四柱推命≪詩子の推命日記≫

四柱推命に関する日々の命理的考察およびフリートーク

行きずりに・・・

2011年05月21日 11時08分09秒 | インポート
 ちょっと遠出をし、帰りの電車の中のことでした。疲れたので窓の外をボォ~と眺めておりました。夕暮れの海に点在する島々が暗い影を落とし、遥か彼方ままで島影が重なり続く風景は見事でした。凪いだ海の穏やかさは眠気を誘い始めておりました。すると、隣にすわった男性が急に声をかけてこられたのです。みると涼やかな眼をしたおじいちゃんでした。いきなり年齢のことをお話になるんです「私は今年88歳になったんですが・・・」と。まあ、お年寄りは年齢を経るごとにそれを言いたがる傾向にあるのはよく知っていますので「まあ、そうですか。そんなお年には見えませんよ。10歳は若くみえますねえ!」と申し上げたら、「まあ、髪が黒いですから・・・」といいながら、運転免許証をお見せになるのです。みると
 T12年3月29日
とありました。「本当ですね。へえ~~~~!」。と、俄然、私は元気になり始め、「お生まれになったお時間なんてお聞きになったことありませんか?」とお聞きしますと、「なんのことですかなあ?知りませんなあ~!」と言うので、「ですよねえ~!」
 でもすぐに手のひらサイズの暦を出して、頭の中で四柱を組み、大運をはじき出しました。早速、身辺調査が始まりました。おじいちゃんも大変、楽しそうにお答えいただきますので私も「実は~」と軽くお話しておきました。
 「実は私は今日、大阪の息子に会いに行ってきたんですわ。60で定年をとったので田舎に帰ってこんか?ということでなあ・・・・でも帰っては来んようですわ。私もひとりで行けるとこまでいきますかなあ!!」という決意でした。「わたしは貧乏人のせがれでしてなあ、徴兵検査の年には親父に死なれ、母親だけになったんですわ。戦争では外地に行くことなく、近衛隊とでもいうんでしょうか、天皇陛下をお守りして皇居におったんです。戦後は田舎に戻って、人のお世話で○○銀行に入りましてな、東京へも転勤で2、3年は行きましたわ。支店を開くというのでえらい苦労はしましたけど、38歳には小さいですけど。支店長になりましたな。後はほんまによかったですわ。」とおっしゃいました。ふむふむ・・・・
「で、奥様とは?」とお聞きしますと「家内とは14年前に死に別れましてな、かわいそうなことをしましたよ。突然でしたからなあ。もうちょっとふたりで旅行したりしたかったですなあ。」やさしいそうな眼で 話されました。「家内が家のことは全部してくれてましたから、身の回りのことができるようになるまでは大変でしたわ、煮付けをしたら、砂糖を入れすぎてお菓子みたいになるし、味噌汁を作ったら、煮物みたいになるし、弱りましたなあ・・・」「でも、ちゃんとやれるようになりましたでしょ?」とおききしますと「はい、なんとか・・・家を護ろうとしたら、主婦のしごとは大変ですなあ~!一日、忙しいですわ!!」と。
なるほど。なるほど。納得納得・・・。

 癸亥   大運07 甲寅
 乙卯      17 癸丑 18歳父死亡 母は元気で88歳まで・・結婚もここ
 辛丑      27 壬子
 ○○      37 辛亥
          47 庚戌
          57 己酉
          67 戊申 74歳丁丑が戊寅年に妻死亡
          77 丁未
          87 丙午 ☆いまここ・・
このおじいちゃんの命と大運です。多分、財多身弱でしょう。外見はおだやかで非常に涼やかな眼と柔和というのが印象です。体格も細く、身なりは地味ですが清潔感ありで好感度大です。若い頃はきれいな方であっただろうと・・・まったくマッチョな感じはなく優男ですね。経済観念はきちんとお持ちですが、第二、第三運は厳しかったのではと・・・!!財は忌でしたね。何かあったかもと思いますが、なかなか聞けませんよね。47歳以降はまずまずです。日干に根がでますので時干支になにがあるがわかりませんが、年運で湿土金が来ますとこの命は洩れにくいですから(つまり、水の食傷はありますが日干には無情ですし、戊が生きてると年支の亥は無効に)財の妻はきびしいのかもしれません。ま、奥様の命を計らねば何とも言えませんが・・・77歳から平運としても現在の丙午は環境的圧迫大ですね。お一人で田舎住まいをされるご決意です。大変ですね。でもとっても素敵な方なので地域の方には好かれるはず。「いつまでもお達者で~!!」すると「久しぶりに長話ができて嬉しかったですわ、奥さんもお元気でな!!」と言ってお別れしました。
コメント
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