霧の日にカメラを掴んで外に走りでるのは何故か?
在る物が見えず、ないものが見えてくる事。うっすらと見えるあたりに想像を膨らませる余地がある事。
これが毎日ならば高揚感は消えてしまうのかもしれないし日常に不都合をもたらすかもしれない。たまに起こるくらいがちょうど良い。友人の中国人に霧の写真を見せると、「綺麗な景色ね。でもこの写真を中国に住む中国人に見せても切ないだけなのでしょうねえ」と彼女は言った。中国の大気汚染は深刻だ。1952年に起こったロンドンスモッグも多くの死者を出した。。。
霧絡みの映画でジョン カーペンター監督のThe Fog と言う映画があったっけ。。。観たのはかなり昔なので記憶は霧越しでぼやけているけれど、確かどうしようもないB級映画ながらもじわじわと怖かった覚えがある。(今観たらどうなのだろうか?)
ところで最近、私の頭の中には濃霧が湧き上がったまま晴れる事がない。そんな感じがしている。
いろいろな事が仄かに見えているのだけれど一生懸命目を凝らしても薄っすらとしか見えない。
その上片付けをすると失せ物が増える。霧の向こうに置いて来てしまうからだ。何処に片付けたかを忘れてしまう事など昔は決して無かったのにと、地団駄を踏んでもやっぱり霧は晴れない。
歳のせいだと簡単に片付けられるのも気に入らない。
あんまり霧を追いかけたのでひと塊りの霧が頭の中に住みついてしまったのだ。
霧の向こうには必ず何か居る。
たぶん。
。
そして、探し物はなんとか見つかった。
一生懸命頑固な靄もやをかき分けながらやっと辿り着いた。
その内2度と見つからない事態も起こるのだろうね。と取り敢えず胸を撫で下ろした。
本日幸い。