癌春(がんばる)日記 by 花sakag

2008年と2011年の2回の大腸癌手術
   ・・・克服の先に広がる新たな春を生きがいに・・・

棒二森屋ノスタルジー~その2~

2019年01月10日 | 日常生活・つぶやき

 いよいよ今月の31日で、82年の歴史を閉じることが決まった「棒二森屋デパート」は、「金森森屋百貨店」と「棒二荻野呉服店」が合併して、1937年(昭和12年)10月1日に現在地で開業した百貨店である。
 
 「金森森屋百貨店」は、初代渡辺熊四郎が、1869年(明治2年)に函館市大町で北海道初の洋品店であった「金森森屋洋物店」として創業。一方の棒二荻野呉服店は、1882年(明治15年)に荻野儀平が、上磯戸切地で「棒二荻野商店」として創業、呉服を扱った。「金森森屋百貨店」から数えると、創業150年になる。

 去る11月5日に、屋上の互福稲荷神社が公開になったので、その時に主に外観の懐かしい所をカメラに収めて来て、「棒二森屋ノスタルジー」としてアップした。

 今日は、7階の催事場で「全国うまいもの味めぐり」が開催されていた。三百名山巡りで食べた美味しかった物があったので掛けて来た。多分、今日が最後の訪問だと思うので、主に店内の中の懐かしい所をカメラに収めて来た。


正面玄関から入った所


中央柱の上部の意匠は昔のまま


売り場案内板


正面玄関の内側。対になった熊の彫刻が懐かしい


玄関横の1階から2階へのカーブした階段


1959年に設置されたエスカレーター。これが初めて乗ったエスカレーターだった。


表示が9階まであるエレベーター。現在は7階までだが、9階があったのかどうかは記憶にない。


大理石とフローリングの階段。これも昔のままで懐かしい


子供のころの1番の思い出の昔のままの7階の大食堂。現在はデパートの食堂では全国一の広さだそうだ。

親と一緒に買い物に来ると、この食堂が1番の楽しみだった。しかし、何を食べたのかは覚えていない。
当時は、食堂の名前はなかったが、現在は業者が営業しているのだろう。
今日は夕方だったので空いていたが、最近の昼ごろは懐かしさを求めてくる客で激混み状態らしい。


メニューウインドー。昔は模型のサンプルだった覚えがある。


7階の催事場で開催されていた最後の「全国うまいもの味めぐり」。
静岡の富士宮焼きそばと栃尾の油揚げを購入。
ここだけは混んでいたが、ほかの階は相変わらずガラガラだった。

 幼少のころの一番の思い出だが、大混雑の歳末の買い物に付いてきて、迷子にならないように、母親の角巻きの裾を掴んで歩いていた。しかし、いつの間にか別の人の角巻きを掴んでいたらしく、見上げた顔が母親でなかった。そのときの絶望感にも似たお先真っ暗な戸惑いを今でも覚えている。