだ。


間もなくして、和気の集落を通過。好きな山村風景だ。この後、8kmは集落も民家もなかった。


その後は左側が断崖絶壁の林道状の狭い道が続く。あちこちで復旧工事をしていて、通る車は工事関係者のみ。


やがて、橋がすっぽり流されて架け替え工事に阻まれた。しかし、工事関係者が通過する架設階段を通らせてもらった。


その後、唯一古道の痕跡が残る6.8km地点の「デンジ(宣旨)帰り」を探しながら歩く。しかし、見落としたようなので戻りながら探す。標識は工事関係者の車の陰になっていた。

その由来は天皇の使者が増水で通れず、帰ってしまった故事に由来する。良く見ると岩に階段が彫り込まれているのが判る。ここから川面の近くまで下った古道の痕跡である。


やがて、左手が急に開けたところに出る。「飛雪の滝」と新しいキャンプ場だった。


その先は唯一川から離れ、水田の広がる「浅里郷」の中を通過。素晴らしい雰囲気に感動していたら、「日本の里百選」に選ばれているという。

そこから南は道も広く快適な道路となり、民家も点在するようになる。しかし、行き交う車はコンクリートミキサー車ばかり。


やがて、民家が多くなり、川が大きく蛇行するようになるとゴールは近い。

スタートで渡った三和大橋以来初めての熊野川を跨ぐ新熊野大橋を渡る。すぐの交差点を右へ進むと今日の目的地である熊野速玉大社に到着。13:15、スタートして5時間45分だった。

その後、今日の宿であるサンシャインホテルに到着。まだ早い時間だったが、シャワーを浴びてビールを飲んだら動きたくなくなった。


夕方になって、写真を目にしたときに、ぜひとも実際に目にしたいと思っていた神倉神社へ。
この神社はゴトビキ岩を御神体とする神社である。そもそも熊野信仰の原点は、自然崇拝で、岩、木、滝などに神が宿るとして崇拝してきた。


いきなりの自然石の急な階段に度肝をぬかれた。この500段の石段は源頼朝が寄進したとのこと。


神社の下から新宮の町並みや熊野川河口を望む。

《追記》 
この神倉神社は熊野速玉大社の元宮で、現在地に新しく大社の宮を遷したので新宮と呼ばれ、新宮市の語源になったそうだ。