セレンディピティ ダイアリー

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リストランテ フィオレンツァ

2017年08月17日 | グルメ

映画のあとは、マクドナルド...ではなく、京橋にあるイタリアン・レストラン「リストランテ フィオレンツァ」(Ristorante Fiorenza)でお昼をいただきました。場所は銀座1丁目のすぐ横の通り。着いた時は満席でしたが、遅めの時間だったのが幸いし、5分ほど待って入れました。前菜、パスタ、デザート、食後の飲みものがつくコースをいただきました。

前菜は5種類の中から選びます。これは「パルマ産生ハムとトルタ・フリッタ」トルタ・フリッタはイタリア風揚げパンです。ひと口サイズのぷくっとふくらんだ揚げパンに、ほどよく塩味の効いた生ハムがよく合います。 ワインが飲みたくなるお味です。

 私は「アンティパスト・ヴェジェタリアーノ」(野菜の前菜盛り合わせ)をいただきました。エリンギのソテー、野菜のマリネ、フリッタータ(オムレツ)、カポナータ(ラタトゥイユ)、フムス(ひよこ豆のペースト)。

パスタも5種類から選びます。こちらは「鶏レバーミートソースと九条ネギのパスタ」大盛りです。大人味の和洋折衷スパゲティでした。

私はクリーム系のパスタはめったにいただきませんが「生クリームもベーコンも使わない”本当の”カルボナーラ」というのが気になってこちらにしました。ベーコンではなく自家製パンツェッタが使われています。クリーミィで濃厚なソースは生クリームではなく何を使っているのか...たぶん卵黄だけでなく全卵を使っているのでは?と想像しました。

デザートの盛り合わせをコーヒーとともに。ぽんぽんと並べただけの無骨な盛付けですが、どれもおいしかった。こういう家庭的なスウィーツ大好きです。手前からティラミス、マンゴーのパンナコッタ、チーズケーキ、ブルーベリーのムース。

お酒の並ぶカウンター、明るさを抑えた照明、温かみのあるインテリアとお料理が心地よく、イタリアのどこかの町の食堂にぶらりと立ち寄ったような気分が味わえるお店でした。

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ファウンダー ハンバーガー帝国のヒミツ

2017年08月13日 | 映画

アメリカで生まれた世界最大のハンバーガーチェーン、マクドナルドの創業物語を、マイケル・キートン主演で描きます。監督は「幸せの隠れ場所」(The Blind Side・2009)のジョン・リー・ハンコック。

ファウンダー ハンバーガー帝国のヒミツ (The Founder)

1954年。レイ・クロックは、シェイク・ミキサーのセールスマンとして、アメリカ中西部をまわっていました。ある日、カルフォルニア、サンバーナーディーノのドライブインから8台もの注文が入り、どんな店かとルート66をひたすら走って見に行った先は、マクドナルド兄弟が経営するハンバーガーショップでした。

合理的なサービス、コスト削減、高品質という革新的コンセプトに目をつけたクロックは、マクドナルド兄弟を説得して契約を交わし、全米へのフランチャイズ化を進めていきますが...。

ビジネス系映画が好きなので、楽しみにしていた本作ですが、意外に小規模上映で驚きました。映画サイトでは、見て不愉快になるというレビューも散見しましたが、知られざる創業物語は興味深く、私はとっても楽しめました。モラルなく突っ走る、ギラギラしたごり押し経営者を、マイケル・キートンが好演しています。

クロックがマクドナルド兄弟に出会ったシーンで、私も生まれて初めてマクドナルドを食べた時のことを思い出しました。成形した薄いパティ、ポテトの独特なシーズニング、なかなか吸い込めないシェイク、当初は椅子がなかったことなど、すべてが新しく衝撃的でした。

それからアメリカでは、特にドライヴ旅行でマクドナルドのお世話になりました。高速道路を移動のためにひたすら走ってて、食事にかける時間がない、でも休憩したい、土地勘がない場所でレストランを探してうろうろしたくない。そんな時にマクドナルドのサインを見ると、灯台を見つけた船乗りのようにほっとしたものでした。

以前、東理夫さんの「アメリカは食べる。」で、アメリカの広い国土で、誰もが安心してありつける食べ物として、チェーンレストランが発展したとありました。マクドナルド兄弟の生み出した合理的で無駄のないシステム、ばらつきのない品質。それをクロックが標準化、マニュアル化したことが、アメリカという国土のニーズにマッチしていたのだと思います。

とはいえ、クロックがやったことはあくどい乗っ取り。もしもマクドナルド兄弟がクロックに出会わなかったら、彼らはファミリービジネスで成功し、地元で愛される経営者として幸せな人生を送ることができたはずだと思うのです。

マクドナルド兄がストレスがもとで入院し、クロックが見舞いに来た時、一瞬ですが病室に飾られた小さな宗教画が大写しになった場面が心に残りました。マクドナルド兄弟は、クロックが拡大路線を進めるあまりに、品質を軽視する姿勢を受け入れられなかった。たとえ損をしても神に背く生き方はしたくなかったのだと理解しました。

マクドナルド兄弟はクロックに、商売のノウハウをすべて教えました。マクドナルド弟が、クロックに「自分の店を持てばよかったのに、なぜそうしなかったのか」と尋ねた時のクロックの答えは深い...と考えさせられました。マクドナルド兄弟は、クロックが羨むあるものを持っていた。アメリカの移民社会の一面に気づかされた思いがしました。

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ピカチュウ大量発生チュウ!

2017年08月12日 | おでかけ

用事で桜木町に出かけたら、あたりがピカチュウ一色になっていました。

駅名表示も特別仕様! そういえば先日イベントのお知らせを見たな~と思い出しました。

ピカチュウだけじゃない ピカチュウ大量発生チュウ!(~8月15日まで)

毎年この時期に開催されているイベント。横浜みなとみらいがピカチュウにジャックされます。桜木町からみなとみらいにかけて、いたるところにピカチュウのバルーンやポスターがいっぱい♪ 年々派手になっている気がしますが、人出も多くてびっくりしました。私たちもついでに楽しんじゃいましたよ。

日本丸の上から、ピカチュウがこんにちは。

汽車道のたもとで、大きなピカチュウバルーンがお出迎え。

ドックの近くにはピカチュウのオブジェ。

対岸のアニヴェルセルの前にも大きなピカチュウ。

下からドーン!

MARK IS の入口。

MARK IS では動くピカチュウに遭遇しました。フォトスポットの前でモデル顔負けにいろいろなポーズを取ってくれました。今年はタイミングが合わなくて、ピカチュウのお散歩が見れなかったのが残念。

このほか、ピカチュウのショウや、パレード、船に乗るピカチュウや気球など、いろいろな催しがあるようです。詳細は公式サイトをチェックしてみてくださいね。

*** おまけ その1 ***

3年ごとに開催される現代アートの国際展「ヨコハマトリエンナーレ2017」が始まっていました。横浜美術館の前には救命ボートが並び、柱が大量のライフジャケットに埋め尽くされています。アイ・ウェイウェイの「安全な通行」というインスタレーション。難民問題にストレートなメッセージを投げかけています。

*** おまけ その2 ***

 先日、楽しいツイートを目にしました。

船に乗るピカチュウを、映画「ダンケルク」(9月9日公開)になぞらえています。^^

元ネタはこちら。

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みかづき

2017年08月10日 | 

昭和から平成にいたる教育界の変遷を、学習塾を経営する家族の姿を通して描いた長編小説であり、親子4代にわたる家族の歴史を描いた大河小説。2017年本屋大賞第2位に選ばれました。

森絵都「みかづき」

書評を読んで興味をもちました。森絵都さんの作品を読むのは初めてでしたが、おもしろかった! ちょうど私が育ってきた時代~子育ての時代と重なることもあって、自分の記憶をたどりつつぐいぐいと引き込まれました。近年の教育史としても読み応えがありましたが、家族ひとりひとりのキャラクターが魅力的で物語としても大いに楽しめました。

昭和36年、千葉県八千代台。小学校で用務員をしていた吾郎は、放課後に子どもたちの勉強を見てあげるうちに教え方が評判になり、やがて生徒の父兄でシングルマザーの千明に請われて、いっしょに学習塾を立ち上げます。2人は結婚し、子どもが生まれ、塾も順調に成長していきますが...。

***

私たちの頃は、塾に通わず学校の勉強だけで大学まで行けるのんびりした時代だったように思います。当時は塾はまだ特殊な存在で、学校の先生が塾を目の敵にしていたことを、本作を読んで思い出しました。タイトルの「みかづき」は、学校が太陽とすると、塾は陰で支える月のような存在だ、という千明のことばから来ています。

しかし進学塾が台頭し、教育を取巻く状況は変わっていきます。補習塾としてはじまった吾郎たちの学習塾も、生き残りをかけて進学塾へと舵を切るべきだと考える千明と、創業時の理念を守って補習塾に徹するべきだと考える吾郎の意見が真っ向から対立。吾郎は塾を去り、家を出てしまいます。

***

昔は必要悪とされていた塾も、この頃になると教育を担う両輪の片側として存在感を増していきます。受験競争の弊害が叫ばれゆとり教育が推進されると、学力低下が心配され、塾に通う子どもが増えるようになります。

公立では頼りないからと進学塾が焚きつけて、私立人気が高まったのもこの頃ではないでしょうか。学校が選べる家庭と選べない家庭。それは取りも直さず、家庭環境による学力格差を引き起こし、社会問題として今に引き継がれています。

物語の終盤では、千明の孫の一郎が、学校の授業についていけない、経済的理由で塾に通えない子どもたちのために、学習支援の活動に奮闘する姿が描かれ、また一方で、学校と塾が協力する試みも取り上げられています。

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教育というテーマは重いですが、本作が読みだすと止まらなくなるおもしろさがあるのは、物語の運びの巧みさもさることながら、文体の柔らかさ、登場人物に向ける作者の優しいまなざしによるところも大きいと思いました。後から、森絵都さんが児童文学出身と知り、深く納得したのでした。

大島家の人たちは、誰ひとり挫折を知らず、まっすぐな人生を歩んできたわけではありません。悩み、考え、立ち止まり、振り返りながらもそれぞれが自分にふさわしい生き方を見つけています。そんなところにも共感でき、大いに励まされました。

最後に恒例の脳内キャスティングでは、吾郎→長谷川博己さん、千明→吉田羊さん、頼子→松坂慶子さん、一枝→壇蜜さん を思い浮かべながら読みました。扱いの難しいテーマですが、ドラマ化されるかもしれませんね。

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ダンサー、セルゲイ・ポルーニン 世界一優雅な野獣

2017年08月08日 | 映画

19歳で英国ロイヤルバレエ団のプリンシパルに就任するも、2年後に突然の退団。バレエ界きっての異端児とよばれたセルゲイ・ポルーニンの素顔に迫るドキュメンタリーです。

ダンサー、セルゲイ・ポルーニン 世界一優雅な野獣 (Dancer)

予告で見たパワフルなダンスにひと目で心奪われ、楽しみにしていた作品です。鍛え抜かれた美しい体、卓越したテクニックと表現力もさることながら、内面からほとばしる心の叫びが伝わってきて圧倒されました。気高い野生動物を思わせる姿に、マシュー・ボーンの白鳥の湖を思い出したりもしました。

本作は、才能に導かれるようにバレエ界を駆け上っていった青年が、自分の生き方を模索し苦悩する姿を、本人へのインタビューや、家族や恩師、友人たちの証言、映像記録などを通してていねいに追いかけています。神々しいまでの美しく力強いダンスに圧倒される一方で、天才ゆえの苦しみや孤独が伝わってきて胸がしめつけられました。

ポルーニンは、1989年ウクライナ南部の小さな町ヘルソンの生まれ。小さい時に体操をはじめますが、間もなくバレエに転向。息子の並外れた才能に気づいた母は、彼をキエフのバレエ学校に入れることを決意します。その後ポルーニンは、13歳でイギリスのロイヤルバレエ学校に留学します。

ポルーニンにバレエダンサーとして最高の教育を受けさせるために、父はスペイン、祖母はギリシャに出稼ぎに出て、家族ぐるみで彼を支えてきました。やがて、ポルーニンはロイヤルバレエ団に入団し、史上最年少の19歳でプリンシパルに就任します。それはまるで「リトルダンサー」のようなサクセスストーリー。

しかし間もなく、長い別居生活がたたり、両親は離婚してしまいます。いつか家族がひとつになることを夢見て、ダンサーとしての頂点を目指してきたポルーニンでしたが、自分のために家族がばらばらになってしまった... 行き場のない怒りは、彼の才能を伸ばそうと英才教育に力を入れてきた母への反発となって現れます。

ポルーニンは名声と引き換えに、ドラッグにおぼれ、自らの体を傷つけるかのように体中にタトゥーを彫るようになります。そしてわずか2年、スターダムの頂点にいながら、ロイヤルバレエ団を退団してしまいます。その後、新天地を求めてロシアのバレエ団に入り、再び脚光を浴びますが、それでも彼の心が満たされることはありませんでした。

ポルーニンに苦しみを与えたのはダンスですが、彼を苦しみの縁から救ったのもまたダンスでした。ポルーニンはHozierの”Take Me to Church”に出会い、友人の振付、著名な写真家David LaChapelleの撮影で、ハワイのマウイ島でミュージックビデオを制作。それはYou Tubeで2000万回以上再生され、反響をよびます。

Sergei Polunin, "Take Me to Church" by Hozier, Directed by David LaChapelle

ただただ打ちのめされる圧巻のダンス。緑の中の白い空間は、歌詞の教会を表しているように思えましたが、古くからの伝統やしきたりを表しているようにも思えました。この歌は、ロシアでのLGBTへの迫害を批判しているといわれていますが、ポルーニンのダンスは、もっと広い意味での自由への渇望を表現しているようにも感じました。

伝統的なバレエにしばられない、新たな表現方法を手にして、ポルーニンという鳥がどこに羽ばたいていくのか、これからの活躍が楽しみです。

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エッグインクラウド

2017年08月06日 | 料理

アメリカのインスタグラムで紹介されたとたんに話題になった卵料理、エッグインクラウド(Eggs in Clouds)を作ってみました。メレンゲの上に卵黄を落としてオーブンで焼く。たったそれだけですが、メレンゲがふわふわ雲のように見えてかわいい。アイデアの勝利ですね。アレンジも広まっていますが、オリジナルのレシピはこちら。

Eggs in Clouds (Framed Cook)

卵を卵黄と卵白に分けて、卵白に塩ひとつまみを加えてしっかり泡立てメレンゲにします。(卵黄は1個ずつ小さなカップにいれておく) すりおろしたパルミジャーノを加えて混ぜ、オーブンシートに1個分ずつのせます。この時、中央を少しへこませておくと、あとで卵黄が乗せやすくなります。230℃に予熱しておいたオーブンで3分焼きます。

1個ずつくぼみに卵黄を乗せて、さらに3分焼いたらできあがり♪

この日の朝食は、エッグインクラウドと軽くトーストしたイングリッシュマフィン、キャロットラペと紫キャベツのマリネ、ケール、軽くトーストしたアーモンド、ブルーベリーとバナナのスムージー、そしてコーヒーです。

イングリッシュマフィンにケールを敷き、マリネとエッグインクラウドをはさんでいただきました。野菜のマリネの甘酸っぱさが、卵にほどよく合います。ふわっむちっとしたメレンゲの食感もおもしろく、おいしくいただきました。

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落語「百川」の舞台を歩く

2017年08月04日 | おでかけ

友人の誘いで、庭のホテルで開催された、江戸まち歩きのイベントに参加しました。

古典落語ゆかりの地を歩く

庭のホテルは、水道橋駅にほど近いこじんまりとしたおしゃれなホテル。こちらでは、江戸の文化や歴史の足跡が残るこの地域ならではのイベントが、折に触れ企画されているようです。

今回は、落語「百川」を鑑賞したあと、松花堂弁当のランチをいただき、ガイドさんの案内で「百川」の舞台となった日本橋まで歩くというもの。古地図片手に、ふだんなら見過ごしてしまいそうな江戸の面影に触れ、しばしのタイムトラベルを楽しみました。

***

落語を生で聞いたのは久しぶりですが、今回は観客が20人。息遣いや一瞬の”間”まで感じとれる貴重な体験でした。落語を聞かせてくださったのは、志ん朝さんの最後のお弟子という古今亭志ん陽さん。にこにこと柔らかなお人柄ながら、いざ落語が始まると緩急のテンポとリズムが心地よく、名人の話芸に酔いしれました。

演目は、古典落語の「百川」(ももかわ)。百川はかつて日本橋浮世小路にあった高級料亭で、1854年、日米和親条約締結の交渉が行われました。黒船艦隊への饗応料理は総額1億5000万円に上ったそうです。百川はもとは(長崎発祥の)卓袱料理屋だったそうで、そのためかこの日のお弁当にも九州由来のお料理が何品かありました。

お話は、百川の奉公人として雇われた百兵衛さんが、ひょんなことから着いたその日にお座敷の対応をすることになり、そのお国訛りゆえに、お客との間に勘違いが起こる騒動を描いたもの。百兵衛さんのとぼけたキャラクターと、ちぐはぐなやりとりに大笑いしました。

***

まち歩きは、神田ご出身で地域活動に従事されている立山西平さんがガイドを務めてくださいました。志ん陽さんと立山さんのトークのあと、庭のホテルのある三崎町から南下して、神保町~神田~室町~日本橋と歩きました。

百川は明治元年に廃業してしまいましたが、百川があった浮世小路(うきよしょうじ)は、今のコレド室町とその隣の日本橋室町野村ビル(YUITO)の間に今も残っています。その奥は小さな広場となっていて、ビルに囲まれるように(再興された)福徳神社が鎮座しています。かつて百川を訪れた客たちも、まずはここに参詣したそうです。

ちなみに小路を”しょうじ”と読むのは、当時この地に屋敷のあった喜多村家の出自である加賀の読み方だそうです。この辺りはよく訪れますが、今まで何気なく見ていた風景に新しい色彩が加わって、新鮮な感動を覚えました。

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ブルーベリー狩り 2017

2017年08月03日 | おでかけ

今年も練馬区の観光農園にブルーベリー狩りに行きました。7月に入ってから猛暑日が続き、なかなか行く気になれなかったのですが、この日は朝からすごしやすい陽気でした。午後の予約を入れて、途中でお昼をいただくことにしました。

家族の希望でインドカリーを食べることになりましたが、あまり土地勘がないこともあって、荻窪ルミネの新宿中村屋さんへ。私は”彩り野菜とチキンのココナッツカリー”をいただきました。夏野菜たっぷり、スパイスの複雑な味わいでおいしかった♪

今年も「ファーム大泉学園」(練馬区大泉学園3-17-72 phone:090-6115-9168)さんにお世話になりました。7年前から毎年違う観光農園にブルーベリー狩りに行きましたが、こちらは2年前に初めて訪れて以来、この時期になるとDMを送ってくださるのです。こういう心配り、うれしいですよね。

今年は豊作か、はたまた訪れたのが早かったのか、例年に増して大粒のブルーベリーがいっぱいあって興奮しました。小さなバケツを受け取って、たわわに実ったブルーベリーを、端からどんどん摘んでいきます。

この日は朝は晴れていましたが、午後から雲が広がって、農園に着いた頃にはひと雨来そうな気配でした。途中でカミナリがごろごろ鳴り始めたので、お互いに口もきかずに大慌てで摘みました。

やがて雨がバラバラと降り出したので、ブルーベリー摘みはこれにて終了。それでも3人がかりで摘んで、過去最高の4.1kg!になりました。持ってきたプラスティックコンテナに入りきれなくて、残りはビニール袋に入れてもらいました。

すぐに食べる分は冷蔵庫に、残りは冷凍庫に保存します。来年の春くらいまでもつかな? 早速、チアシードとはちみつといっしょに、ヨーグルトに入れていただきました。

【関連サイト】ブルーベリー観光農園(練馬区公式サイト)
【関連記事】ブルーベリー狩り 2016

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七月大歌舞伎 昼の部(矢の根/加賀蔦/連獅子)

2017年08月02日 | 舞台・音楽会

一時帰国している友人の誘いで、歌舞伎座に「七月大歌舞伎 昼の部」を見に行ってきました。久しぶりの観劇でしたが楽しかった!華やかで迫力ある舞台を堪能しました。ちなみに話題の勸玄くん(海老蔵さんのご子息)が出演されてたのは夜の部のみですが、海老蔵さん、中車(香川照之)さんはじめ花形スターたちの演技に酔いしれました。

演目は荒物の「矢の根」、世話物の「加賀鷹」、舞踏の「連獅子」とバランスのとれたプログラム。今やたいていの演目はネットに詳しい解説が出ているので、事前に目を通して予習しておきました。

歌舞伎十八番の内 矢の根

紅白梅が咲き誇る初春。父の仇を討つため、正月も矢の根を研ぐ曽我五郎(右團次)のもとに、大薩摩文太夫が新年の挨拶にやってきて、縁起のいい宝船の絵をおいていきます。それを枕に寝ていると、夢に兄の十郎が現れ、囚われの身になっていることを告げます。飛び起きた五郎は、あわてて大根売りの馬を奪って飛び乗り、助けに向かいます...。

歌舞伎は季節感はあまり関係ないようで、以前も春に「紅葉狩」を見たことがあります。^^ 赤い隈取にお布団のような分厚い衣装をまとった右團次さんの豪快な動き。そして独特の台詞回しも朗々と、ザ・歌舞伎の様式美を堪能しました。

いざ助けに行くという場面では、太い縄が舞台の上で鮮やかにたすきに結ばれていく様子に見惚れました。馬にまたがり、大根を鞭にして出発する姿に大笑いしました。

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盲長屋梅加賀鳶(めくらやしき うめが かがとび)

江戸の大名火消しと、悪党道元の物語。海老蔵さんが加賀藩お抱えの火消し 加賀鳶の頭である天神町梅吉と、盲長屋に住む悪党 竹垣道元の2役を演じ分けます。

アメリカのファイアファイターも毎年カレンダーになるほど人気がありますが、江戸の火消しも命知らずの勇敢な男たちで、当時の花形職業だったと、以前「お祭り」を見た時に知りました。加賀鳶と定火消(じょうびけし)の喧嘩騒ぎから始まるこの作品、粋な火消したちが勢揃いする場面はかっこよく、圧巻でした。

一方、道元は人の目をごまかすために盲人のふりをして、殺人、強盗、家では妻子に暴力をふるうとんでもない悪人。海老蔵さんが演じる道元は、目つきが鋭くいかにも悪人という風貌ながら、どこか抜けていてお茶目な魅力がありました。

加賀藩上屋敷といえば、今の東大本郷キャンパスがあるところ。最後は赤門の前で道元の捕り物劇が繰り広げられますが、当時は街灯もなく夜はまっ暗。捕り手の松蔵(中車)たちと道元が、暗闇の中、手探りで追う/逃げると攻防する、だんまりの動きがコミカルで楽しかったです。

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連獅子(れんじし)

親獅子は仔獅子を谷底に蹴落とし、這い上がってきた子だけを育てるという故事を踊りで表現。親獅子を海老蔵さん、仔獅子を巳之助さんが踊ります。

狂言師右近(海老蔵)と狂言師左近(巳之助)がそれぞれ親獅子・仔獅子に扮し、獅子の子落とし伝説を美しく優雅に舞います。2人のお坊さんによる間狂言のあとは、親獅子・仔獅子の精となって再登場。フルメイク、フル装備、長い毛をぶんぶん振り回しながら豪快に踊る親子獅子は大迫力!大興奮のエンディングでした。 

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