散歩絵 : spazierbilder

記憶箱の中身

観察記録

2012-01-24 10:30:45 | 思考錯誤


1月19日-道中にて-
しつこい小雨が止まなかった。
乗客は少しずつ雨のにおいを連れて車内に乗り込んだ。
空いた席に私が座ると車両はぴったり満席になった。
しばらくすると近くでつぶやくような声が聞こえた。
それは眠っているかと思われた初老の男の口から立ち上っている。
句読点の無い抑揚の無い言葉が幾本かの筋状になってゆらゆらと立ち上っている。
言葉の行列は音が一つ一つに分かれてしまい、意味を掴もうと耳をそば立てたが上手く行かない。
まるでお経を読んでいるかのように音が高く低く波を作りながら拡散してゆく。
男は詩でも口ずさんでいたのだろうか?
私にとってそれは呪詛のような薄暗い独り言ではなく、明るい暖色の響きだったので、ずっと耳を澄ましていた。
私が電車を降りる頃には、車内の雨のにおいは消えていた。






里芋を買った。
昔は里芋を手に入れることはなかなかできず、たまにアジア系食料品店で見つけても高値の花だった。
それで長いこと里芋は食べることもなく、里芋の姿は徐々に記憶の奥底に沈んでいった。
最近どういう経路か手ごろな値段で里芋を入手できる。そんなわけで度々アジア系食品店へ出かけては
里芋を5,6個ずつ買ってくる。
里芋の煮ころがしや、蒟蒻無しのけんちん汁などを作ってにんまりしながら食べている。
ある日その芋のうちの一つからうっすら青い芽が育っているのを見つけたのでコップに活けると白い根がぐんぐんと伸びて
コップの底にとぐろを巻き始めた。
すると芽もぐんぐん伸びはじめ、やがて青い水水しい葉がぱらっと開いた。
美しい形と色に感心しながらよく見ると葉の先端にはいつも一粒の水滴が現れて、放っておくと葉の足元に小さな水溜りが出来ている。
芋がコップの中の水をじりじりと吸い上げて余分を排出しているということなのだろうか?
今朝気が付くと、一本きりかと思っていた葉の根元から、もう一本茎が伸びていて二枚目の葉をほどき始めている。
芋の葉の露で墨を磨り七夕の短冊に願いを書くと叶うという話を聞いたことがある。
里芋の水栽培を増やし、今年の七夕には芋の葉露で墨を磨り、とっておきの願いを書こうと決めた。






ぬばたまを満たした椀の中に指先を差し込むとざくざくと音が回る。
丸く漆黒の弾丸のような種の中には鮮やかなオレンジ色が眠っている。
この美しい贈り物は北海道のYさんが選んでくださったものだ。
楽しいしおりや手漉き紙の封筒、縮緬の和紙も美しい。
自然をこよなく愛しいつくしみながら丁寧に生きているYさんの心遣いを一つ一つに感じながら机の上に乗せて眺めている。
色々な思いを馳せ、ぬばたまの茶碗に指先を入れてはその音を聞いている。

訂正:この美しい黒い種は黒千石という黒大豆だそうだ。ぬばたまはほんの少し小さい種で艶やかな黒だった。↓







ふくろうがやってきた。
白とブルーのデルフト色に染まったふくろうだ。
なんだか怒っている。
ふくろうが怒っているので、私は笑ってしまう。
君はどうしてそんな顔をしているの?
顔を見るたびに
「今日は何で機嫌が悪いんだい?」と話しかける。
寝起きが悪くて機嫌が悪いとか、
美味そうなねずみを取り逃がして怒っているとか、
背中が痒いとか、そんなことらしい。
“不機嫌ふくろう”は友人のAからのプレゼントだ。



“OZMO”というシリーズではがき大の板の上にシンプルなドローイングを描き始めた。
鉛筆の線はなるべくぎこちなく。
習字で紙に筆をおくときのような息で描く。



去年の北日本大震災の揺れは半時間後にヨーロッパにも届いていたという記事を読んだ。
ケルンの大聖堂が上下に1cmほどの揺れを起していたそうだ。
実のところケルンの大聖堂の地盤は砂地で危うい。地震ばかりか嵐や突風でも揺れ、共振現象が起こる可能性があるようだ。
もしもマグニチュード6,5ほどの地震が来た場合倒れる危険があるという。
大きな地震はごく稀なドイツではあるけれど、全く無いわけではない。
あの建物が密集している場所で、ケルンの大聖堂が崩れ落ちたら、と思うと恐い。
「想定外」という言葉を吐かずとも良いよう研究者は大聖堂を支えて欲しいものだ。