四柱推命≪詩子の推命日記≫

四柱推命に関する日々の命理的考察およびフリートーク

父の思い出!

2015年09月12日 20時57分41秒 | フリートーク

YORIは運動会でした。


WAKA、お泊りです。

☆フリートーク
実父が逝きました。そのため少々取り込んでいたのですが・・・

幾重にも 思ひ出重ねて 白菊の 彼方で父は 笑みかえす   詩子

 先日、眠るように父は逝きました。86歳でしたので年に不足もなく、人生を下っていく様はまた私たち子供への見せ場であったかもしれません。意外にも死を身近に感じてしまった数日でした。
 いつの間にかできていた覚悟、父に逢うたびに感じさせられておりました。亡くなる数日前に昼食の介助をしたのですが、あれが最後であったのと、これが最後かもしれないと直感したのも事実です。意外に感は鋭いと思っています(笑)。
 2年前に大腿骨骨折をして以来、父の人生は下り坂でした。もちろん運気もそのとおりで・・・気弱な人なので、なにくそ!!という気概はなく、復活してやると思わないのかと何度も言ったのですが、通じず、車いす生活でした。体力、筋力ともに落ちる中で今年の未年未月土旺には急変し、一度は退院までできたのですが、やはり命運は尽きていたようです。私、詩子の命運もまさにそのとおりで・・2年前から忌神年の連続です。ですから余計に予感がするのです。


 父は英語教師でした。そのせいか私も英語が好きな教科であったのですが・・・退職後は陶芸や大好きな書道をしておりました。棺桶の中は父の書がいっぱいであったのはびっくりでしたが・・・夫があれはキョンシーの真似事か?みたいな冗談を言っておりました。筆も入れました。
 私の八字で父財は喜神でしたから、とても良い父親であったと思います。叱られたことなど記憶にありません。私の性格を見抜いていたので、したいようにさせてもらっただけのことですが・・・。父は癸水日干ですので私の八字の癸水そのものでした。良い家庭環境においてもらい、大運ともに水財の父は元気そのものでした。お酒が好きでしたので、初孫(私の長女)を抱いてお酒を飲みたいと言ったこと、また子供が大好きなのでひ孫が次々に生まれるのを待っておりました。嬉しそうに赤ちゃんたちを眺めておりました。当然ながら、お葬式も首のすわらない新生児がずらり・・・でしたので葬祭場のスタッフたちが三つ子?・・・ん?サイズ少しづつ違うよね!!みたいにひそひそ話したそうです。

 とまあ、本日は私事ですが、思い出に浸らせていただきました。大運は傾向、事象は流年で起きること・・・まさに実感でした。
コメント
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