癌春(がんばる)日記 by 花sakag

2008年と2011年の2回の大腸癌手術
   ・・・克服の先に広がる新たな春を生きがいに・・・

熊野古道5日目(中辺路)・那智山~大雲取り越え~小雲取り越え~請川〈27.5km〉

2014年05月23日 | 登山・旅行
《越前峠への急な道を下って来る外国人。今日は20人ほど出会ったが、日本人は3人だけ。ほかは全て欧米系の外国人ばかり》

本宮・新宮・那智と巡った参詣者は再び本宮へ戻って帰路に就いたという。そのときに使われたルートが、今日歩いたこの大雲取越え~小雲取越えである。だだし、天皇の行幸がメインだった中世は再び同じルートを戻ったらしい。このルートが定着したのは、一般民衆の熊野詣や西国三十三ヶ所巡礼が盛んになった近世以降らしい。また、国道42号線が開通するまでは、大阪方面へ抜ける山越えの唯一の幹線道路だった。

今日のルートは、途中の小口で泊まって2日に分けて歩くのが普通らしい。しかし、本宮手前の請川までなら27.5kmなので、800m超の3つの峠越えはあるが、10時間もあれば歩けるだろうと考えた。ネット上でも1日で歩いた記録も見られる。

まずは、勝浦駅始発のバスで那智山に戻る。7:15、那智大社への急な石段登りからスタート。


7:30、青岸渡寺の鐘楼の横から古道に入る。最初は舟見峠までの標高差550mほどの登りが続く。斜度はそれほどきつくない。これまでにないほど幅広の石段や石畳の道である。


標高850mほどの舟見茶屋跡に到着。東屋の建つ展望台からは、妙法山を挟んで熊野灘が望まれる。その先の舟見峠の少し先がGPSで測ったら888mでこのコース最高点だった。

この後、いくつかの茶屋跡を見ながら進む。地蔵茶屋跡までの1.3kmは舗装された林道を歩く。

石倉峠(805m)を越え、越前峠(840m)へ。逆から登って来た外国人夫婦はかなりつらかったようだ。オーバーなジェスチャーでそれを伝えてくれた。確かに、そこから標高差800m近い小口集落までの下りが長くつらかった。


11:40、楠の久保旅籠跡に到着。ここは大正時代まで営業していたらしい。この前後に10数件の旅籠があったらしく、その痕跡が残っている。ただ、不思議なのは、その後の茶屋跡もふくめて、近くに川も沢地形もまったくないことだ。水の確保はどうしていたのだろうとずっと疑問のままだった。


12:15、苔むした大きな岩に3つの梵字が刻まれた「円座石(わろうだいし)」に到着。この梵字は、熊野三所権現の薬師如来、阿弥陀如来、観音菩薩を表しているらしい。


12:30、小口集落に到着。多くの古道歩きの人が泊まる廃校利用の小口自然の家を左に見ながら県道を下って行く。


12:50、昭和29年まで渡船があったという小雲取越えコース入口の小和瀬口に到着。新しい東屋やトイレがあるので、そこで15分の昼食タイム。

この小雲取越えは、最高地点が450mほどで、きついアップダウンもない快適な歩きだった。


大雲取越えは、ほとんど檜と杉の林だったが、こちらは自然木の明るく快適な尾根歩きもあった。

椎の木茶屋跡を過ぎ、桜茶屋跡を過ぎると、小雲取越えの最高地点桜峠。その後なだらかな尾根道が続く。


15:15、見晴らしの良い「百間ぐら」に到着。紀南の最高峰・鋭く尖った大塔山から果無の山々まで、本宮を包む熊野三千六百峰が望まれる。やがて、樹間から熊野川が見えて来る。


16:35、9時間20分で、今日のゴールである請川集落に下り、コンビニで買い物をして、予約しておいた民宿に到着。本宮手前3km地点である。

この中華料理店を兼ねた民宿、素泊まりで夕食は店で好きなものを食べれて便利だが、昨日とは天と地の違いだった。

部屋も古く、浴衣もタオルもなし。風呂に入れると言うので浴室をみたら、浴槽は空。仕方ないので自分でお湯を入れて入った。洗い場の椅子もなし。これで4400円は情けない。せめてもの救いはクーラーがあったことだけ。

夕食に味噌ラーメンと野菜炒めを頼んだ。600円のラーメンなのに具はわずかなもやしだけ。ご夫婦の愛想はよいのだが…。

これまでの最長距離の大満足の歩きの締めにしてはちょっと残念。それほど疲れがなかったのがせめてもの慰め…。