滋賀県立安土城考古博物館とその近くに立つ安土町立安土城天主信長の館をじっくり見て廻った後安土城址駐車場に車を入れた。予想より広い城址に天下統一の拠点とした織田信長の思いが伝わる。標高約197mの安土山に築いた山城は現在石垣・曲輪跡しか残っていないが、近世城の始まりともいわれ、天守(安土城の場合は天主という)が始めて造られたともいう。入口正面から伸び上がる石段(写真)は両脇の側溝を含め10m近くになる。二の丸跡には、秀吉が建てた信長公本廟がある。
13時30分に安土城址を出て、有料道路を通り観音正寺駐車場に駐車。手摺に西国33番札所(観音寺は32番札所)に因み33のことわざを書いた短冊がぶら下がった石段を登る。そこに現在観音正寺が建つ。この標高約433mの繖(きぬがさ)山の南腹に曲輪を配し、家臣や国人領主の居館を配置した。観音寺城は六角氏の居城であったが、永禄11年(1568)信長が足利義昭を擁して上洛の大軍を起こしたとき六角氏は敵対した。このため信長は支城の箕作城を猛攻、そのすさまじさに六角氏は観音寺城を捨てて逃げ、城は無血開城さた。以後廃城となった。現在は、石垣・曲輪が残っているだけである。
15時過ぎ観音正寺を出、途中コンビニでパンと牛乳でお昼を済ませ、八日市ICで名神に載り吹田JCTで中国道、神戸JCTで山陽道に載って、途中吉備SAでお土産を買って笠岡ICで下り、妻の自宅に18時30分に到着した。本日朝水戸を発って、新幹線「のぞみ」で1人で来る予定だった娘は既に着いていた。