東京で「子どもホスピス」設立を目指す母親がいる。
2017年7月。骨肉腫の病状が悪化した当時19歳の長男は
力を振り絞って自分の手を握ってきた。「ママ、助けてよ」。
亡くなったのはその2日後。20歳の誕生日の3日前だった。
夏が来ると思い出す。我が子と過ごした最後の日々。
・
病気が見つかってから亡くなるまで1年9ヶ月、母親は懸命に
看護した。教師になるのを夢見た息子は時々ベッドをたたき、
「どうして俺だけ」と悔し泣きした。傍らで「ごめんね」と
繰り返すしかなかった。そんな日々に、同じように苦しんでい
る病児やその家族らと知り合い、「自分だけじゃないんだ」と
実感した。
・
「外国ではこどもホスピスという施設がある」と知ったのは
息子が亡くなる少し前のこと。葬儀が終わってしばらくすると
、無念さがこみ上げてきた。「こどもホスビスがあったら、あ
れほど苦しまずに済んだのではないか」。
・
英国などでは病児が自由に遊び、くつろげる施設として機能し
ている。日本国内では大阪府と神奈川県にあるが、東京にはな
い。それを作りたいと母親は思った。小さな声は、国にも届い
た。関係省庁によるこどもホスピス整備に向けた検討が、昨年
ようやく始まった。「今、この瞬間にも苦しんでいる子どもや
家族がいる。その人達が穏やかになれる場所を作ることが、
私の使命だと思っています」。
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2017年7月。骨肉腫の病状が悪化した当時19歳の長男は
力を振り絞って自分の手を握ってきた。「ママ、助けてよ」。
亡くなったのはその2日後。20歳の誕生日の3日前だった。
夏が来ると思い出す。我が子と過ごした最後の日々。
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病気が見つかってから亡くなるまで1年9ヶ月、母親は懸命に
看護した。教師になるのを夢見た息子は時々ベッドをたたき、
「どうして俺だけ」と悔し泣きした。傍らで「ごめんね」と
繰り返すしかなかった。そんな日々に、同じように苦しんでい
る病児やその家族らと知り合い、「自分だけじゃないんだ」と
実感した。
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「外国ではこどもホスピスという施設がある」と知ったのは
息子が亡くなる少し前のこと。葬儀が終わってしばらくすると
、無念さがこみ上げてきた。「こどもホスビスがあったら、あ
れほど苦しまずに済んだのではないか」。
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英国などでは病児が自由に遊び、くつろげる施設として機能し
ている。日本国内では大阪府と神奈川県にあるが、東京にはな
い。それを作りたいと母親は思った。小さな声は、国にも届い
た。関係省庁によるこどもホスピス整備に向けた検討が、昨年
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家族がいる。その人達が穏やかになれる場所を作ることが、
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