8月28日、朝6時に家を出て、8:15羽田発の飛行機で高松空港へ。リムジンバスで高松駅に行き、川副という讃岐うどんの老舗で“ぶっかけうどん”の昼食をとり、高松港から船で豊島へ向かいました。
豊島で廃棄物問題にずっと取り組んでいらした住民運動の代表をされてきた砂川さん(写真右)からお話を伺い、その後、島中を案内していただきました。
以前は煙が立ち上り悪臭が漂っていた産業廃棄物のごみの山の現場(写真左:今は、シートがかけられ整然としています)、資料館、オリーブ基金の植栽(写真下:左)、汚水処理場(写真下:右)、などなど・・・。
1977年に始まったこの産業廃棄物処理問題、再三の住民の訴えを無視した香川県と香川県警でしたが、1990年に兵庫県警に摘発され、その後10年経ってようやく2000年6月に香川県が誤りを認め豊島公害調停は合意に至りました。
しかし、60万トンもの有害産業廃棄物の山と垂れ流しの汚水の処理は簡単ではありません。
現在は3年かかって約25パーセントが処理できた状況のようですが、莫大な費用がかかっています。国と県のお金で賄われていますが、結局は私たちの税金です。
自然環境破壊も著しく、始まりはたった一人の個人の過ちでしたが(って、皆さん、ご存知でしたか?しかも地元住民だったのです)、それに騙された県の責任、チェックできなかった議会の責任は重いと思います。
住民たちも県の言うことは正しいのだろうと最初は信じていたそうです。また、途中で誤りに気付いても軌道修正ができなかったことも事態を深刻にした原因です。あらためて議会のチェック機能の重要性を感じました。
(「豊島のこころ・資料館」に展示されている本物の廃棄物。16mの高さですが、実際には25メートルもあったそうです)
それにしても、118回も現地を視察しながら「問題ない」と判断し、事態の悪化を招いた香川県の職員は何の責任もとらず、今では偉い役職についているそうです。そんなことが許されるなんて、民間だったらあり得ません。公務員ってそんなに甘くていいのだろうか?!と、そのことに腹が立ちました。
住民運動の議長をされていた砂川さんはじめ、島の方々約1300人が一丸となって闘ってきたからこその成果を実感することができたのも、行ってみて、実際にお話を伺って、のことです。住民運動の熱意と継続の力なども勉強させていただきとても参考になりました。
(写真:汚水処理場。汚水が流れ出ないように産廃の山を鉄板で塞ぎ、シートをかけています。この下はすぐ海ですが、一時期は生物が全くいなくなってしまったそうです)
この日はものすごくいい天気で、暑くて疲れましたが、充実した視察となりました。
今、豊島では「豊島・島の学校文庫」を毎年開催し、全国から子どもたちを受け入れ環境学習などをやっているそうです。私たちのような視察者も全国からすでに5千人近くになっているとのこと。
日本の自然環境を守るため、視察させていただいた人間はそれを活かしていかなければ、ですね。
豊島で廃棄物問題にずっと取り組んでいらした住民運動の代表をされてきた砂川さん(写真右)からお話を伺い、その後、島中を案内していただきました。
以前は煙が立ち上り悪臭が漂っていた産業廃棄物のごみの山の現場(写真左:今は、シートがかけられ整然としています)、資料館、オリーブ基金の植栽(写真下:左)、汚水処理場(写真下:右)、などなど・・・。
1977年に始まったこの産業廃棄物処理問題、再三の住民の訴えを無視した香川県と香川県警でしたが、1990年に兵庫県警に摘発され、その後10年経ってようやく2000年6月に香川県が誤りを認め豊島公害調停は合意に至りました。
しかし、60万トンもの有害産業廃棄物の山と垂れ流しの汚水の処理は簡単ではありません。
現在は3年かかって約25パーセントが処理できた状況のようですが、莫大な費用がかかっています。国と県のお金で賄われていますが、結局は私たちの税金です。
自然環境破壊も著しく、始まりはたった一人の個人の過ちでしたが(って、皆さん、ご存知でしたか?しかも地元住民だったのです)、それに騙された県の責任、チェックできなかった議会の責任は重いと思います。
住民たちも県の言うことは正しいのだろうと最初は信じていたそうです。また、途中で誤りに気付いても軌道修正ができなかったことも事態を深刻にした原因です。あらためて議会のチェック機能の重要性を感じました。
(「豊島のこころ・資料館」に展示されている本物の廃棄物。16mの高さですが、実際には25メートルもあったそうです)
それにしても、118回も現地を視察しながら「問題ない」と判断し、事態の悪化を招いた香川県の職員は何の責任もとらず、今では偉い役職についているそうです。そんなことが許されるなんて、民間だったらあり得ません。公務員ってそんなに甘くていいのだろうか?!と、そのことに腹が立ちました。
住民運動の議長をされていた砂川さんはじめ、島の方々約1300人が一丸となって闘ってきたからこその成果を実感することができたのも、行ってみて、実際にお話を伺って、のことです。住民運動の熱意と継続の力なども勉強させていただきとても参考になりました。
(写真:汚水処理場。汚水が流れ出ないように産廃の山を鉄板で塞ぎ、シートをかけています。この下はすぐ海ですが、一時期は生物が全くいなくなってしまったそうです)
この日はものすごくいい天気で、暑くて疲れましたが、充実した視察となりました。
今、豊島では「豊島・島の学校文庫」を毎年開催し、全国から子どもたちを受け入れ環境学習などをやっているそうです。私たちのような視察者も全国からすでに5千人近くになっているとのこと。
日本の自然環境を守るため、視察させていただいた人間はそれを活かしていかなければ、ですね。