昨日も西宮勤労会館での講演会に、私のブログを見ておられる方が来ていました。それも地元西宮の方だけでなくお隣の芦屋や、大阪市内や神戸、明石・・・と、いろんな街から来ていましたね。
今日も午後から神戸市内で現職教員のみなさんの学習会に顔を出しましたが、そこに来ておられたみなさんも、私のブログを見ておられるとのこと。
そして、いろいろとまだ論調や情報発信の方法には課題がありますが、テレビや新聞といったマスコミ関係者のなかにも、私の書いたブログを見ている方がいるようです。
ほんとうに、みなさん、ありがとうございます。
今の私には日々の大学での仕事+すでに引き受けている学外の仕事等々だけで手一杯で、なかなかみなさんの今、活動しておられるところまで出向くことはできません。
でも、日々、今の子どもや学校の様子を見ていて、「これはなんか、おかしいやろ~」と思うこと。あるいは、その「おかしいやろ~」と思うことに対して、「ほんとうはこういう道筋で考えたほうがいいんじゃないか?」と思うこと、等々。自分の気付いたこと、思うことを発信することだけは、このブログ経由でできます。
いつも私の書いた本、『新しい学校事故・事件学』(子どもの風出版会、2017年)にサインを求められたとき、「あきらめない、まけない」ということばをそえています。もともとはプリキュアの劇場版映画のなかで、プリキュアたちの歌のなかででてきたことばなんですけどね、これ。
でも、今はほんとうに、これから先、なにがあっても「あきらめない、まけない」でいることは大事だなあって思っています。特に「私たちの学校を、私たちの手に取り戻す」ためには。
それこそ、あの教員間いじめの件で大きな社会問題になり、バッシング等々の渦中にある神戸の学校関係者や教委関係者にしてみれば、毎日「いまをしのぐ」だけで精一杯かもしれませんね。この教員間いじめの問題で学校がバッシングにさらされて、つらい思いをしている子どもたちや保護者、地域住民の方々もいると思います。
あるいは大阪の学校関係者や保護者、地域住民のみなさん、そして子どもたちのなかには、チャレンジテストだの、教員業績給だの、あの手この手で既存の公教育、特に学校を解体する動きにさらされて、連日、つらい思いをされている方もいるのではないかと思います。
ほんとうに連日、荒れていく・こわれていくばかりの公教育、特に学校なのですが・・・。
また、いますぐ私に、その動きを食い止める策も術もありません。
でも、今日はツイッターで、こんなことをつぶやきました。
この気持ちは、どちらも、正直な今の私の思いです。
「荒れた大地は自分の身近なところにもある。外国に出かけて砂漠に井戸を掘るような仕事は自分にはできないけど、身近なところにある荒れた大地を少しずつ耕し直すことは、自分にもできそう。私は教育や子育ての領域で、京阪神というか近畿圏で、まずはそれをやろうと思う。」
「誰かに攻撃され抑圧された人々が、別の誰かを攻撃したり抑圧したりする。そんな「負の連鎖・循環」を断ち切る。これに対して、誰かに助けられ励まされた人々が、別の誰かを助けたり励ましたりする。そういう「いいことの連鎖・循環」を創り出す。神戸の学校の再建にはこれが必要。」
この後者のつぶやきは、たぶん神戸だけでなく、阪神間、大阪、京都・・・等々。いろんな場所でいま、求められていることのようにも思います。
もう一度、壊れてしまった学校、公教育のかけらやがれきを整理して、そこから「まだ使えそうなもの」や「これからも大事にしたいこと」を拾い集めて、それを手がかりにして「私たちの学校、公教育」を取り戻していく。「私たちの学校、公教育をこの手でもう一度、創り直す」ためにも、やはり「あきらめない、まけない」という気持ちだけはなくしてはいけないな、と思います。プリキュアを見習って・・・。