小澤征爾指揮、ウイーン国立歌劇場のフィデリオ、今日はオーケストラについてです。
今回の座席は一番上の右端でしたので、指揮者の手元やオーケストラも十分観察できました。
演奏というより、オーケストラ観察のお話です。
開幕前、三々五々オーケストラピットに集まってくる団員達。
いよいよ開演、しかし、今回のフィデリオは管楽器の出番が少なく、管楽器奏者たちは手持無沙汰です。
特に、トロンボーンは開演時にピットに入っていたのは1人で、第一幕後半からは2人に、そして、第二幕後半のレオノーレ序曲第三番演奏直前にまた一人増えて3人になりました。
しかし、ほとんど出番はなく、気の毒なくらいです。
ほかに出番が少ないのは、ティンパ二、これもほとんど出番がありません。
そうした、出番の少ない奏者たちは、出番が来るまでひたすら待ち続けるわけです。
ホルン、トロンボーンを除く、管楽器はほとんどが2管ずつの編成なのですが、出番を待っている姿勢が、二人ともたいてい同じなのが笑えます。
たとえば、フルート奏者、2人とも腕組みをしていたり、トランペット奏者、膝に手を置いて同じ姿勢、トロンボーン、足を組んで同じポーズ、というように、仲良く同じポーズをとっていることが多いのです。
だから、どうということはないのですが、ちょっとおもしろかったです。
そして、コンサートの時にはいつも感じるのですが、カーテンコールが終わって会場を出ると、もう、団員達が着替えて続々と移動バスに乗り込んでいきます。
その素早さにはいつも感心します。まさに、撤収!という感じです。
そして、慣習として、第二幕の場面転換の時にレオノーレ序曲第三番を演奏することについてですが、なぜそのようになったのか。
パンフレットには、「第二幕の第一場の後、一旦幕を降ろしてアタッカでレオノーレ序曲第三番に突入するのがウイーンの習慣になっている。ここに至るまでの首尾が良くない場合でも、一気に挽回できるという意味で、指揮者にはじつに有効な措置である。」と書かれていました。
確かにフィデリオのストーリーは韓流ドラマのようなどんでん返しもなく、単調なストーリーなので、演奏がまずいと、とても退屈なものになってしまいます。
そんなとき、レオノーレ序曲でいったん悪い流れを切って巻き返すということができるということなのですね。
しかし、それだけではなく、主人公のレオノーレという女性を強調することによって、最後の大団円をさらに盛り上げるという意味もあったのではないかと思います。
いつから、このような習慣ができたのかはわかりませんが、実に効果的な演出です。