子どもの家庭背景による学力格差は根深い――学力の追跡的調査の結果から考える
上記のネット配信記事にひっかけて、次のことを書いておきます。
たまたま昨日、神戸で「施設で生活する子どもたち支援実践交流集会」という場に出ていたので、そこでの議論などもふまえて書くことです。
(1)家庭環境にいろんな課題があって「学習習慣の形成どころではない、生きているだけで必死」という環境に置かれている子どもが…。
(2)ネグレクト等の状態が深刻化して、「このまま家庭に置いておけない」と判断されて、児童相談所での一時保護、そして社会的養護へと移行することになり…。
(3)その結果、生まれ育った地域を離れて、社会的養護の場から学校に通うようになる。
(4)脇から見ていると、この(1)から(3)のプロセスでようやく「安心して、学習に取り組める環境ができた。これで大丈夫」と思うかもしれない。
(5)確かに、条件は整ったかもしれない。でも、子ども本人にしてみると、(3)までのプロセスで学べなかったこと、経験できなかったことを取り戻すところから何事もはじまる。
(6)その時点で、当該の子ども自身は、家庭環境に何も課題がなかった子どもと比べると、相当な不利益を被っているわけで…。
(7)そして、(1)のような環境に置かれている子どもが集中的に集まっている地域の学校もあるし、(3)のように社会的養護の場から子どもが通ってくる学校もあるわけです。
(8)なので、(7)のような課題に直面している学校には、目の前の子どもの諸課題に教職員が対応てきるような手厚い条件整備を行うとともに、他方で、そういう学校の校区においては子育て中の家庭の方へのさまざまな支援(社会福祉・社会保障、医療、就労等々多種多様な面から)が必要不可欠かと思います。
(9)また、(8)のような学校の条件整備や家庭支援策を不十分なまま据え置いたり、あるいはさらに劣化させるようなことばかりしつつ、他方で全国的な(あるいは自治体単位での)学力テストの結果で教員の賃金格差を設けるような対応をするというようなどこぞの自治体の長(と、そのブレーン)に対しては、私としては「いったい、何を考えているのか?」としか言いようがないですね。
(10)なおかつ、学力テストの結果というのは、(8)のような学校の条件整備や家庭支援策をつくるための参考資料として使ったり、(9)のような自治体のトップの無策ぶりを批判するために使うべきものであって、現場教職員や子ども・家庭にムチ打つために使うべきものではない。少なくとも、私はそのように考えます。
※ちなみに、西田芳正編著『児童養護施設と社会的排除』(解放出版社)という本が、この社会的養護の場で暮らす子どもや、そこで育った若者たちの直面する諸課題をていねいに描き出しています。以前、3回生や4回生のゼミ担当だった頃に、うちのゼミではこの本をていねいに読んでみた年もあります。
というような次第で、あらためて上記ブログの内容や、(1)~(10)までに書いたことなどもふまえて、ここで再度、12月22日(土)の次のイベントのこと、告知しておきます。