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京都精華大学教員・住友剛のブログ。
関西圏中心に、教育や子ども・若者に関する情報発信を主に行います。

「関係教職員の処分」だけで終わってはいけない。

2015-03-19 10:46:51 | 受験・学校

大阪の支援学校で体罰、処分へ 平手打ち、重度障害の生徒に集中(東京新聞の配信記事、2015年3月19日)

http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2015031901000714.html

まずは今回、発覚した事実に対して、なにがしかの「けじめ」としての教員への府教委の処分という話になるんでしょう。また、それで溜飲を下げて満足される方も、世の中には何人かいらっしゃるのではないか、とも思われます。
だけど、「ほんとうはそれでおわっちゃ、あかんのよ。それじゃまた府立支援学校のどこかで、形を変えて、事件が起きちゃうのよ」とこの際、私からハッキリ言っておきたいと思います。
おそらくこのケースには日本の支援学校教育のあり方、さらには「地元校でのインクルーシブ教育に熱心」な大阪における支援学校教育のあり方から根本的に見直さないといけないような、そういう次元の課題が背景にいろいろあるように感じるからです。
もっとも、そういうことに私が思い至るのは、去年、この事件の起きた学校とは別の府立支援学校2校に教員研修で呼ばれて行って、そこで働く教職員や管理職の話を聴いて得た実感と、支援学校卒業後の人たちが過ごす地域の施設で働くゼミ卒業生の話を聴いて得た実感がベースになっているわけですが。
たとえば支援学校高等部にいる生徒さんたちに、就労など卒業後の「将来の自立に向けた訓練」と称して、どんな取り組みをしていたのか。ゆるやかに本人のペースにあわせた対応をしてきたのか。それとも、かなり生徒側が引き受けられる範囲を越えて、無理強いに近いような生活指導や身辺自立の指導をやっていたのかどうか。その結果、子どもたちと教職員の双方にどのようなストレスがかかっていたのか、等々。
あるいは、そこにいる教職員たちのひとりひとりの生徒たちへの理解のまなざしはどうなのか。たとえば上述のような日々の指導のなかで、目の前の子どもについて「言うコトきかんな~、この子」といらだつばかりで、上記のような「指導」の中身そのものに「無理があった」から「修正を」という見方ができなかったのはなぜか。そういう子どもの状態の理解を共有したり深めたりするための研修や、外部からのアドバイザーの派遣などは行われていたのか。
さらには、この生徒さんが地元校から高等部に来たのか。それとも小学部・中学部から高等部に来たのか。同じ支援学校で下からあがってきたのなら、過去の取り組みでわかった本人の特性をどう活かそうとしたのか。あるいは、地元校から高等部にくるにあたって、本人についての情報等はどう共有されたのか。また、本人は高等部進学をどう捉えていたのか、等々。

この事例の背景要因を深く深く掘り下げていくことで、いまの大阪の支援学校教育、さらに日本の支援学校教育の抱えているいろんな課題が見えてくると思います。

ということで、私のブログを見てる府教委や府立人研の関係者のみなさん、再発防止策の検討とその前提となる調査・検証、あるいは教職員研修の実施等、私、できるだけの協力はしますんで、連絡をお待ちしております。

※このブログの内容は、一部修正して、フェイスブックにも投稿しています。


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