(豊岡市には、カバンストリートがあります)
吉谷農芸店の交差点から、宵田橋までの通りを「カバンストリート」と名付けられ、バス停だって、「カバンストリートのりば」と表示されています。
ご存じ、豊岡市は名立たるカバンの町なのです。
鞄(かばん)生産日本一をキープして数十年、その歴史はさかのぼること千年以上前の柳製品である、「柳宮(奈良正倉院御物でもある、柳で編んだ箱)」に由来しているのです。
歴史はずっと下って明治14年の頃、手提げバンドの付いた柳行李(やなぎこうり)を発案、豊岡からカバンの元祖がスタート、現在の豊富な種類のかばんの生産へと歩んでいくわけです。
ものすごい歴史を秘めた、柳と行李とカバンの町、それが豊岡市の真の姿なのです。
今日来店した同級生のA君に、『5月になったらヤナギ剝(へぎ)をしたな~』と問いかけると、
「そうそう、中学校の3年間、学校作業でいつもヤナギ剝(へぎ)したな~」、「一貫メ、二貫メと出来高を競って先生に褒めてもらったな~」と思い出話です。
柳行李の原料は、当時但馬にとても多く栽培された、「コリヤナギ」、
刈り取ったコリヤナギの一本一本を田に仮挿し、芽が出た頃の5月の初旬、大人も子供も地べたに並んで、柳の皮を剥く作業をしたものです。
二股の金串にヤナギを挟んで強く引き抜く作業が、「ヤナギへぎ」です。
手も腰も痛いし、そこらじゅうヤナギの渋で汚れ放題、大変な重労働でした。
国府の家々にはどこにも、「ヤナギへぎ」の道具が2つや3つは必ずあるという不思議な村でした。
そんな作業を、昭和30年代の府中中学校では、全校生徒と先生がズラッと並んで資金稼ぎの奉仕作業、本当に豊岡らしい思い出なのです。
現在では全くその面影はありません。
柳製品やその製作職人は皆無、「ヤナギへぎ」なんて風景は遠い昔の思い出、但馬の郷の絶滅風景の一つになってしまいました。
吉谷農芸店の交差点から、宵田橋までの通りを「カバンストリート」と名付けられ、バス停だって、「カバンストリートのりば」と表示されています。
ご存じ、豊岡市は名立たるカバンの町なのです。
鞄(かばん)生産日本一をキープして数十年、その歴史はさかのぼること千年以上前の柳製品である、「柳宮(奈良正倉院御物でもある、柳で編んだ箱)」に由来しているのです。
歴史はずっと下って明治14年の頃、手提げバンドの付いた柳行李(やなぎこうり)を発案、豊岡からカバンの元祖がスタート、現在の豊富な種類のかばんの生産へと歩んでいくわけです。
ものすごい歴史を秘めた、柳と行李とカバンの町、それが豊岡市の真の姿なのです。
今日来店した同級生のA君に、『5月になったらヤナギ剝(へぎ)をしたな~』と問いかけると、
「そうそう、中学校の3年間、学校作業でいつもヤナギ剝(へぎ)したな~」、「一貫メ、二貫メと出来高を競って先生に褒めてもらったな~」と思い出話です。
柳行李の原料は、当時但馬にとても多く栽培された、「コリヤナギ」、
刈り取ったコリヤナギの一本一本を田に仮挿し、芽が出た頃の5月の初旬、大人も子供も地べたに並んで、柳の皮を剥く作業をしたものです。
二股の金串にヤナギを挟んで強く引き抜く作業が、「ヤナギへぎ」です。
手も腰も痛いし、そこらじゅうヤナギの渋で汚れ放題、大変な重労働でした。
国府の家々にはどこにも、「ヤナギへぎ」の道具が2つや3つは必ずあるという不思議な村でした。
そんな作業を、昭和30年代の府中中学校では、全校生徒と先生がズラッと並んで資金稼ぎの奉仕作業、本当に豊岡らしい思い出なのです。
現在では全くその面影はありません。
柳製品やその製作職人は皆無、「ヤナギへぎ」なんて風景は遠い昔の思い出、但馬の郷の絶滅風景の一つになってしまいました。