昨晩、東京四谷の紀尾井ホールで行われた日蓮宗聲明師連合会結成二十周年記念公演「声明の可能性を求め 今、時空をこえて・・・」という長い名前のコンサートに行ってきました。
内容は、簡単に言うと、日蓮宗の声明師が雅楽やグレゴリオ聖歌などとコラボレーションをするコンサートと、法華懺法という昔から行われている法要の実演をするというものです。
会場の紀尾井ホールは四谷駅から徒歩6分、駅からホールまでの道すがら、聖イグナチオ教会と、上智大学を通り、ホールの前にはホテルニューオオタニがあります。
ホテルの前にはクリスマスツリーのイルミネーションが光輝いています。
さながら異教徒の陣地に乗り込むような感じです。
<ホテルニューオオタニ前のイルミネーション>
会場前は、坊さんがたくさん、知った顔も何人かいます。
声明などという特殊な催しですから、きっと日蓮宗の坊さんばかりかもしれないと思っていましたが、結構一般の方もお見えになっていたようです。
公演の第一部は「声明コンサート」。
会場を清める灑水・散華、雅楽の演奏による舞楽 振鉾(しんぶ)が終わると、雅楽の演奏をバックにいよいよ声明師さんたちの入場です。
「あれ、なんて地味な・・・」
入場した声明師さんたちの衣帯(衣装)を見ると、黒の素絹に木欄の五条(黒い衣に黄土色の袈裟)。
確かに私たちが日ごろよくしている格好ですが、舞台映えはしません。
この地味な感じが日蓮宗っぽいと言えなくもないですが、もっと派手なほうがよかったんじゃないでしょうか。
声明師さんたちは、舞台中央に並び、道場偈、三宝礼を唱え、次に切散華を唱えます。
この切散華の時には紙で作った花びらを空中高く播きちらします。
さすがに大人数で撒く散華は美しく、会場からは「おお~」というため息が出ます。
そして、呪讃を唱え鐃(ドラ)を鳴らし、鈸(ハチ)を回します。
しかし、ここまで聞いてみて、舞台上の声明師さんたちがものすごく緊張しているのが伝わってきて、妙に肩が凝ります。
きっと発音(真っ先に声を出す)する人は衣の下に隠れて見えませんが、足ががくがくふるえているんじゃないでしょうか。
それくらい緊張しているのがわかります。
普段唱えているような声のハリもノビもありません。
思わず「がんばれ!」と励ましたくなってしまいます。
次の対楊になって、ようやく緊張がほぐれてきた感じです。
対楊の後は雅楽の演奏(平調調子)、その間にグレゴリオ聖歌を歌う聖歌隊の入場です。(声明師さんたちはいったん退場します。)
真白なガウンをまとった姿は昔、ドリフターズの8時だよ全員集合!のコーナーで出てきた聖歌隊を思い出させます。
男女混合の聖歌隊によるグレゴリオ聖歌の後、続けて声明師さんたちが唱えるお経(自我偈)と聖歌のコラボレーションです。(このとき声明師さんたちは黄色の衣に茶金の袈裟で少しは派手な衣装に変わっていました。)
このコラボレーションが今回のコンサートの目玉の一つなのですが、確かに面白いことは面白いですが、どうなんでしょう。
「一緒にしなくても、別々に聞けばいいんじゃない?」という感じです。
以前、雑誌『レコード芸術』に天台声明とグレゴリオ聖歌のコラボレーションがヨーロッパで行われ盛況を博したという記事を読んだことがありますが、ヨーロッパの人たちにはもの珍しかったから受けたのかもしれません。
日蓮宗の声明より、天台声明の方が複雑でより歌っぽいですから、聖歌とあいやすいのかもしれませんが。
そして、コラボレーションの後はピアノ独奏、曲はドビュッシーの沈める寺です。
この選曲はドビュッシーが、バッハ以前のグレゴリオ聖歌や当時パリで流行っていたジャポニズム、東洋音楽をヒントにしてこの曲を作ったというエピソードがあり、今回のコラボレーションにふさわしいと考えて演奏することになったそうです。
そのあとは、雅楽演奏による舞楽の登殿楽(とうてんらく)、称名、唱題と続いて終了です。
唱題(南無妙法蓮華経を唱える)は2階の客席で声明師さんが唱題を唱えたり、客席後ろの二か所の入り口からも声明師さんたちが南無妙法蓮華経を唱えつつ入場するなど、会場全体がお題目に包まれる瞬間でした。
唱題が終わり、声明師さんたちが退場すると、入れ替わりに狂言師が登場。
そのまま狂言『蝸牛(かぎゅう)』に突入です。
笑いに満ちた楽しい演目で、第一部が終了しました。
<右下の花びらは散華で撒かれたもの>
第二部までは20分の休憩。
その休憩中、ロビーで若い女性の話声が聞こえます。
「あのキーンでいう音、癒されるよね。」「ほんと癒されたわ」
え、もしかして、それって引金の音ですか?
『なーに~』『やっちまったな!』クールぽこ風に言うとこんな感じでしょうか。
キーンという音は動作を始める合図として打たれる引金という小さい鐘の音です。
私たちからすると、その音が鳴ると動作が始まるので、むしろ緊張する音といえます。
「ここが癒しのツボだったのか。」予想外の驚きです。
でも、声明で癒されずに引金の音で癒されたとは、気の毒で口が裂けても出演した声明師さんたちには言えません。
やはり、何も予備知識のない、先入観にとらわれない状態で聞く人の感想は正直で的を得ています。
声明について知識があり、ひいき目に見れる私でさえ、肩が凝ったのですから、無理もありません。
これを他人事と思わずに、私も皆さんが癒されるような声明を唱えられるようにならなくてはと思います。
第二部については、これから身延の下山まで宗門の用事で出かけなければならないので、また後ほどアップします。