できることを、できる人が、できるかたちで

京都精華大学教員・住友剛のブログ。
関西圏中心に、教育や子ども・若者に関する情報発信を主に行います。

中身のない都構想と、すでに準備されたことの横取りの「スーパー学校」

2012-01-15 21:13:51 | ニュース

しばらく更新が途切れました。久々に、次のことを書いておきます。

小中一貫校設置や学校選択制については、いずれまとめてコメントしようと思っているので、今日は少し触れるだけにとどめます。ただ、昨日あたりから報道発表が続いているようなので、例の小中一貫校設置に関して、書いておきます。

http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20120114-OYT1T00159.htm?from=tw (市立小中一貫校「スーパー学校に」橋下市長:読売新聞ネット配信記事1月14日付け)

この記事を読むと、大阪市内の啓発小学校・中島中学校、矢田小学校・矢田南中学校を小中一貫校にすること、なおかつそこを私立学校に負けない「スーパー学校にする」こと、市内全域を通学区域にする(=他地区からも子どもを受け入れるということ)を目指すのだということ。この3つのことがわかります。なおかつ、橋下市長が「市長になったのだから、このくらいのことはさせてほしい」とも言ったといいますし、自分の母校(中島中学校のほう)でもあるようです。

ただこれも、前からこのブログで書いていることにつながりますが、すでに大阪市教委で準備されてきたことの「横取り」みたいな、自分の成果のアピールですね。というのも、ツイッターで教えてくださった方がいるのですが、大阪市教委では次のように、この両方の小中一貫校設置の方針を発表していたからです。

http://www.city.osaka.lg.jp/hodoshiryo/cmsfiles/contents/0000092/92405/syoutyu.pdf

ただし、この大阪市教委の資料を読む限りでは、もともと両方の中学校区で地道に続けられてきた小中連携の取り組みが前提になって、学力向上と中1ギャップ(小中学校の間のさまざまなちがい)の是正ということをやっていこうということ。それが小中一貫校設置の本来の目的のようです。なおかつ、この両校、私も何度も校区で暮らす人たちに話を伺ったり、あるいは小学校の方の関係者に話を伺ったこともあるのですが、もともと子どもの数がかなり少なくなった地区で、両校とも実質的に小中9年間のつながりを意識した解放教育・人権教育の地盤のある学校です。

ですから、従来の取り組みの延長線上にある当初の大阪市教委の小中一貫校設置構想を、就任したての橋下市長が情報をつかんで、その成果を「横取り」するかっこうで、自らの主張である学校選択制導入のために「スーパー学校化」を持ちこんだ、というのが実情ではないか、と思われます。

ちなみに私は、従来の取り組みの延長線上の小中一貫校設置は、地元の事情を考慮すると「やむなし」と思いますが、「スーパー学校化」はやめてほしい、と思います。とりわけ、これが大阪市内全域から子どもを集めて、私立学校並みの受験競争を勝ち抜く学力形成などを重視した教育を行うのであれば、なおさら「やめてくれ」と言いたくなります。それは両校及び両地区が長年培ってきた教育運動の伝統を破壊することにつながるからです。どういう形で子どもたちを集めるのかが問題になりますが、場合によれば、地元の子どもたちがほとんどいない、地元外の子どもたちばかりが集まって、受験競争を勝ち抜く学力形成重視の「スーパー学校」がそこにできあがる危険性もあるからです。

その一方で、「これはなんだ? こんな程度の話で、大阪都構想が実施できると思っていたのか?」と感じたのが、この大阪府市統合本部の会議での堺屋太一氏の配布資料。

http://www.city.osaka.lg.jp/seisakukikakushitsu/cmsfiles/contents/0000151/151065/sakaiyakomonsiryo.pdf

これはほんとうに、内容的にみて、ひどすぎます。この資料の1ページにさっそく<「大阪都」をどんな都市にするか、明確なビジョンがない。>と、大阪府・市の改革の顧問である堺屋太一氏自らがいうわけです。

ちなみに、堺屋氏には橋下市長との共著『体制維新ー大阪都』(文春新書)なる本もあるわけですが、この府市改革本部での配布資料に「明確なビジョンがない」と堺屋氏が書くということは、あの新書に書いてあることも「明確なビジョンではない」ということになりますね。

去年11月末の大阪市長選・大阪府知事選で、あれだけ自信満々に大阪都構想を連呼して選挙に勝ってきたはずの人々が、今頃になってこんなことを言う。これってなんですか? あの選挙のときには、府民や市民をごまかしてきたということではないのですか?

また、大阪都構想にはさまざまな問題があることを、特に行政学や政治学などの研究者を中心に、これまでにいろんな立場から指摘があったはずです。むしろ、こうした学識経験者の意見のほうが正しかったことを示していますよね、堺屋氏が自ら「明確なビジョンがない」というわけですから。

だとしたら、堺屋氏はまず、橋下市長に、政治学や行政学の研究者を含む文系研究者への攻撃をやめさせなければいけない。テレビやツイッターなどのその場しのぎの方法(といっても、その多くは罵倒して反論する気をなくさせたり、話のすり替えをする手ですが)でごまかせても、結果的に見たら、文系研究者側の言っていることのほうが、少なくとも公にされている資料を見る限りは、まともだということになるわけですから。

そして、マスメディアです。橋下市長のサイドから出てくる情報を発信するときには、このような話のすり替えやその場しのぎの言葉等々も多々含まれている危険性があるわけですし、あるいは、ほんとうは十分に検討していないのにさも成案があるような「ハッタリ」をかましていることも多々ある危険性もあるわけですから、きちんと「事実の検証」をすること。あるいは、「反論・批判を併せて伝える」こと。このことをどちらもやっていただきたいですね。それがなければ、単なる橋下市長サイドの「広報・宣伝部門」にしか、マスメディアはなりませんから。


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