四柱推命≪詩子の推命日記≫

四柱推命に関する日々の命理的考察およびフリートーク

詩歌にみる

2011年05月28日 22時02分32秒 | インポート
 最近、我が夫は部屋の模様替えとかで本棚の要らないものを整理していました。「必要だと思うものがあればとっておけ!」というので気が乗らないまま覗いてみたら、また、笑えてきたのですが・・・短歌俳句関連の本がずらり~とあるのです。そういえば、この人、依然、短歌だ俳句だとうなりまわっていたことがあったよねえ!と。紅葉の徳島箸蔵寺にうなりながら、登った記憶が・・・・私自身もそう嫌いでもないので付き合いにいっしょにうなってはみたのですが、たいしたものもできず、不消化の気分を味わうばかりでちっとも気分転換にはならなかったのですぐにや~めた!なったのですが・・・この一連の本を捨てるのももったいないので戴くことにしてマイルームに保管することにしました。ところがそのうちの一冊がトイレにおいてあるのです。たぶん、夫が持ち込んだのでしょう。そんなわけで最近はトイレに長居するときはつい手を伸ばすことに・・・・・
 前置きが長くてすみません。歌を見るときですが、作品から入るときと作家をみてから読むときとでは違うんですね。作家がわかっているとどうしても先入観が入りますが、作品からですと、とんでもない勘違いをしてしまうことも多々あります。しかしながら、良いところは時代や流派に関係なく読み手の心情とハモってしまうと読み手サイドからの解釈がいくらでも広がっていきます。実はとんでもないことがあったのをトイレの中で思い出したのです。
次の歌ですが
 山の井の水に落ちたるくれなゐのひと葉の如き悲しみぞ来る
というものです。
 バカな私はずっと女流歌人の歌と思っていたのです。ずっと後になってから知ったのですが、男性歌人であったばかりか、大正時代の地元歌人であったのです。それはどうでもよいのですが、とにかく、歌を知っていたのです。長年、たびたび考えては余情に浸ったもので、マネして作ろうと思ってもどうも・・・人間が違うようで・・・ムリでした。私はこの歌の中に秘められたどうしようもなく力ない存在の情念を感じていたのです。侘しげな井戸に落ちているもみじの紅に秘めたる情念とでも申しましょうか、あがいてもあげいても好転しない身辺にも内なる炎を消すわけにはいかないというぎりぎりの情念ですね。これは女性だと思い込んでいたのでものすごく妄想を違う方向に持っていったこともあります。男性だと知ったら、やはり、これは家庭内や恋愛などとは違う、対社会への思いも綴りこんでいるとすぐにも気がつきますね。また、人間の存在を問えば、いつしか、哲学にも・・・となるのですが。ここで四柱推命が登場です。女性とみると陰陽論からも陰命的な発想となり、男性とみると男であることが陽ですから、対社会となりますから、官殺の問題に。歌を鑑賞するにもそういう陰陽論的な発想って自然にしているんだと思います。これは異論があるかもしれませんが、聞き流してください。
 次にこの歌人ですが、それほどまでに縛りの多い環境というか、わが身を社会に生かせていけない苦しみを読んでいるのですから、きっと日干は天地に透って、根があるに違いないと思うのです。身が強くないとこのような自己主張はないと思うのです。私自身が身が強くて自己中なので共感したのかしら・・・なんて・・・!とにかく、正しいかどうかわかりませんがこの歌人の四柱八字です。

歌人香川不抱 M22年 2月 10日 香川県丸亀市生まれ
 己丑
 丙寅
 丁巳
 ○○ です。
いかがでしょう!日干丁です。丁文ですね。文学にはもってこいです。日干も強の可能性ありです。
三柱でみてもどうか・・・と思われるでしょうが、ここは私の関心事ですのでご容赦頂きたいと思います。丁火ですが丙火も強です。己丑にかなり洩らしてはいますが・・・
彼は与謝野鉄幹、晶子夫妻に師事し、歌風としては啄木のような生活派歌人ではあります。鉄幹からは啄木をしのぐというほどの評価は受けておりました。彼の情念のような世界が人を引き込むようですね。この命については次回また・・・・

 
コメント
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