そういえば火曜日に観た2本の映画の覚え書きをまだやってなかった。
TOHOシネマズ新宿で観ました。最初は「ゲティ家の身代金」
映画じたいはそんなに興味はわかなかったけどリドリー・スコット監督なのでおもしろであろうと思って観てみました。
どういうお話かというと、説明がめんどくさいのでいつもお世話になっているmoviewalkerから引用させていただきます↓
1973年にローマで起きた石油王ジャン・ポール・ゲティの孫の誘拐事件を、巨匠リドリー・スコット監督が映画化した人間ドラマ。孫が誘拐されるも、身代金の支払いを拒否するゲティと誘拐犯に戦いを挑む母親の姿が描かれる。息子を助けようと奮闘する母親をミシェル・ウィリアムズ、大富豪ゲティをクリストファー・プラマーが演じる。
"世界中のすべての金を手にした”と言われた世界一の大富豪、石油王のジャン・ポール・ゲティ(クリストファー・プラマー)の17歳の孫ポールが誘拐され、1700万ドルという破格の身代金を要求される。しかし、大富豪であり稀代の守銭奴でもあるゲティは、その支払いを拒否する。ポールの母ゲイル(ミシェル・ウィリアムズ)は離婚によりゲティ家を離れ、一般家庭の人間になっていた。彼女は息子のために誘拐犯だけでなく、ゲティとも戦うことになる。警察から狂言誘拐を疑われ、マスコミに追い回され、ゲイルは疲弊していく。一方、身代金が払われる様子がないことに犯人は痺れを切らし、ポールの身が危なくなっていた。ゲティはそれでも頑なに身代金を支払おうとしない。ゲイルは愛する息子のため、一か八かの賭けに出る。
というお話です。
意外と淡々としていた。あまりけれん味のないまっとうな誘拐映画だった。1973年に実際あった話だそうです。
この1時間後にもう1本観ました、日本映画。
瀬々敬久監督の「友罪」
薬丸岳さんという作家の小説が原作だそうです。私もこの人の1冊だけ読んだことあるけど、それも少年犯罪の話だった(「Aではない君と」ていう話)。
どういう映画かというと、説明がめんどくさいのでいつもお世話になっているmoviewalkerから引用させていただきます↓
第35回吉川英治文学新人賞に輝いた薬丸岳のベストセラー小説を、生田斗真&瑛太の主演で映画化したサスペンス。町工場で共に働き、少しずつ友情を育んできた2人の男が、近所で起きた児童殺人事件を機にそれぞれが起こした17年前の事件と向き合うさまがつづられる。監督は『64-ロクヨン-』など重厚な人間ドラマを得意とする瀬々敬久。
ジャーナリストの夢に破れ、部屋を借りる金も使い果たした益田(生田斗真)は、寮のある町工場で見習いとして働き始める。益田と同じ日に入った鈴木(瑛太)は、自分のことを一切語らず、他人との交流を拒んでいた。そんな鈴木のことを不審に思った寮の先輩・清水(奥野瑛太)と内海(飯田芳)は益田を強制的に連れ、鈴木の部屋をガサ入れする。そこで益田は女性の裸婦像が書かれたスケッチブックを見つける……。工場からの帰り道、鈴木は男に追いかけられている女・美代子(夏帆)を庇う形になり、男から一方的に殴られる。彼女は元恋人の達也(忍成修吾)に唆されAVに出演した過去を持ち、達也と別れてからも執拗につきまとわれていた。鈴木は美代子のマンションで、けがの手当てを受ける。数日後、慣れない肉体労働に疲れ果てた益田は、めまいを起こして機械で指を切断。だが、鈴木の冷静な対処と、病院まで運んでくれたタクシードライバー・山内(佐藤浩市)のアドバイスのおかげで、何とか益田の指は繋がるのだった。夜勤明け、義父が亡くなり、妻の智子(西田尚美)の実家へ駆けつける山内だったが、妻と会うのは10年ぶりだった。息子・正人(石田法嗣)が交通事故を起こして人の命を奪った罪を償うために、家族を“解散”したのだ。しかし、正人が結婚しようとしていると聞いた山内は、怒りと当惑で言葉を失う。入院中の益田のもとに、元恋人で雑誌記者の清美(山本美月)が見舞いに訪れる。清美は埼玉で起きた児童殺人事件の記事で行き詰っていると打ち明け、17年前の連続殺傷事件の犯人・青柳健太郎の再犯だという噂について意見を求める。だが、益田はジャーナリスト時代に自身の記事に因って招いた暗い過去を思い起こし拒絶する。数週間後、カラオケパブで清水や内海、鈴木が益田の退院祝いをしてくれる。鈴木の傍らには、美代子もいた。寮に戻った益田がスマホを見ると、清美から再度意見を求めるラインが届いていた。ため息をつきながらもパソコンを開き、事件について検索した益田は、当時14歳だった犯人・青柳健太郎の顔写真を見て、息をのむ。そこには鈴木によく似た少年の姿が写っていた。まさかと更に検索し、医療少年院で青柳の担当だった白石(富田靖子)の写真を見て固まる益田。それは、鈴木のスケッチブックに描かれていたあの女性であった……。
というお話でした。
こういう映画はホントにねえ、いろいろ考え過ぎて頭いたくなっちゃうよねえ。
登場人物全員が罪や業を背負って生きていて、観ているのがつらいよ。
メインは、児童連続殺人事件(酒鬼薔薇事件をモデルにしているというのがはっきりとわかる)を起こした男が成人し正体をかくしながら世間で生活していくが、やがてバレてしまって姿を消す、という話なんだけど、私が思いますのは
1・人を殺した人間はその後まともに社会生活することを望んではいけないのか?
2・まともに社会生活をおくれるようになったかに見えているが、ホントのところどうなの(殺人に対する欲求というものがくすぶっていないの)?
3・週刊誌はひっそりと生きている元少年Aの今を暴いていいのか?
4・そして映画の内容云々に関してではなく、そもそもこういう映画や小説を作る意図はなんなの?
だいたいこんな感じのことを考えました。かつて人を殺した人間でも、まともに生活していきたいんだよ、だから受け入れようよ…ということを言いたいのならば、こんな映画作らないほうかいいんじゃないか?だって忘れかけていることをわざわざ強烈に思い出させて、少年A今何してるんだろ?って検索する人だっているでしょうに。
思い出して、強烈に残忍な事件を脳裏によみがえらせ、その上で犯人を受け入れる社会を作ろうよ!ってことなの?そんなの無理じゃない?
そうか、きっとあれだ、人を殺したり罪を犯したりすると、こうなっちゃうよ、つらいよ、だからやめようね!ってことかしら。ということはこれは犯罪抑止映画ということか。
とにかく観るのがつらかったけど面白かったから原作も読んでみるか。
TOHOシネマズ新宿で観ました。最初は「ゲティ家の身代金」
映画じたいはそんなに興味はわかなかったけどリドリー・スコット監督なのでおもしろであろうと思って観てみました。
どういうお話かというと、説明がめんどくさいのでいつもお世話になっているmoviewalkerから引用させていただきます↓
1973年にローマで起きた石油王ジャン・ポール・ゲティの孫の誘拐事件を、巨匠リドリー・スコット監督が映画化した人間ドラマ。孫が誘拐されるも、身代金の支払いを拒否するゲティと誘拐犯に戦いを挑む母親の姿が描かれる。息子を助けようと奮闘する母親をミシェル・ウィリアムズ、大富豪ゲティをクリストファー・プラマーが演じる。
"世界中のすべての金を手にした”と言われた世界一の大富豪、石油王のジャン・ポール・ゲティ(クリストファー・プラマー)の17歳の孫ポールが誘拐され、1700万ドルという破格の身代金を要求される。しかし、大富豪であり稀代の守銭奴でもあるゲティは、その支払いを拒否する。ポールの母ゲイル(ミシェル・ウィリアムズ)は離婚によりゲティ家を離れ、一般家庭の人間になっていた。彼女は息子のために誘拐犯だけでなく、ゲティとも戦うことになる。警察から狂言誘拐を疑われ、マスコミに追い回され、ゲイルは疲弊していく。一方、身代金が払われる様子がないことに犯人は痺れを切らし、ポールの身が危なくなっていた。ゲティはそれでも頑なに身代金を支払おうとしない。ゲイルは愛する息子のため、一か八かの賭けに出る。
というお話です。
意外と淡々としていた。あまりけれん味のないまっとうな誘拐映画だった。1973年に実際あった話だそうです。
この1時間後にもう1本観ました、日本映画。
瀬々敬久監督の「友罪」
薬丸岳さんという作家の小説が原作だそうです。私もこの人の1冊だけ読んだことあるけど、それも少年犯罪の話だった(「Aではない君と」ていう話)。
どういう映画かというと、説明がめんどくさいのでいつもお世話になっているmoviewalkerから引用させていただきます↓
第35回吉川英治文学新人賞に輝いた薬丸岳のベストセラー小説を、生田斗真&瑛太の主演で映画化したサスペンス。町工場で共に働き、少しずつ友情を育んできた2人の男が、近所で起きた児童殺人事件を機にそれぞれが起こした17年前の事件と向き合うさまがつづられる。監督は『64-ロクヨン-』など重厚な人間ドラマを得意とする瀬々敬久。
ジャーナリストの夢に破れ、部屋を借りる金も使い果たした益田(生田斗真)は、寮のある町工場で見習いとして働き始める。益田と同じ日に入った鈴木(瑛太)は、自分のことを一切語らず、他人との交流を拒んでいた。そんな鈴木のことを不審に思った寮の先輩・清水(奥野瑛太)と内海(飯田芳)は益田を強制的に連れ、鈴木の部屋をガサ入れする。そこで益田は女性の裸婦像が書かれたスケッチブックを見つける……。工場からの帰り道、鈴木は男に追いかけられている女・美代子(夏帆)を庇う形になり、男から一方的に殴られる。彼女は元恋人の達也(忍成修吾)に唆されAVに出演した過去を持ち、達也と別れてからも執拗につきまとわれていた。鈴木は美代子のマンションで、けがの手当てを受ける。数日後、慣れない肉体労働に疲れ果てた益田は、めまいを起こして機械で指を切断。だが、鈴木の冷静な対処と、病院まで運んでくれたタクシードライバー・山内(佐藤浩市)のアドバイスのおかげで、何とか益田の指は繋がるのだった。夜勤明け、義父が亡くなり、妻の智子(西田尚美)の実家へ駆けつける山内だったが、妻と会うのは10年ぶりだった。息子・正人(石田法嗣)が交通事故を起こして人の命を奪った罪を償うために、家族を“解散”したのだ。しかし、正人が結婚しようとしていると聞いた山内は、怒りと当惑で言葉を失う。入院中の益田のもとに、元恋人で雑誌記者の清美(山本美月)が見舞いに訪れる。清美は埼玉で起きた児童殺人事件の記事で行き詰っていると打ち明け、17年前の連続殺傷事件の犯人・青柳健太郎の再犯だという噂について意見を求める。だが、益田はジャーナリスト時代に自身の記事に因って招いた暗い過去を思い起こし拒絶する。数週間後、カラオケパブで清水や内海、鈴木が益田の退院祝いをしてくれる。鈴木の傍らには、美代子もいた。寮に戻った益田がスマホを見ると、清美から再度意見を求めるラインが届いていた。ため息をつきながらもパソコンを開き、事件について検索した益田は、当時14歳だった犯人・青柳健太郎の顔写真を見て、息をのむ。そこには鈴木によく似た少年の姿が写っていた。まさかと更に検索し、医療少年院で青柳の担当だった白石(富田靖子)の写真を見て固まる益田。それは、鈴木のスケッチブックに描かれていたあの女性であった……。
というお話でした。
こういう映画はホントにねえ、いろいろ考え過ぎて頭いたくなっちゃうよねえ。
登場人物全員が罪や業を背負って生きていて、観ているのがつらいよ。
メインは、児童連続殺人事件(酒鬼薔薇事件をモデルにしているというのがはっきりとわかる)を起こした男が成人し正体をかくしながら世間で生活していくが、やがてバレてしまって姿を消す、という話なんだけど、私が思いますのは
1・人を殺した人間はその後まともに社会生活することを望んではいけないのか?
2・まともに社会生活をおくれるようになったかに見えているが、ホントのところどうなの(殺人に対する欲求というものがくすぶっていないの)?
3・週刊誌はひっそりと生きている元少年Aの今を暴いていいのか?
4・そして映画の内容云々に関してではなく、そもそもこういう映画や小説を作る意図はなんなの?
だいたいこんな感じのことを考えました。かつて人を殺した人間でも、まともに生活していきたいんだよ、だから受け入れようよ…ということを言いたいのならば、こんな映画作らないほうかいいんじゃないか?だって忘れかけていることをわざわざ強烈に思い出させて、少年A今何してるんだろ?って検索する人だっているでしょうに。
思い出して、強烈に残忍な事件を脳裏によみがえらせ、その上で犯人を受け入れる社会を作ろうよ!ってことなの?そんなの無理じゃない?
そうか、きっとあれだ、人を殺したり罪を犯したりすると、こうなっちゃうよ、つらいよ、だからやめようね!ってことかしら。ということはこれは犯罪抑止映画ということか。
とにかく観るのがつらかったけど面白かったから原作も読んでみるか。