つれづれ日記

~認知症に備えて~
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北海道旅行ー1日目:五稜郭と函館夜景

2015-05-11 23:36:02 | 旅行記
 クラブツーリズムの「桜めぐりの決定版北海道桜セレクション3日間」と銘打ったグループツアーに申し込んだ。申し込んだときは、このころに見ごろと踏んだのだが、今年は特に暖かく桜の開花が進んで、行ったときはほとんどが終わっていて、辛うじて残っていたものを愛でることができただけだった。
 いつもより1時間ばかり早い7時に起き、のんびりコーヒを飲みながら新聞を読んで、8時半過ぎのバスで水戸駅へ。8:50到着後、MaCでフィレオフィッシュとコーヒを摂って9:27発ひたち6号に乗って東京駅へ。常磐線の両側に広がる田圃は半分近くは田植えが終わっていた。今年の3月から常磐線特急は品川駅まで乗り入れており、大変便利になった。浜松町駅からはモノレールで羽田空港第1ビルに11:17到着。集合時間は11:50だったので、その前に焼鯖寿司を昼食にした。
   
(写真は左から、モノレールより富士山を望む、昼食にした焼鯖寿司)

 14時ちょうど函館空港に着陸、荷物を引き取った後迎えに来ていたバスで、14:29空港を出発し、最初の見学先トラピスチヌ修道院に14:38到着。バスガイドさんの引率でぐるっと見学。



 15:22修道院をバスにて出て、15:48五稜郭に到着。まず、展望タワーに上って上から五稜郭公園を見下ろす。時期が合えば、桜で埋め尽くされた景観を呈すのだろうが、時期が疾うに過ぎている。
 嘉永6年(1853)「黒船来航、により徳川幕府は安政元年(1854)日米和親条約を締結し、下田と箱館(明治2年(1869から函館)を開港した。蝦夷地(明治2年より北海道)を治め開拓し、合せ外国との応対をするために箱館奉行を函館山麓に開いたが、主に防備上の理由により現在地に五稜郭を造り、箱館奉行所を移した。五稜郭は安政4年(1857)に築造が開始され、元治元年(1864)に完成した。慶應3年(1867)12月に大政奉還され、翌月からの戊辰戦争、明治2年箱館戦争の舞台となり、圧倒的な戦力に新政府軍によって旧幕府軍の土方歳三らは斃れ、総裁榎本武揚は明治2年5月18日、降伏、五稜郭は階乗した。明治4年(1871)開拓使により奉行所庁舎を含むほとんどの建物が解体され、大正時代以降は公園として一般に開放された。平成18年(2006)から工事が開始され、平成22年(2010)に箱館奉行所が復元された。
 
 一の橋を渡り半月堡塁へ、そこから二の橋を渡って郭内に入った。石垣の高さは、思っていたより低かった。時間が短ったので、復元された箱館奉行所に入らず、その向かいにある「いたくら柳野」で百名城のスタンプを押して、コーヒを飲んで、バスに戻った。

(上の写真は左から、展望タワー見下ろした五稜郭公園、一の橋からの入口付近、復元された箱館奉行所)

 16:50五稜郭を出て、市内をバスの中から見て回りながら、本日のホテルである「函館国際ホテル」に17:17到着。函館山から夜景見物に出発する19:30までに各自夕食を摂って再集合ということで解散。小生は、バスの席が隣になった82歳という男性と一緒に夕食を摂るため、近くの「きくよ食堂」でトマトとモッツァレラチーズのサラダと、フレッシュ海鮮パスタを撮った。
 19:35、足があまり自由でないのでと今までも見たという理由で、行かないというその82歳の男性を除いて、バスはホテルを出発し、19:58に函館山山頂に到着。小生は買わないが、全員で集合写真を撮って、後は自由行動。集合写真を撮った場所付近から、小生は10枚ほどの夜景写真を撮ってバスに戻った。


 20:30、バスは山頂を出発し20:50ホテルに帰着した。24時半ころ就寝。