我が家にある『現代教育史事典』(久保義三ほか編著、東京書籍)で「教育委員会法」という項目を見ると、次のような文章が出てくる。
「1948年7月公布、施行。「教育基本法」第10条を受け、「公正な民意により、地方の実情に即した教育行政を行うため」(第1条)、公選制の教育委員会を都道府県・市町村などに設置。アメリカ教育使節団報告書(第1次)の勧告及び教育刷新委員会の建議に基づき制定された。「文部省設置法」とともに、中央集権的な戦前の教育行政のあり方を、民衆統制・地方分権・一般行政からの独立を原理とする教育行政に転換しようとしたものである。56年6月、地方教育行政の組織及び運営に関する法律により廃止。(以後略)」
また、同じく『現代教育史事典』で「地方教育行政法」(地方教育行政の組織及び運営に関する法律)の項目を見ると、次のような文章がでてくる。
「廃止された教育委員会法に依る委員会との最大の相違点は、委員の専任の仕方である。教育委員会法は公選制を、地方教育行政法は任命制を規定した。公選制の廃止にあたっては、教育基本法第10条の直接責任や公正な民意の反映という原理を歪めるものとして強く批判された。また地方教育行政法は、都道府県委員会の教育長が文部大臣の、市町村教育長が都道府県委員会の承認を得て任命されるという権限関係を設定し、文部大臣には都道府県委員会に対する、都道府県委員会には市町村委員会に対する「指導」「助言」「援助」を義務づけ、さらには文部大臣には地方公共団体の長や委員会に対する措置請求権(教育に関する事務についての是正や改善のための措置を求める権限)まで与えた。この仕組みによって、教育委員会は地域住民との関係を希薄化させつつ、文部省―都道府県委員会―市町村委員会という縦の権限関係を強めた。教育委員会が各地域の教育全般、とりわけ学校教育や教職員の人事などについて広範な権限をもっていることから、この縦の権限関係は末端において「管理教育」と言われる諸現象を引き起こしたと説明されることが多い。
なお、政府全体の地方分権化推進の一環で99年に大きな改正が行われ、上記の教育長の任命承認制は廃止され、「指導」「助言」「援助」は行うことができると変更され、措置要求権も撤廃され、都道府県委員会の事務の一部を市町村委員会に移管することも可能になるなど、全体として上下の権限関係が緩和された。」
この記述からわかるのは、そもそも発足当初の教育委員会制度は、地方分権と「教育委員の公選制」による民意の反映を前提にしてつくられたものであって、都道府県知事や市町村長、あるいは都道府県・市町村議会の意向を反映させる形で作られたものではない、ということである。それを、戦後日本の政治情勢のなかで(特に冷戦まっさかりの、1950年代の保守・革新の対立の構図のなかで)、当時の政権(=当然、保守系政権)側がさまざまな批判・反対を押し切る形で、「当該地方公共団体の長(=都道府県知事・市町村長)」が「議会の同意を得て」任命するという、現行の任命制教育委員会制度に切りかえたわけである。そして、文部省(当時)―都道府県教委―市町村教委という「縦」の権限関係を強化し、政府レベルでの教育政策が地方自治体レベルにまで広く浸透するという構造ができあがった、ということである。
ついでにいうと、この任命制教育委員会がその後、全国各地で「教師の勤務評定」や「全国学力調査(学テ)」を実施し、当時の日教組ほかさまざまな教育運動と対立することになった。また、「学テ」はテストの点数を過剰に競う風潮や、テスト対策のための準備学習が最優先される教育の状況、テストに際してのさまざまな不正を行ったケース、そして、テスト最優先の体制からこぼれた子どもたちの「荒れ」のたち現れなどを引き起こした。こういう状況を受けて、全国各地から「学テ」の実施に反対する世論や教育運動が巻き起こり、1965年以降は悉皆調査を取りやめることになった。(このことについては、国民教育研究所『勤評・学テ体制下の学校』明治図書、1967年を参照)
このことを前提にして、以下の朝日新聞のネット配信記事を読んでほしい。
http://www.asahi.com/kansai/news/OSK200809140081.html (橋下知事、テレビ番組で「教育委員会は関東軍みたい」 朝日新聞関西版ネット配信記事、9月15日)
http://www.asahi.com/kansai/news/OSK200809130118.html (「橋下知事は独裁的で危うい」退任の府教育委員が語る 橋下新聞関西版ネット配信記事、9月14日)
まず、そもそも現行の教育委員会制度においては、都道府県教委ですら、知事の指揮監督下にあるわけでない。ましてや、市町村教委に対しては、知事がなんら指揮監督できるわけではない。府知事として府教委及び府下市町村教委に対して、現行制度下でできるのはどこまでいっても「お願い」であって、それをどう受け止めるかは、各教育委員会側の「主体的」な判断である。
というよりも、まずは教育行政の「地方分権」や「一般行政からの独立」のタテマエからすると、たとえ府知事の要請を断ったとしても、「全国学力テストの結果公開」に否定的な府下市町村教委の自主的な決定を府教委はまず尊重すべきだし、そのような府教委の姿勢を府知事としては尊重しなければならない、ということになる。これは、市町村教委や府教委が問題なのではなくて、現行法に定める日本の教育行政システムがこういった原則で動いているからである。
だからこそ今、「全国学力テスト結果の市町村ごとの公表」に向けて、橋下知事は世論をマスメディアを通じてあおってみたり、予算編成権をちらつかせたりして、知事の意向に府教委や府下市町村教委を従わせようとしているのだろう。だが、これもまた、今の制度のタテマエからすると、やはり問題が多い。
そもそも、今回、橋下府知事がやったように、自分の出演した一民放テレビ番組のなかで行った調査の結果でもって、府下各市町村教委や府教委の対応を批判するという方法そのものが、はたして本当に許されることなのかどうか。こういう対応こそ、府議会や市町村議会、府教委、市町村教委などに対して「権限の侵害」にあたらないのかどうか。こういうやり方をとる橋下府知事に対するチェック機能は、どこがかけるのか・・・・。そこが今、問われているように思われてならない。マスメディアを使って世論をあおって、それを「民意」といって、自分の要求を通そうとする、こういう橋下府知事の政治手法そのものへの嫌悪感も、各市町村教委の関係者の側にそろそろ芽生えてきてもおかしくはない。 ちなみに、現行の教育委員会制度においても、タテマエ上は選挙で選ばれた「地方公共団体の長」が、同じく選挙で選ばれた議員たちで構成される「議会の同意」を得て、地方教育委員会の委員の任命を行うということになっている。つまり、制度上は「任命制」であっても、何らかの形で教育行政に対して「民意が反映する」というタテマエをとっているわけである。そうやって理屈をつけて、今から約50年前に公選制教委を任命制教委に切りかえたわけであるから、今の教育委員会が「民意を反映していない」という話は、「府知事としての自分の言うことを聴いてくれない」というグチとしてならさておき、話のスジとしては通らない。
また、都道府県議会や市町村議会の議事録を読めばすぐわかるが、各地方自治体の議会には、教育予算の審議等との関係で「文教」に関する委員会が設置されており、そこでは市町村・都道府県教委の施策や予算について、毎年の議会で、各議員と教育行政側の担当者との間で、丁々発止のやりとりが繰り広げられている。もちろん、その議論の中身のすべてが反映されているわけではない(中身的に優れた意見・議論もあるのだが、「反映しないほうがいい」というレベルの意見や議論も、もちろんある)。しかし、予算審議との関係上、市町村・都道府県議会の「文教」関係の委員会での議論の動向は、何らかの形で、市町村・都道府県教委の施策に関係していると見てよい。したがって、府知事のいう「教育の中立性」というタテマエがあるにしても、現行の教育委員会制度下においても、市町村・都道府県教委の側は、いろんな形で地方自治体議会及び地方自治体の長の意向を、いろんな形で考慮しながら動いているものである。そのことを、府知事はどう考えているのだろうか?
それにしても、そもそも「なぜ、全国学力テストの結果を、市町村レベルで公開しなければならない」とするのか。そのことによって、市町村レベルでの教育改革にどのようなプラスの影響があって、学校現場や保護者、地域住民の意識がどのように変わって、教育がよくなっていくのか。そういう議論をそろそろ、きちんと聞きたいものである。
逆にいうと、そういうきちんとした教育改革構想とか、教育論としての議論がないままに、今は「公開する・しない」の話ばかりに集約されているようにしか見えない。しかし、前にも書いたとおり、それだと「府知事や府教委の意向に従うか、従わないか」という「踏み絵」を各市町村教委に踏ませているだけの話にしかならない。
そういう上から下の者に「踏み絵をふませる」ようなやり方こそ、今の教育委員会制度のタテマエに最もなじまない方法であろうし、あの文部科学省ですら渋い顔をする方法ではないのか。それこそ、こういう「踏み絵をふませる」やり方というのは、「地方分権」の流れの中で、「府知事集権体制」をつくろうとするような、そんな手法なのだから。だからこそ、各市町村教委は府知事の方針に「抵抗」するのではなかろうか。これに加えて、なにしろ教育界には、現場教員側にも、教育行政側にも、1960年代「学テ」導入についての痛い教訓があるわけだから、もうちょっと、そこに配慮をした方法を考えるべきであろう。
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