日付が変わって昨日になりましたが、10月22日(土)午後、大阪市立西区民センターで行われたシンポジウム<「大阪府教育基本条例」で大阪の教育は良くなるのでしょうか?>に私、行ってきました。
ちなみに、この会の主催は、異議あり!「大阪府教育基本条例案」100人委員会。呼びかけ人は井村雅代さん(元シンクロナイズドスイミング日本代表監督、元大阪府教育委員)、内田樹さん(神戸女学院大学名誉教授)、梶田叡一さん(環太平洋大学学長)、志水宏吉さん(大阪大学大学院教授)、津村明子さん(初代ドーンセンター館長)、米川英樹さん(大阪教育大学教授)です。
また、この100人委員会の賛同者には、10月21日現在で147人が名を連ねていて、そのなかには寺脇研さん(京都造形芸術大学、元文科省)、平田オリザさん(劇作家)、中島岳志さん(北海道大学)、堤未果さん(ジャーナリスト)、斎藤貴男さん(ジャーナリスト)、野田正彰さん(関西学院大学)といった人たちが入っています。また、大阪の人権教育で名前のよく出る人たち(桂正孝さん、高田一宏さん、森実さんなどなど)や、そして、私自身もこの147人のなかのひとりです。なお、新聞の意見広告の形で、毎日新聞大阪版には10月21日、私たちの名前が載っています。「ようやく、大阪の人権教育関係者も、本格的に動き始めたな」というところでしょうか。
さて、昨日のシンポジウムですが、司会が志水宏吉さん、壇上には梶田叡一さん、米川英樹さんに、元府立高校校長で現在、芦屋大学教授の吉村和彦さん、元大阪府PTA協議会会長の坂口一美さんの4人の方があがって、大阪維新の会の出した教育基本条例案に対して、批判的な立場からの意見交換を行いました。(ちなみに坂口さん、吉村さんも、147人のなかに入っています)
それで、このシンポジウムのおおまかな議論の流れなのですが、私の印象では、教育改革としてやりたいことは理解できるが、橋下府知事(もうすぐ辞めますが)や大阪維新の会のこの間の政治手法が「ファシズム的」であるからダメだという梶田叡一さんと、それ以外の3人プラス司会の志水さんの立場のちがいがはっきりでたな、というところでしょうか。
今回のシンポジウムでは、吉村さん・坂口さん・米川さん・志水さんがともに、大阪の教育の「よさ」として、地域に根差して、どんな子どもも地元の学校で教員とともに育つという点を挙げていました。また、米川さんははっきりと、サッチャー政権期のイギリスをモデルにして行っている教育改革は、その当のイギリスでも最近見直しがおこなわれていて、学力テストもやめようという動きが起きていることや、そのサッチャー政権期の教育改革をモデルにした大阪維新の会の条例案には問題が多いことも指摘していました。
ですが、梶田さんは一方で橋下府政を「ファシズム的手法だ」と批判しつつも、最後には、PISA調査で日本がアジア近隣地域(韓国や上海など)に追い上げられている現状のなかで、日本の経済発展のためには「学力向上」が必要という話をしていました。こういう風に言えば、確かに、基本的なところでは、梶田さんの発想は大阪維新の会の条例案を作った人たちと重なってしまいますよね。もっとも、今回のシンポジウムでは、このあたりの路線のちがいが見えたところで時間切れ。ここから先が深まらずに終わったのですが。
ついでにいうと、梶田さんはこの何年かずっと中央教育審議会に委員としてかかわってこられたわけですし、文科省の最近の教育政策づくりに一定のかかわりを持ってこられた方です。ですから、私などは「ああ、やっぱりね」と思ってしまいました。私は前々から、大阪維新の会の教育基本条例案は、中教審や文科省のいま、推し進めようとしている教育政策を「グロテスクな形」で表現したものではないのか、という気がしていました。だから梶田さんの話を聴いて、「やっぱり、そうだったのね」と妙に納得した気もしています。
私としては、やはり、これからの大阪の教育、特に公立学校の教育については、たとえば地域社会で子どもや子育て中の家庭の暮らしをささえるコミュニティ形成の側面や、あるいは、各学校の校区で暮らす人々の生活を下支えするセーフティネットの機能を果たしていく、そういう側面を重視していくべきではないのか、と思っています。また、そういう機能を学校、特に公立学校の教育がしっかりと果たすことができて、はじめて、そこから多様な可能性をもった人々が育ってくるのではないのか、と思っています。「学力」形成もおそらく、こうした機能をもった学校があって、はじめて全体の底上げがなされてくるのではないでしょうか。
このように考えると、私などは、橋下府知事や大阪維新の会のとる政治手法への批判の部分では梶田さんの批判もわかるものの、基本的な教育観や学校観の部分では、やはり少し「それはちがうのではないか?」と思ってしまいます。そして、今、大阪維新の会の教育基本条例案に対して私たちが言うべきことは、それを導入しようとする政治手法の部分はもちろんのこと、その条例案を支えている教育観や学校観、さらには人間観への「ノー」であり、批判だと思いました。
なお、梶田さんは今日、シンポジウムの場で「教育行政がもっと学校現場にお金をかけなければ」という発言をしておられました。そのことには全く同感です。でも、同時にこの発言は、大阪府知事や大阪府教委に対してだけでなく、中教審の委員として、文科省やいまの政権与党、さらには、それまで政権与党の座にあった各政党に対して言うべきことでもありますよね。また、その政権与党や文科省の施策づくりに、中教審委員という立場で何らかの協力をしてきた(なかには不本意な施策もあったでしょうけど)ご自身の立場にも、この言葉がささってきますよ、と、私などはその場にいて思ってしまいました。
ただ、このような立場にある梶田さんですら、今は橋下府知事や大阪維新の会の動きに対して「ノー」と言わざるを得ないということは、よほど、教育基本条例案をめぐる彼らの動きが「目に余るものだ」ということなのでしょうね。