このところ、映画づいていて、昨夜も、お葬式の映画を見ました。
「寝ずの番」という映画です。
落語の師匠が亡くなって、家族や弟子が密葬をするんです。
通夜の晩に、みんなが師匠との思い出話をするんですけど
それが、抱腹絶倒の話しばかり。
おかみさんは、「今夜は無礼講よ」
そのうちに弟子で師匠の長男の発案で「この際、落語にある死人のカンカン踊りを
師匠の体で、実感しよう。知らないで、話すのと、知って話すのじゃえらい違いだ」ということに。
三味線を弾き、唄い、師匠の体を抱き起こして、肩を組み
手を添えて、カンカン踊りのごとく足を上げたり、宙に浮かしたり。
初めはクタクタの師匠の体が
皆と踊るうちに
ところどころで、目は開けるわ、うっすら笑うわで
しまいには、一緒に足まで上げる大騒ぎ。
踊りつかれて、師匠に抱きついた一番弟子が
涙を流して「師匠~!」って泣き叫ぶ。
イヤー、こんなに故人も送る人も
いい別れが出来るなんて。
葬儀社は要らないね~。と感心しました。
実はね、この映画は師匠が危篤の所から始まるんですが
一番弟子が師匠の最後の望みを聞き出して
弟子達が、「てんやわんやの大騒ぎ」になるんです。
いかにも落語家らしい落ちがあるんですけど・・・
私からはチョット説明しにくい。
どうぞ、映画を見てください。
面白いです。
師匠の通夜だけでなく
その後、一番弟子
おかみさんと続いて亡くなり
その都度、皆で通夜の「寝ずの番」をするんです。
それぞれの縁の話が出て
その場に故人が生き返ってくるような気がする。
家族や、周りの人が傍観者じゃないんです。
参加者なんですよ、一緒に送ってるの。
いいですね。
昔の通夜はこうだったんでしょうか?
いまの葬式は、ひょっとしたら違うかもしれませんね。
もっと、それぞれの別れ方を重視したほうがいいような気がします。
この映画は
俳優の津川雅彦が
マキノ雅彦として、初めて取った作品です。
面白かったです。
「寝ずの番」という映画です。
落語の師匠が亡くなって、家族や弟子が密葬をするんです。
通夜の晩に、みんなが師匠との思い出話をするんですけど
それが、抱腹絶倒の話しばかり。
おかみさんは、「今夜は無礼講よ」
そのうちに弟子で師匠の長男の発案で「この際、落語にある死人のカンカン踊りを
師匠の体で、実感しよう。知らないで、話すのと、知って話すのじゃえらい違いだ」ということに。
三味線を弾き、唄い、師匠の体を抱き起こして、肩を組み
手を添えて、カンカン踊りのごとく足を上げたり、宙に浮かしたり。
初めはクタクタの師匠の体が
皆と踊るうちに
ところどころで、目は開けるわ、うっすら笑うわで
しまいには、一緒に足まで上げる大騒ぎ。
踊りつかれて、師匠に抱きついた一番弟子が
涙を流して「師匠~!」って泣き叫ぶ。
イヤー、こんなに故人も送る人も
いい別れが出来るなんて。
葬儀社は要らないね~。と感心しました。
実はね、この映画は師匠が危篤の所から始まるんですが
一番弟子が師匠の最後の望みを聞き出して
弟子達が、「てんやわんやの大騒ぎ」になるんです。
いかにも落語家らしい落ちがあるんですけど・・・
私からはチョット説明しにくい。
どうぞ、映画を見てください。
面白いです。
師匠の通夜だけでなく
その後、一番弟子
おかみさんと続いて亡くなり
その都度、皆で通夜の「寝ずの番」をするんです。
それぞれの縁の話が出て
その場に故人が生き返ってくるような気がする。
家族や、周りの人が傍観者じゃないんです。
参加者なんですよ、一緒に送ってるの。
いいですね。
昔の通夜はこうだったんでしょうか?
いまの葬式は、ひょっとしたら違うかもしれませんね。
もっと、それぞれの別れ方を重視したほうがいいような気がします。
この映画は
俳優の津川雅彦が
マキノ雅彦として、初めて取った作品です。
面白かったです。